こんな気持ちいい事やめられるか! パンクのレジェンドSAの誓い
INTERVIEW

こんな気持ちいい事やめられるか! パンクのレジェンドSAの誓い


記者:村上順一

撮影:

掲載:16年07月19日

読了時間:約19分

コムレイズは同志達

NAOKI

NAOKI

——おふたりは「サンキューコムレイズ」を劇場に観に行かれたんですか。

NAOKI 最後の方に行きましたよ。各地でやっていたんで6回ぐらい舞台挨拶に行ったんですよ。その時は挨拶だけで観ることが出来なくて。アンコール公演が池袋であって、劇場ではその時にやっと観れたんだよね。

——劇場で観た時は、割と客観的に観れたりするものですか。

NAOKI まあ「自分かあ」という感じでは観れてはいるけどね。

TAISEI 観るたびにグッとくるものはあるよね。自分たちが歌って演奏してるんだけど、やっぱり良いバンドだなとは思うよね。

——ファンの方たちの年齢層も幅広いですよね。

TAISEI そうなんだよね。老若男女で幅広い。俺らはファンの事を、コムレイズと言っているわけなんだけどね。

NAOKI これもうすぐ3世代で来るよ。親、子供、孫でね。15年前に始めた時に5歳の子供がライブに来ていて、この前二十歳になってたからね。あと4〜5年やってたら確実にそうなりますよ。

——確かにちっちゃい子供たちが、映像にけっこう映ってましたよね。

TAISEI そうなんだよ。あの子たちが歌詞を覚えていて歌ってくれてるのよ。「青春に捧ぐ part2」なんてまだあの子ら青春は始まってないからね(笑)。

——そういう子供達の姿を見ると、曲作りの支えになりますよね。

TAISEI すごくなるね。やっぱり僕達が小さかった頃のロックスターのおかげで、今こうして僕達は活動が出来ているわけなんだけども、そういう存在に僕らもなっていきたいよね。歌いながら泣いている男の子とかもいるんだけど、そういう人達を思い浮かべて詞が出てきたりするもんね。それに向けてエールを送りたくなったりするんだよね。

——TAISEIさんの書く歌詞は、聴いた人の背中を押すような力強さがあると思うのですが、このような強い歌詞は自然と出てくるものなのでしょうか。

TAISEI 挫折とか悔しさとか、負けたくないとか、夢を見ていたいとか、自分の人生を振り返ってみた時に、「俺何であの時にあんなことしたのかな」とか2度と同じ失敗しないぞという気持ちを考えているうちに自然と出てくるね。そういうのは多分音楽家だけじゃないと思うんだよね。それを表現することによって、人の背中も押すけど、自分の背中も押している気がするんだよね。詞を書く時には自分には嘘をつかないようにしようというのがあるね。例えば世の中、一生パンクだぜとか言っていても、一生パンクなんかいられるわけないだろうっていうね。そういう中で、「いったいどこまでパンクでいられるのだろうか」という自問自答を詞にした方が良いのかもしれない。

——基本的にはご自身のことを歌われているんですね。

TAISEI そうだね。人生切り崩しですよ。

NAOKI 借りてきた言葉はダメでしょ。

——確かにリアリティは全然変わってきますよね。

TAISEI 一つのことをまどろっこしく言うのは、そういうテクニックもあるのかもしれないけど、それをやっていたら時間がないなと思って。もう「真っ直ぐ行こうぜ」というね。でもなぜ、みんな真正面から言いたくないのかというと、きっと恥ずかしいんだよね。これを言ったらダセェと言われるんじゃないかなというのを、俺は敢えてやりたいわけ。

——体裁を気にしてしまう部分はどうしてもみんなありますよね。

TAISEI そうそう。でも俺はちゃんと、「自分でケツは拭くからね」という詞は書きたいなと思ってる。

——SAは基本的に曲先で後から歌詞を付けていくやり方ですか。

TAISEI 基本的には曲先だね。でも詞は書き溜めてはあるよ。そこの中からメロディにハマる言葉を選んでいくことが一番多いかな。

TAISEI

TAISEI

——先ほど3世代でライブを聴きに来るようになるかもと仰っていましたが、それによって書く歌詞が変わったりしますか。

TAISEI 変わらないんじゃない。小学生に合わせた詞を書けないもんね(笑)。いつも詞を書いていて思うんだけど、「いつか君にもわかるよ」ということで書いている部分もあって、今は分からなくてもどこかワンワードだけでも引っかかってくれて、年齢を重ねていって言葉の前後関係の意味が分かってくれればいいんだよね。

NAOKI 俺らだって子供の時に阿久悠さんの歌詞を見ていて、その時は全部が伝わらなくても、大人になってから「この詞が染みるわ〜」となったからね。「今ならめっちゃ分かるわ」みたいな(笑)。音霊だったり言霊だったりを意識して作っていけば、メッセージとしてそれは未来永劫続くものだと思うからね。

