清塚信也「人間は何かを表現しなければいけない」音楽表現に賭ける想い
INTERVIEW

清塚信也「人間は何かを表現しなければいけない」音楽表現に賭ける想い


記者:平吉賢治

撮影:

掲載:19年08月16日

読了時間:約15分

“嘘のない音楽を”即興性の持つ可能性

清塚信也

――満を持して完成した作品なのですね。録音は即興気味の演奏と聞きましたが?

 そうです。まず、リハを一回もやっていないです。

――初見ということでしょうか?

 初見で、しかも僕が作っていった曲は7、8割の完成度でペライチ(内容を一枚にまとめた紙のみ)だけです。楽譜というかは、メロディとメモ、「ここでこうして欲しい」というある程度の指示くらいです。例えば「ここはギターが目立って欲しい」とか、「ここでヴァイオリンが来て欲しい」とか。そういうコーディネートだけして、あとの2割くらいは「任せる」という。書いたメロディはあるけど、別のことをやってもいいと。とにかく出てきてくれさえすればいい、というやり方でやったので、僕が書いたものを活かしてくれた所と、全然外れてその場で弾き始めたものもあるんです。

 本当にその場で仕上げたという感じです。みんなが思いついたことをやってほしかったというのは、その裏には日本でインストがまだ主流になっていないということもあって。凄い技術を持ったインスト奏者達がプロとして生きて行くにはサポートミュージシャンしかないんです。

――ライブサポート演奏やレコーディングなどですね。

 サポートミュージシャンは素敵な仕事ですけど、やはり主役は歌なわけで。引き立て役というのが強いんです。それってやっぱり暴れられないんです。

――主役よりも目立つわけにはいかないと。

 そうなんです。そういう意味で、彼らが手放しに暴れられる場所を作りたかったというのも、インストバンドをやりたかった理由のひとつというか。日本には素晴らしいインスト奏者がいるのに、その技術で活躍する場所が少な過ぎて、なかなか本当の凄さを見れていないと僕は思っているので。

 今回はサポートじゃないから、みんなは自分が主役だと、目立っている人をかき消すくらい、対決しているみたいに弾いて欲しいというのがコンセプトであり、僕の願いだったんです。そういう意味でも彼らの一番得意なプレイというのは、彼ら自身が一番よく知っているから、余白がある状態で曲を持っていきました。

――そういったスタンスをライブで、というのはそこまで稀少でもないかもしれませんが、それを録音でというのは凄いです。

 レコーディングもライブだと思っているんです。録音技術が発達し過ぎちゃっていて…写真や動画もそうですけど、いまは編集が簡単になっているじゃないですか?

――確かにそうですね。修正可能の幅が広くなってきたというか。

 それが、恐らくリスナーがどこかちょっと寂しいというか、気持ちが離れちゃった瞬間でもあると思うんです。口パク問題じゃないですけど「これ本当に歌ってるの?」とか、カワイイ写真見ても「修正してない?」とか、そういう疑いの眼差しが蔓延しているようにも思えるんです。

 だから音楽が原始的に戻っているというか、いまはライブが一番ミュージシャンが儲かる仕事になっているというのは凄く良い傾向だと思っていて。ライブは嘘がつけませんから。それでも、ライブでも少しは科学力があると思うんですけど、我々に関しては絶対にその嘘がないんです。みんな腕があるのに嘘をついてもしょうがないですから。「ガチでこんなに弾くんだ!」というのがインストの凄さでもあると思うんです。そういう意味では、今回は途中修正ほぼ無しで、曲によっては1テイクです。

――リハなしの即興で、しかも1テイク録音とは信じられないレベルですね。

 荒削りなところもあったりするんですけど、それすらも一つの表現にしたいと。常々僕は音楽はそういう風にあるべきだと思っていまして。あまり綺麗にパッケージングされている音楽って好きじゃないんです。変な清潔感というか、あまりそれを“清潔感”とは思わないんだよなと。人間味が無くなっていくことがちょっとAI化しちゃっている感じがあるというか。

――確かに、あまりにキチっとし過ぎた音楽はしらけてしまうときが少しあります。

 そうなんです。人間がやっている本物の温かくて熱い言葉なんだというのが録音物からも聴こえてきて欲しいですよね。

――わずかなノイズなどを修正することは、現在の技術では簡単にできてしまうのですが、そいういう部分を“音楽的である”と判断して、あえて修正していない感じですか?

 直していないです。それがまかり通るような熱量さえあれば音楽は成立するんです。「だって人がやってるんだもん」という。メンバーそれぞれ違う楽器ですけど、「この人、本気出したら、こんなにできるんだ」みたいな、そういうライバル関係のようなものもぜひ持って欲しいし。ライブサポートでドームやアリーナで演奏して、それはみんなにチヤホヤされますよ。「ドームで演奏していたあの人だ!」って。だけど、やっていることは本当に手の内でできるようなことをやっていて。もちろん素敵なアレンジもあるでしょうけど、そういうのにかまけそうになったときにハッとして欲しいんです。「このままだとアイツに抜かれる…」とか。

――切磋琢磨して欲しいというスタンスもあるのですね。

 そうですね。特に幼なじみの吉田翔平(Vn)にはサポートでかまけて欲しくないという思いが凄くあって。彼はいま、ひっぱりだこで色んな人とやっているんですけど、自分で看板を背負って、自分の名前でコンサートをして欲しいという思いがあるんです。そういうことができる人だと思うので。できるのに2列目でぬるま湯に浸かっていてはいかんと…。

――仮に自分がサポートとしてドームで演奏、という状況になったとしたらむしろ自慢すらしてしまいそうなのですが…。

 それですよ! それはぬるま湯です。だって誰かしらの「大物ミュージシャンのバックでやっている俺です」と言ったら、それなりにお客さんが入ったり、それなりに凄いとなって、ヴァイオリンを聴いていない人からも「凄いですね!」となるじゃないですか? その前振りはいらないですから。何のインフォメーションもない状態でヴァイオリンを聴かせて感動させるのが本物じゃないですか!

――た、確かに!

 だから、そういう「誰とやったから凄い」「どこの床を踏んだから凄い」ではなくて、本当に自分の名前で廃れたら終わりという、ゲームで言ったら一機しかない状態ですよ。ローグライクというんですけど。サポートとして売れているからこそ、そこを見て欲しいんです。

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