若き天才ピアニスト反田恭平、銘器でリストをどう表現したのか
INTERVIEW

若き天才ピアニスト反田恭平、銘器でリストをどう表現したのか


記者:木村武雄

撮影:

掲載:15年12月15日

読了時間:約18分

F1マシンのような名器《CD75》

リストの魅力を語る反田恭平

リストの魅力を語る反田恭平

――最初に音を聴いた時に衝撃が走りました。これまでのクラシックのルーツから外れた、あるいは根本を翻す様な強烈なインパクトがありました。ご自身はどのように感じていますか

 そう感じられる理由の一つは楽器だと思います。弾いたピアノは特殊な楽器でして、普通のピアノよりかはクリアに音が聴こえて、今のピアノのほとんどが同じ音色や音程で。現代は工場で作られていますが、あの楽器は昔ながらの特注、手で作られたものです。高音部がすごくキラキラしていて、水が流れる様な、星が輝く様な音です。低音部はそれを支えるベースで。エレキベースくらいの地響きが出せる能力をもっていて。中音部はヴァイオリン、チェロなど柔らかい人の声に近いふうに設計されているので非常に聴き易いです。「何を、どのような音を弾いているのか」という点を表現しやすいピアノでもありますが、普通のピアノと異なり、技術面ではコントロールするという点において難しいですね。

――そのピアノは1912年に作られて、これまでに色んな人が弾いてこられたことでしょう。「このピアノはカーレース用の特別調整がされたF1マシン」と例えられています。中国の「三国志」時代にも、その時代もっとも優れた馬「赤兎馬」がいたと伝えられています。馬体が良く、スピードも速い。敵を蹴散らす強さを持っていました。しかし、非常に暴れ馬で乗りこなせたのは関羽と呂布という百戦錬磨の猛将2人だけでした。そのもの以外は振り落されてしまうのです。当時最強と言われたこの赤兎馬の様に、ニューヨーク・スタインウェイ《CD75》も人を選ぶのでしょうね

 その話と似ていますね。この《CD75》というピアノ楽器は1970年代後半からホロヴィッツの専用ピアノとなり、彼が亡くなった後、何人かの手を経て今はタカギクラヴィア社が保有しています。すごくコントロールが難しい楽器なので、選ばれた人しか弾くことができない。僕は2年前に、この楽器に出会ったのですが、初めは何も出来なかった。けれど、その時に「どうかしてみせる」と思える感覚はありました。これだけ年代物のピアノに触る事がそもそも始めてでしたし。ピアノはだいたいが消費されてしまうものなので、ヴァイオリンと違って年代物のほうが価値はあるという訳ではない。本来はすごく貴重なもので、たくさん弾いてきたのかもしれないけど、最後に扱っていたのがホロヴィッツというロシアの伝説のピアニスト。その方がほぼ今の形状でこのピアノを愛用していた。彼の演奏もまた独特の弾き方で、その関羽さんや呂布さんでしたっけ? 彼の馬の操り方が巧かったというのと一緒だと思います。

――その時々によって弾き方は変えていますか

 このピアノは大ホール用に作られたので、小さな会場で弾く時は弾き方を変えたりするなど考えたりします。激しい曲や優しい曲でのタッチのコントロールや、長い曲や短い曲での体力の配分、スタミナの温存もあります。このピアノは特に操りにくいので神経が研ぎ澄まされます。練習していないとそれがバレてしまう様なピアノなので、ちょっと気を抜くとボロが出てしまう所もあります(笑)。

――鍵盤が軽いと聞きましたが

 昔のピアノで例えると、チェンバロであったりハープシコードであったり、“ジャンジャン”鳴る様な残響があるのですが、今のピアノは(ピアノ内部の)ハンマーの関係で、指を放すと“スパッ”と音が消えるんです。このピアノ《CD75》は昔のそういう名残がありますね。100年前の楽器はこれが普通だったんですけどね。逆にこういう時代になってしまったのが残念ですけど、現代のピアノはまた、現代のホールにあった形でもちろん優れているのですが・・・。

――残響があるという話でした。しかし、反田さんの演奏からは残響は感じられません

 例えば「C」コードから隣のコード「レ」「ファ」「ラ」を弾くと、どうしても残響音として濁ってしまう。聴衆側からしたら何か気持ち悪い感じになってしまうんです。でも、そういう風に「なってしまう」楽器なので、色々な音が混ざり込んで“ワッ”となってしまうんです。そこを敢えて“スパっ”と音を変える様にしています。指や身体、楽器の事も考え音を変えていくチャレンジをしまいた。それ故の結果だったとなれば嬉しいんですけどね。

――初めて聴いた時にピアノの音とは感じられませんでした

 僕も最初はそう思いました。僕自身本当に驚きましたし。ホロヴィッツは、僕が産まれる前に来日して弾いたそうですが、ホロヴィッツが弾いている映像や音源は今も聴いています。やっぱりライブ感が全然違います。彼のチケットは1枚5万円もするのに一瞬でソールドアウトしちゃったんです。何故かっていうのが、この楽器に触れて分かりました。ホロヴィッツが弾くこのピアノの音を「求めて」というのがあったのではないかと。

――ホロヴィッツの演奏と反田さんの演奏とでは異なる点は

 いやもう、僕はホロヴィッツの演奏にはもちろん敵いません。彼の場合は年齢もあると思います。ホロヴィッツはある程度の域を超えた仙人的な演奏でしたから、比べ物にはならないんです。でも僕が目指しているところでもあります。彼の演奏は(聴取者の)好みがハッキリと分かれている。そこは僕と似ているのかなとも思います。「本当に好き」と言って頂ける方もいれば、「あんまりなぁ」という方もいらっしゃる。それはどのジャンルの世界でも同じだと思います。人の数だけいろいろな個性があるので、それは仕方ないと。

――今回のピアノに合わせて演奏法を意識したとのことでした。反田さんの演奏法はもともとこのようなものだったのでしょうか

 変わりましたね。このピアノに出会ってから、コントロールはしづらいものの、その分、色んなバリエーションや視野が広がるこのピアノ《CD75》で「自分はまだまだだったんだな」と改めてわかりました。私は今、ロシアに住んでいるのですが、帰国した時には少しでもこのピアノと長く居られる様に練習したり、寄り添っています。やっぱりピアノ自体が生きていると思うので。

――この《CD75》はホロヴィッツの死後、保管されていましたが、この名器を所蔵するタカギクラヴィアが「楽器はコンサートステージの上で音楽を奏でてこそ生き続ける」と語った高木裕氏の言葉のもとに限られたアーティストに使用提供をしていると聞きました。やはり弾かないと楽器は死んでしまうものでしょうか

 楽器は絵画や彫刻と違って見て楽しむものではなく、音を出してこそ価値があります。使わない道具が劣化するように、楽器も正しくメンテナンスをして演奏していないと鳴らなくなってしまいます。そしてクラシック黄金時代、巨匠たちのピアノの音を後世に伝えていくためには、ステージで演奏し続けなくてはなりません。

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