リハーサルが大嫌い
――作曲も同じで、自分が聴きたい曲、気持ちの良い曲をアウトプットしている感じでしょうか?
そうですね。僕が非常に恵まれているのは、「これは自分の好みではないけれど受けるからやっておかなければな」ということをしなくてもいい境遇にいるということです。そんなこと言ってられないから仕事をしなければ、というアーティストもたくさん世の中にいるので、本当に僕は恵まれています。嫌な仕事は断ることができるということは、ストレスもなく自由に音楽と向き合っていられる強みでもあると思います。
コンサートもアルバムも、本当に好きなことしかしません。だから緊張もないし。僕はコンサートで緊張をしたことがない。本番で大きなミスをやらかしても、緊張しません。ミスをしてしまったら、すぐに開き直って「ごめんなさい間違えました、最初からやりますね」と言ってやってしまうくらいのゆとりを持ってやっています。でも僕は滅多に間違えないから、「間違った瞬間に遭遇したみなさんは逆にラッキーなんですよ」と言ってしまっている自分がいたり(笑)。
――緊張されないというのは凄いです。
僕はコンサートなどもリハーサルが大嫌いで、練習をしません。普段も練習をしないです。昨日コンサートがあって篳篥を触っていたのですが、次のコンサートが3週間後だとすると、その3週間は楽器に触りません。
頭の中でやっている想像をするだけで、本番に突入します。「練習通りにやればいいんだ」と、よく言うじゃないですか? でも本番は、何が起こるかわからないし、全然想定できないことが本番にはいっぱいあるので、「これだけ練習してきたのにこれじゃあ無理じゃないか…」と思った瞬間に、みんなゴロゴロと壊れてしまう…僕は練習しないから、どんな場でもその本番に立ったときから「さあ、何をやるかな」というスタートなわけです。
――常にフラットなのですね。
そうです。フラットとかニュートラルということだから、動じません。練習しないからこそ、本番の偶発性が生きるのです。偶発性がすぐそこにあるのに、「これだけ練習したのだから、これをやればいいんだ」と思う人は、偶発性とのぶつかり合いがないまま、練習した通りにやろうとします。
そうすると、自分でも新しい発見にも出会えないし、見たこともない自分に出会えないので、つまらないと思います。練習をしない分、本番で知らない自分に出会えるというワクワク感があるのです。「こんなこと吹いちゃっているんだ、凄いな!」と思えるコンサートというのは、だいたい面白いです。同じ曲をやるにしても、その日の気分で全然違う表現をしていけるのは、決まりを自分で決めていないからなのです。
――お客さんもそちらのほうが楽しいですね。
恐らく、そうだと思います。リピーターの人が多いから、「昨日と全然違う」という楽しみ方になってくるのでしょうね。
【取材=村上順一/撮影=冨田味我】
後編に続く
作品情報『Hichiriki Cafe』 01.As Time Goes By |