「今」やっておきたかった、電波少女 フィールド広める意欲作
INTERVIEW

「今」やっておきたかった、電波少女 フィールド広める意欲作


記者:小池直也

撮影:

掲載:16年05月05日

読了時間:約16分

ヒップホップクルーの電波少女。『パラノイア』は彼らのフィールドを広める意欲作

ヒップホップクルーの電波少女。『パラノイア』は彼らのフィールドを広める意欲作

 ヒップホップクルーの電波少女(でんぱがーる)が5月11日にNEW EP『パラノイア』をリリースする。2009年に結成。現在はハシシ(MC担当)とnicecream(パフォーマンス担当、ボタンを押す係)の2人で構成。ネット社会からその名が知られるようになった彼ら。2013年7月に発売されたファーストアルバム『BIOS』は2500枚を超えるセールスで、現在は廃盤。セカンドアルバム『WHO』ではオリコンチャート19位にランクインするなど今注目されている。MCを担当するハシシは「自分の音楽の反抗期みたいなところなんです」と語る。そんななかで送る今作は「このタイミングでやっておきたかった」と、彼らのフィールドを広める意欲作だ。今回は、彼らの活動開始からこれまで、そして日本語ラップのイメージが大きく変化した2016年にやろうとしていることなどについて話を聞いた。

ネットラップというコミュニティ

ハシシ

ハシシ

――電波少女さんはニコニコ動画のシーンで活動を開始されたそうですが、何かきっかけみたいなものはあったのでしょうか。

nicecream もともと高校時代に、地元の宮崎でイベントのようなものをやっていたんです。今の相棒(ハシシ)も一緒で。大所帯なんですけど、いわゆるマイクリレー(編注=MCが複数人いてマイク回していくスタイル)という形ではなくてDJがいたり、ダンサーがいたりする「イベントをやる」クルーだったんです。多分、どこのローカルにもいると思うんですけどね。そこら辺の地域でやっているような。

ハシシ でも高校を卒業してから、特に何か明確な活動をしていたわけでは無かったんです。その時期にネットラップのコミュニティを見つけて「自分がやったらどのくらいまで食い込めるんだろうな」と思って個人で始めました。それがきっかけなんです。

――ネットラップに参入しての感触はいかがでしたか。

ハシシ そうですね。フリーで落ちていたビート(編注=ラップをするためのカラオケ)を使ったり、知り合ったビートメイカーにお願いしたりしながら活動をしていましたけど、そのシーンの中では割かし早めのうちに注目してもらえたのかなと思います。自分が折角作ったものなので沢山の人に聴いてもらいたかったし。それをどうやったら沢山の人に届けるためにどうするかっていうところで自分は世渡りが上手かったのかな(笑)。

 21歳くらいの時ですかね。その時期は変な習慣があって、仲良くなったネットラッパーたちと会議通話をするんです。スカイプみたいな。それこそ全国にいたので、会って遊ぼうというわけにもいかず。夜、皆で通話したりするという感じですね。よく会議通話をする6人と「ネットラジオをしよう」と言っていて、それで結成したのが電波少女だったんです。今だとニコ生とかだと思うんですけど、当時はネットラジオというツールでやってましたね。

 当然、ネットラップというコミュニティの中でネットラッパーが集まって、大層に名前まで付けてラジオをやるんだから、もちろん「曲も作るのかな」と俺は思っていた派なんですよ。思っていなかった派もいて、「曲やんの?」と。別にそこまで揉めたわけじゃなかったんですけど、じゃあいいやって感じで抜ける人たちがいたり。その抜けた人に対して怒って辞めちゃう人とかも。

nicecream

nicecream

――実際に会ってやりとりとかはしないんですか?

ハシシ そうですね。会ったりはしなかったです。でも結局徐々に減っていって、残ったのは2人だったんですよ。その2人になったタイミングで上京しました。22歳の時ですかね。でもそれは若いうちに東京出ておきたいなとか、音楽で仲良くなった人たちは東京の人が多かったので彼らと遊びたいなっていう理由だったんです。音楽を主軸に特に生活したいとか、これでどうにかなってやろうとかは漠然としか考えていなかったですね。ネットの活動とかも考えていたわけでは無く、ただ趣味として曲をつくって上げていたっていうだけでした。

 ただ、ネットラップのイベントも当時あったんですよ、2カ月に1度くらい。「bit-rate break」というイベントとか。そういうのにも声が掛かったら出たいなとは思ってました。

 それで2人でライブをするようになったんですけど、バックDJ(編注=ラッパーの後ろで曲を流すDJ)がいないんですよ。最近はそこまで珍しくないですけど、昔はDJがいないMCってあんまりいなかった。でも、ネットラップのイベントに行ったら、ほとんどみんなバックDJがいないんです。だから他の出演者に「ごめん、おれのショウケース(ライブ)の時、DJやってくれない?」というノリだった。俺らも最初は他の出演者にお願いしてたんですけど、曲をかけるタイミングとかライブのクオリティを考えたら、いた方がいいなと。ちょうど上京していたnicecreamを俺の地元の連れということで当時の相方に紹介して、彼に手伝ってもらうようになったんです。

nicecream 僕はもともとダンスをやっていたんです。地元でヒップホップクルーをやっていたのをきっかけにブレイクダンスを始めて、のめりこんで結構バトルとかにも出ていました。単純にもっと県外に出て活動したいな、と思って上京していたんです。もともとは地元のクルーをやっていた時にそれぞれでDJもしていましたし。それでメンバーが3人になって。一昨年にメンバーの脱退もあって今の形になりました。

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