TAISEI 後ろの世代にちゃんと伝えていけるような作品を、作っていきたいというのがあるんだよね。自分が60歳になっても恥ずかしくない歌を歌いたいというのがあって、30歳の時に作った曲でも60、70歳になった時に歌っても「そうだよな」と思えるものを作っていきたいよね。

NAOKI 俺たち流行歌とか作ろうとしてないもんね。

TAISEI 子供達だって喜怒哀楽があるし、お年寄りも同じだし、種類は違っても感情というのは同じにあるわけで、喜怒哀楽のひとつに凝り固まったものではなくて、やっぱりグローバルに書きたいよね。ディティールとかシチュエーションはいろいろあったとしても、そういうことがちゃんと歌えるバンドでいたいし、歌い手でいたいよね。

——人間の本質みたいな?

TAISEI そういうところだと思うよ。俺らが子供の時に感動したものって、やっぱりあったと思うしね。最近みんなと良く話すことがあるんだけど、最近の歌って日本の四季がないなと思うんだよね。自分が考えてることだけしか書かないみたいなね。「そんなの知らんがな」という感じなんだけど(笑)。俺は日本の昔の良い言葉というのは敢えて使うようにしてるんだよね。状況が見える言葉というのが段々無くなってきているなと思う。例えばなんだけど、今って暑い時は暑いとか寒い時は寒いという感覚がなくなってきてるじゃない。暑くてもちょっと中に入れば涼しかったりさ。俺らが子供の時って暑い時は暑かったのよ。だから、スゴイ無味無臭な音楽になっていくのかなと思う部分もあるんだよね。そういう風にはなりたくないとは思うよね。

——今はネット社会になって感情が見えにくくなってきていると思うんですよ。SAはそういう世代に背中で語るみたいな指針になっていく存在なのかなと思いました。

TAISEI それしか出来ないというか、今から俺たちがネット社会の人間になれって言ったって無理な話で、ガラケーしか使ってない俺らがさ。俺らみたいなおっさんが熱いこと歌ってるなと失笑している若い奴らもいるかもしれないけど、この感情がいつか分かるから。でも、それでいいかなと思っていて、ネット世代や10代20代が全員冷めてるのかといったらそんなことはなくて、熱い奴だっているよ。そういう奴らのドアをノックして上げたほうがいいんじゃないかな。そうしたら多分開くんだよね。ただ照れくさいから開かないだけでさ。こっちから向こうに寄ることは出来ないけど、向こうに気付かせることは出来るのかなと思うんだよね。

NAOKI TVとかメディアにあんまり出ないから気付いてもらえないけど、俺たちの立ち位置は絶対ここだから、見つけてもらうしかないけどね。

TAISEI 「ガキなんて知らねえよ!」じゃなくて、「来いよ!」でいいんじゃないかな。

NAOKI まずは「俺たちを見つけに来い!」という感じだね

——先ほどファンの方達のことをコムレイズと呼ばれていましたが、この名称にはどのような意味があるのですか。

TAISEI コムレイドという言葉があって、“同志"という意味があるんだよね。でコムレイズという複数形にして、“同志達"にしたんだよね。

——このコムレイズはいつ頃から始まったのでしょうか。

TAISEI これは僕がソロプロジェクトとして、SAを再始動した時からだね。この時高校生の頃に作った曲をもう一度リリースしようと思っていた時に、「You Must Stand Up,My Comrades」という歌詞の曲があったんだよね。このコムレイズ、同志達という言葉がいいなと思った背景に、もう一回何かを始める、もう一回立ち上がるという意味において僕は音楽だったけれど、ライブに来てくれて、夢を持ったやつ、挫折したやつ、いろいろいるけど志は一緒じゃないかなと思ったんだよね。そこからコムレイズという言葉を使うようになったんだよね。

——「SAコムレイズ かかってこん會」という会もありますよね。これはどなたが立ち上げたのですか。錚々たるミュージシャンの方たちが参加していますよね?

TAISEI 発起人は怒髪天だね。そこからみんなが野音に向かう俺らを応援したいということで集まってくれたんだよね。野音の成功に後押ししてくれたしね。俺たちが対バンしたりとか、仲が良かったりとか、そういう縁のある人たちが参加してくれたというのは、俺たちの「否定をせずに、まずは受け入れよう」という音楽スタンスが、この14年間で培われて来たものなのかなと思う。だから「おまえ誰やねん」という人はいないよな。ミュージシャンから格闘家からお笑い芸人、いろんな人が「SA頑張れ」って言ってくれたのは力になったね。

——プロレスラーの棚橋弘至選手も「かかってこん會」に参加してますよね。

TAISEI 出身地が一緒なんだよね。岐阜県の大垣市というところなんだけど、彼はそこの観光大使なんだよね。俺もいずれ観光大使という野望がね。あっ! 俺のゴールテープはそこだわ(笑)。

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