昨年デビュー20周年を迎えた篳篥(ひちりき)奏者の東儀秀樹。前編では篳篥の歴史から魅力、幼少期からの天才肌とも言える話を聞いた。東儀は「スタンスはロックだと思っています」と語る。後編では8月2日にリリースされた最新作『Hichiriki Cafe』に込められた思いや、雅楽が他のジャンルのものと一線を画す理由、音楽だけに止まらずもっと大きなところで自身の可能性を追求するスタンスなど、ロックな考えを随所に見せた後編をお届けする。(※「Hichiriki Cafe」のeはアキュート・アクセント付きが正式表記)
誰もが知っている曲を大事にしたい
――今作『Hichiriki Cafe』の選曲について伺いたいと思います。
オリジナル曲はさておいて、誰もが知っている曲というのを大事にしたいんです。篳篥や笙という雅楽の楽器はまだまだ身近ではないから、曲から「このメロディ知っている、この曲いいよね」と入って、「このメロディは何の楽器なんだろう?」と、知っている曲って耳を傾けたくなるじゃないですか? その時に知らない音色の楽器で吹いていると、それが凄く伝わりやすいと。楽しみながら、いつの間にか堅苦しいと言われていた雅楽の音色がそっと入ってくる。
『Hichiriki Cafe』というちょっと妙なタイトルなんだけど、カフェで何となく流れているような、あの楽チンな感じは雅楽にはあり得ません。雅楽が街のカフェで流れる訳がないし。面白いかもしれないけど、結局楽器というのはもともと自由なもので、雅楽の楽器にしたってカフェで楽しめるんだよ、という優しさもあるということが伝わればいいなと思うんです。
――篳篥や笙の奏者の方のなかには、東儀さんのような考え方の方もいらっしゃるのでしょうか?
いるのかもしれないけど、出てきてないということは、あまりいないのでしょうね。あと、この世界は凄く保守的だから、一人ではどうしようもないから師匠に付くじゃないですか? その師匠が「そんなものを吹くんだったら教えない」とか、「これは神聖なものなんだから、古典以外のものをやるな」とか、まだまだそういう人が多いんです。「お前、東儀秀樹が好きなのか? じゃあクビだ」みたいな。
――そんなことがあるのですか?
そういう話も聞きます。僕の友達がサックスのミュージシャンで、篳篥も凄く上手い人なんです。一緒に楽しんでやっていたのに、僕がデビューをしてから、またその友達を誘って「ライブで2人で篳篥をやったら面白いからやろう」と言ったら、何かモゴモゴして乗っかってこないんですよ。
何だと思ったら、師匠に「お前、東儀と一緒に何かやっただろ?」と言われて凄く怒られたらしいんです。凄くテクニックのある人だったから、そこで勇気があれば「好きな音楽をやります」と言って出てきていたら、たぶん篳篥吹きのアーティストとして凄い地位にいたと思います。
――もったいないですね。
もったいないです。宮内庁にいた時分から僕はちょっと変わったことをやっていました。オリジナルのカセットテープを作って、色々な人に聴かせて「何か糸口がないか」という風にやっていたから、「東儀秀樹は変なことをやっているぞ」と職場でずっと話があって、凄く浮いてました。
毎日毎日後ろ指を刺されていて、「またあいつこんなことやっていた」とか「こんな雑誌に出ていた」とか、いつも上司に怒られていました。でも、後ろ指は刺される方で良かったと思います。指す方にいたくないと。それが気持ちが良いなと自覚ができたんです。
後ろ指って、みんなへこませるために指すけど、僕はかえってどんどん胸を張っていくものだから、結局後ろ指の指し甲斐がなかったでしょうね。
――どれだけ後ろ指を刺されてもへこまない訳ですからね(笑)。
そう。職員室に朝「おはようございます」と入ると、“香り”が残っているんですよ。「僕の悪口を言っていたな」と。
――わかっちゃうのですね。
わかるわかる(笑)。それがけっこう面白かった。
――お話を聞いていて、東儀さんは雅楽奏者の中でもロックのスピリットを感じました。
スタンスはロックだと思っています。
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