コンサートで緊張したことない、東儀秀樹 偶発性を生かし楽しむ
INTERVIEW

コンサートで緊張したことない、東儀秀樹 偶発性を生かし楽しむ


記者:村上順一

撮影:

掲載:17年08月09日

読了時間:約14分

雅楽と近代音楽の融合に挑戦し続ける東儀秀樹

 昨年デビュー20周年を迎えた篳篥(ひちりき)奏者の東儀秀樹が2日に、フルアルバム『Hichiriki Cafe』をリリース。宮内庁式部職楽部の楽生科で雅楽を学び、86年から10年間、楽師として活動。96年にアルバム『東儀秀樹』でメジャーデビュー。現在も雅楽と近代音楽の融合に挑戦し続けている。『Hichiriki Cafe』では雅楽のテイストを存分に生かしたアレンジと、オリジナルからスタンダードナンバーを取り入れた選曲で、篳篥の新たな魅力を聴かせる1枚に仕上がった。ギターはもとよりピアノやドラムなどの楽器も自身で演奏するという多彩な才能を見せる。前編では生命に響く篳篥の歴史や魅力、自身が思う音楽を奏でる上でのテクニックの重要性、さらに「コンサートで緊張をしたことがない」という言葉に隠された真意とは。(※「Hichiriki Cafe」のeはアキュート・アクセント付きが正式表記)

象が「もっと吹いてくれ」

「コンサートでも緊張したことはない」と語る東儀秀樹

――篳篥は懐かしい音色がする楽器という印象があります。それは我々日本人の先祖との関わりもあるのでしょうか?

 それはあると思います。初めて篳篥の音を聴くのに「懐かしい」という意見は凄く多いです。それは“日本人だから”、と考えがちなのですが、僕はそういうところも超越していると思っています。アメリカやヨーロッパでよく演奏をするのですが、そこの人達の意見も同じく「初めて聴いたのに懐かしい気持ちになる」という声が多いですね。

 篳篥などの楽器は、日本に入ってきたのは1400年前ですが、その前の1500年、2000年前にシルクロードで生まれています。その時代は東西など文化の区分けがほとんどありませんでした。近代国家もないし、そういう文明もなかったので精神的には凄く進んでいた時代だと思います。

 宇宙のことや自然のこと、人間の動きなどが全部リンクしたような考え方が一番できていた頃に生まれた楽器なのです。だから人間だったらどの種族にも響く根本が作られていたのだと思います。

――日本人だから、ではなく人間だから懐かしい響きに感じると。

 もっと言うと生命だから、ということを想像しています。

――では人間以外の動物に聴かせても反応が?

 ありました。以前、タイの山奥で象の前で笙を吹いていたら、象が鼻を上げて近づいて来たのです。すぐ近くまで来て、鼻で笙をずっと撫でてくれました。演奏を止めると「もっと吹いてくれ」という仕草をしました。

 ハワイの沖では、クルーザーの先端で篳篥を吹いていたのですが、気がついたら船と同じ速度で何十頭ものイルカが一緒に泳いでいたこともありました。偶然かもしれないと思って船を止めてもらったら、船のまわりをイルカがぐるぐると泳ぎだしました。僕が海に飛び込んだらイルカがまとわりついてくる…何かしらの効果があると思います。

――動物も心地良いと感じているのですね。

 篳篥という楽器は凄く難しい楽器なので、入門者が練習しようと思うと耳障りな音しかしないです。そのあたりを上手くコントロールできて、やっと音楽になるのですが、それをちゃんと上手くコントロールできているのだな、という証を動物達にしてもらった気がします。この吹き方で大正解なのだと。

――篳篥は入門セットなども売られていますが、やはり簡単には音は出ませんよね?

 今はプラスティック製のものがインターネットで5000円くらいで買えたりするのですよね。

――私もちょっとやってみたいなと考えたりしまして。

 やってみるといいと思いますよ。いかに難しいか、分かると思います(笑)。でも、プラスティック製のものも、本番でも使えるほど凄くちゃんと出来ていると思います。非常に良い篳篥の本体を型取りして作られています。プラスティックだから、音が良くないなんてことは全くなくて。

 ただ、リード楽器なので、その素材の部分がちゃんと削られていなかったりするとわかりませんね。本体はプラスティックなので、全く変わらないのですが、リードの素材がまちまちで、自分にたまたま合っているものだったらすぐに音は出るし、全く合っていなかったらどんな人にも音が出なかったりするので…。

――全く合ってないリードに当たって、そこでやめてしまう人もいたり?

 圧倒的に多いです。「やっぱり難しい。無理だ」と。それは本人のせいではなくて、実はリードのせいだということに気がつかなくて諦める人が多いのです。

――その判断は素人には難しそうですね。

 難しいですね。良いリードも素材や形の他に、自分の唇の形や力加減に向いているかによるわけです。それがピッタリ合って、ある程度の音楽的センスがある人が吹くとなったら、もの凄く可能性が秘められた楽器です。

――あんなに小さい楽器なのにとても存在感のある音がしますよね。東儀さんは初めて篳篥を吹いたとき、音はどうでしたか?

 僕は幼稚園の頃から、音楽的なことには凄く器用でした。音楽以外でも、何でもできてしまうようなタイプで。初めて篳篥を吹いたときも一発で音階が全て出せました。その後の修行期間も、大変だと思ったことが一回もなかった。

――いわゆる天才では?

 遠回しに言っていますが、そうかもしれません(笑)。小さい頃からそういう自覚があって、物心がついたときには音の判断ができていましたし。小学校に上がった頃には、一度聴いた曲でしたら、ピアノを習ったことはなかったのですが、伴奏をつけてちゃんと弾くことができましたし。

 まわりの友達にはできないことだったので、「僕は音楽的に特殊な能力を持って生まれたんだな」という自覚が子供の頃からありました。音楽のことだったら、どんなジャンルでも何でも判断できるだろうという自覚がありながらも、音楽家になりたいとは思っていませんでしたが。

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