INTERVIEW

荒木宏文

激しい斬り合いも「怖さはなかった」 『漆黒天』追求したリアルと主人公の核


記者:木村武雄

写真:木村武雄

掲載:22年07月01日

読了時間:約6分

 荒木宏文が、ムビステ『漆黒天』で主演を務める。映画と舞台が連動した作品。映画『漆黒天 -終の語り-』は現在公開中。舞台『漆黒天 -始の語り-』は8月に幕が上がる。映画版で荒木は記憶を失った流浪の男「名無し」役を演じる。時代劇の本場、京都・太秦で撮影。更にアクション監督で名高い坂本浩一氏がメガホンを握る。当時にタイムスリップしたかのような臨場感と激しい殺陣で観客を引き込むが、荒木は記憶を失った難役とどう向き合ったのか。【取材・撮影=木村武雄】

リアルを追及、草履まで細部に

――殺陣がすごいですね。

 いっぱい入っていましたね。これぞ坂本監督と感じました。

――生傷も絶えなかったと察しますが。

 (うなずきながら)リアルを追求したくて、わらじも現代のゴム製ではなく、ちゃんとしたわらじを履きました。足元が映ったときに、やっぱり大きなスクリーンで観てゴム製のものだって分かった瞬間に冷めると思いましたし。僕の方からお願いをしました。わらでできているので非常にボロボロになるんですけどね

――確かに観ていて走りにくそうだなって思いました。

 その時代の方の走り方って、結局そこに行き着くんだろうなと思いました。もしちゃんと固定されて、普通のランニングシューズと同じような動きになってしまったら、それこそリアルではないなって思って。なるべくリアリティに寄せるためにそういうところもお願いをしました。スタッフの皆さんが本当にプロフェッショナルな方々で、気持ちよく芝居させていただける環境を整えて下さって、「思い切りやれ」という無言の圧を感じました(笑)。それくらい仕事が早いんです。役者が集中し続けられるよう先に準備を進めて下さって、すごく救われた現場でした。

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どれだけ役の濃度を上げられるか

――斬り合いのシーンは、怖さもあったんじゃないかと思いますがいかがでしたか。

 あるはずですよね…忘れていました(笑)。おそらく僕が演じた役がそれを感じないキャラクターだったんだと思います。剣先が近くにあろうが目の前を通過しようが、あまり気にならなかったです。

――オフィシャルのコメントで「生と死、光と影が表裏一体となって」と話されていて、怖さがないという「無」の状態は表裏一体の中間にあると思うんです。

 役で言うと、無を表現をするにあたって恐怖心も無にしていたのかもしれないです。もっと違うものに執着しているというか、死というものに関しての恐怖すらもなくなっているんじゃないかと。記憶がないから死への恐怖もなくていいんじゃないかなって。むしろ記憶への執着があって、生と死に関しての価値観というものをなくしていればそのまま無でいけると思いますし。優先順位で言えば、一番は記憶。自分を取り戻すということに対しての執着を最優先していたので、記憶がない自分というのは死んでいるのも当然で、命を守るためじゃなくて、自分を取り戻さないと生きていることにならない。そう考えてみると、記憶が最優先になっていたのかもしれないです。

――物事への執着というものは誰しもあると思うんです。私は高所恐怖症ですが、写真を撮るときはいいショットを撮りたいから高層でも全然怖くない。執着というのは時には大事だなって聞いていて思いますね。

 特に時代劇を演じるにあたってはそうなんじゃないかなと思います。現代社会だと満たされていることが多いと思いますし、命がけで何かをするという環境ってもうほとんどないと思うんです。命よりも大事なものはないという教えなのかどうか分からないけど、安全第一みたいな方向に進んでいるような気がしていて。昔は誰しもそこまで恵まれていなかったと思うんです。命がけで何かをしないと変わらなかったりする。それぞれの思う正義を守るために、ちゃんと人としての権利を手に入れるために、死にものぐるいで意思表明をしてたのかなって思うと、時代劇を演じる上では、生きることへの執着はすごく必要なんじゃないかなと思います。だから彼に関しては、生きる=自分が生きているという執着に関して「記憶」は最優先かなと。体が傷つくことよりも、記憶を取り戻すことの方が大事だから、恐怖をあまり感じなかったのかもかもしれないです。

――それは今回の作品を通してそう思えたんですか? それとも前からそういう考えが?

 元々その考えはあるんですけど、それを必要としない現場もあるというか。僕はあくまで役者で、舞台を作っているのは僕ではなく演出家や脚本家であって、脚本家が書いた本で演出家がつけた世界を生きるというプレイヤーとしての役割が優先されるから、作品によっては僕のこだわりって持つ必要がないと思うんです。ただ、自分が役者として面白みを感じているのは、どれだけ人間らしくその役を深められるか。濃度の濃い人間味ある表現をできるバックボーンというか、その人の人生を構築する作業を稽古期間の1カ月にどれだけできるかが重要と思っています。1カ月で何十年分も考えなきゃいけないから、すべて突き詰めきれないものだとは思うけど、だからこそやって損はないと思いますし、どれだけやっても届かないのであれば、どれだけやってもいいと思うんです。突き詰め続けられる課題を毎回もらっているわけだから、そこを僕は役者の面白さだと思っているので、役作りをする上では、どれだけ人間としての人生をよりはっきり作るかというところはこだわってやっているかもしれないです。

――今回の作品については、映画と舞台がありますので、より突き詰められますね。

 映画の撮影のときにできる最大限の表現を全部使い切って表現したつもりでいたんですけど、やっぱり完成した映画を観るとそこから日数が経っているから、僕の経験値が多少なりとも変わっていることもあって、もっとこうすれば良かったという思いに駆られます。舞台版になったときは、映画という一度演じた資料があるわけだから、より深みのある表現ができるんじゃないかなと思います。取り組みたいこととかも、映画でやったからこそクリアにしておきたいなとか、もっとこういうところまで突き詰められたらここまで行けたなというビジョンとかはあったので、そこを目標にちゃんと取り組んでいくことができるのは、ムビステならではなんじゃないかなと思います。

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冒頭の斬り合いのシーンの裏側

――映画版で言えば最初のシーンが印象的で。私には「無」に見えて、とてつもなく恐ろしく感じました。どのような気持ちでおやりになったんですか?

 あそこに関しては、どの情報が残っているのかすら整理がついていない状態ですね。本人自身が戸惑っているからこそ、無に感じるのかもしれないけど、同時にものすごく考えてる状態。でも答えは何一つ出ていない状態で整理がついてない状態だから、着地しているものが無という表現でもあるというか。何が分からないかも分からない状態。何の記憶があって、何の記憶がないのか。そもそも記憶がないのか、あるいは覚えていないだけなのか何も整理ついてない状態で。でも体が反応することがいろいろあってよく分からなくなってしまっているという表現だったので。記憶がないということはゼロに持っていくことができるんですけど、ゼロじゃないんだろうなと。自覚がないだけでゼロではないというところで、結果、何でもアリにはなると思うんですよね。むしろ目の前で起きている情報は確かっていうところにすがりつくのかもしれないって思うとああいう表現になりました。

――そのお話を聞いて振り返ると改めて面白いなと思いました。自分の内側に入りすぎて追いついていない場面でもあるんですね。

 そうかもしれないですね。

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(おわり)

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