ここ2年ほどクラシック奏者に取材する機会がある。筆者はロックやポップス畑で育ったのでクラシックへの知識は浅い。だが、その演奏者の音楽愛が並々ならぬものだということは取材を通して伝わってくる。

 多くの奏者は演奏する前に、その作曲家の生い立ちや楽曲の背景を調べ、そして楽譜を読みその曲が伝えたいことを代弁していく。文章で書くと簡単に見えるが、一曲を落とし込むのに数カ月掛かるという。そして、演奏している自分を俯瞰することにより、やっとリスナーに伝わるものになるとある奏者は話す。

 作曲家の気持ちになる、これは、奏者特有のものだと感じる。シンガーでも歌詞の世界を理解し歌に臨むというのはあるが、それとはまた違う世界感。その楽曲の物語を読むように楽譜を見ながら演奏に反映させていくのだが、そこに正解がないという難しさがあるという。

 演奏者の数だけ物語があり、正解がある。それがクラシック曲の個性となり、リスナー各々の好みに反映されていく。筆者はその正解がないというところにロマンを感じ、様々な演奏者による同曲を聴いて見たいと思わされた。同じ悲しみでもその人によって深さは変わり、怒りも喜びも同様だ。その時の自身の感情によっても捉え方は変わり、年齢によっても表現方法は変わる。

 そのクラシック奏者は音楽を楽しむことが重要だが、それが一番難しいとも述べた。演奏を始めた頃のような無邪気な楽しさとは違うプロならではの楽しみ方と伝え方があるという。そこからストイックなまでにテクニックや表現方法を追い込み、生まれた演奏はただの“音”から“音楽”となって我々の耳に届く。作曲家と奏者の二人三脚を音源やコンサートから感じ取りたいと、取材を通して感じた。【村上順一】

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