五木ひろし「理想に近づくために」歌い続ける理由
INTERVIEW

五木ひろし

「理想に近づくために」歌い続ける理由


記者:村上順一

撮影:

掲載:22年03月16日

読了時間:約12分

 歌手の五木ひろしが3月16日、カバーアルバム『DREAM -五木ひろし J-POPを唄う-』をリリース。NHK紅白歌合戦50回連続出場(歴代1位)の他、『日本レコード大賞』の大賞を2回、最優秀歌唱賞を3回(歴代1位)、金賞10回(歴代1位)をはじめ、数々の大記録を打ち立てる。そして、これまでに実施したコンサートの回数は7000公演以上にものぼる。 さらに2007年に紫綬褒章、2018年に旭日小綬章を受章。2021年には五木ひろしとしてデビュー50年を迎えた。『DREAM -五木ひろし J-POPを唄う-』は、クラシックピアニストの清塚信也とクラシックギタリストの村治佳織の3人でレコーディングを行なった。収録曲には自身の楽曲「日本に生まれてよかった」をはじめ、井上陽水の「少年時代」、中島みゆきの「糸」、玉置浩二の「メロディー」など全10曲を収録した。珠玉のJ-POPソングを五木ひろしがカバーし、楽曲の新たな魅力、一面を見せた。インタビューでは、カバーアルバムの制作背景から、ライブへのこだわり、「五木ひろしが五木ひろしを壊してはいけない」と語る、歌手活動への姿勢について話を聞いた。【取材=村上順一】

僕は常に危険なことが好きなんです

『DREAM -五木ひろし J-POPを唄う-』ジャケ写

――ご自身のレーベル、ファイブズエンタテインメントが設立され、20周年。この20年というのはいかがでしたか。

 まさか自分のレコード会社を立ち上げるというのは想定もしていなかったですね。僕が所属していたレコード会社、僕が親父と慕っていた徳間ジャパンの社長が2000年に他界されてしまって。僕も心機一転、もう一回スタート地点に立とうと思いました。ちょうど阿久悠さん、船村徹さんとアルバムを作るという話があって、そのアルバム『翔 五木ひろし55才のダンディズム~船村 徹・阿久 悠とともに~』を作るにあたってファイブズエンタテインメントを立ち上げることに至りました。歌謡曲、演歌系、またCDという商品も、なかなか思うようにはいかない時代になってしまったけれど、その中でよくやってこれたなと思います。

――時代の変化がめまぐるしいです。

 シングル、アルバムも含めてずっと変わらず定期的にリリースしてきましたし、おかげさまでいくつかのヒット曲も生まれました。でも、僕は常に危険なことが好きなんです。あまり安住することなく、崖っぷちに立たされている、ちょっと危険な状態というのがわりと性に合うんです。会社を独立した時もそれは大きな賭けでした。結果的に勝負に出て成功しましたが、いくつかそういう節目があり、そういう時こそ、より自分が頑張れる、みたいなところがあります。

――幼少期から危険な方、険しい道を選ぶようなお子さんでしたか。

 そうですね。当時から僕は人と違うことをすることが好きで、群れをつくるとかあまり好きじゃなくて。特に僕らの世代というのは子供の頃から戦後のベビーブームで競争率の高い時代に育ったので、常に戦いなんですね。そうすると、人と同じことをしていたのでは飛び抜けない。危険だと思っても、賭けに出る精神というのがいつのまにか身に付いていて、またそういう時にこそ自分はパワーを発揮できると思ってきましたから。

――五木さんには「休む」という概念もないのですね。

 のんびりすることとか少し休むというのが僕はできないタイプです。常にがんばる、負けたくないという思いがあったので、半世紀も頑張ってこれたと思っています。とにかく負けず嫌いなんですよ(笑)。

――私の場合、すぐ楽な方に行こうとしてしまうので、五木さんの姿勢を見習いたいです。

 人間というものは元来怠け者なんですよ。音楽業界だけじゃなくて、様々な企業とか政財界も含めてトップに立っている人たちというのはほぼ僕の世代です。そういう人たちを見ているとやっぱり皆さん負けず嫌いなんですよね。大変だけれども何かを起こして、苦労するけれど最終的に成功する。僕も歌の世界で、とにかくがんばっていこうとここまでやってきました。ただ企業と違うところは僕の仕事は後を継げない一代限りの仕事というところです。一代限りということが逆に人生勝負に出られる大きなポイントでもあります。

――一代限りのメリットもあるのですね。

 僕には子供が3人いますけれど、その子たちに音楽、僕の仕事を継がせようと思ったことは一度もないですから。僕が頑張って一つの名を残し、作品を残せば、ずっと繋がっていきます。仮に僕がいなくなったとしてもチャレンジして何かを残していくこと、歴史を作っていくことに懸けました。50年、100年先でも歌い継がれていく。僕はこれで十分ですね。でも、自分が頑張っただけでここまで来れたわけではなくて、聴いてくれる、応援してくれる方々がいるから、その人たちの心に残っていくわけです。これが音楽の素晴らしさなんです。

 ただ、日本という国はリスペクトをあまりしない国なんです。歴史を作った人を敬わない風潮があって、忘れられていってしまう。例えばアメリカはすごくリスペクトするという文化があるのですが、我々日本人もそうなってもらいたいというのが、僕の願いでもあるんです。実績を称えるということがどれだけ大事なことか、というのを僕はいつも思っているんですけど、どこまでいけば僕を最大限に評価してくれるのか、ということも考えて活動しています。

――五木さんへの評価は誰もが疑うことのないものだと思われますが。

 まだまだ全然十分じゃないです。僕が考えている100分の1ですね(笑)。美空ひばりさんは52歳という若さで亡くなられた。それは絶頂期で人生が途切れてしまったわけですが、その面影はずっと残っています。でも、長生きしてがんばった人たちは自分で自分を壊してしまう傾向があるんです。

――それはなぜですか。

 より頑張ろうという精神、もっと自分を評価してもらいたい、という思いがあるからです。例えば田端義夫さんや三橋美智也さんはもっともっとリスペクトされなければいけない方たちです。三橋さんはレコードを1億枚売った人で、そんな方は日本の歌手の歴史上いないわけですから。

――1億枚とはすごいです。

 それが意外とリスペクトされずに、忘れ去られてしまう。音源や歌はどこかに残っているけれど、テレビ番組などで改めてリスペクトして取り上げるかといったらほとんどないんですよ。だから僕は先輩たちをとにかくリスペクトしようと、自分の番組で三橋さんを取り上げている理由なんです。

こんなにも素晴らしいピアニストとギタリストがいるんだ

左から村治佳織、五木ひろし、清塚信也

――今回のカバーアルバム『DREAM -五木ひろし J-POPを唄う-』もチャレンジの一つなんですね。

 そうです。この歳になってこういうことができることが僕のチャレンジです。ファイブズエンタテインメントで例えると、チャレンジしたからこそ結果にも繋がり、今日がありますから。それを今どこまでやり続けられるかです。

 僕はiPodに自分の歌を全部入れてあるんですが、移動中に聴いたり、20代の頃はこんな歌い方をしていた、30代、40代の頃はこうだと、過去の五木ひろしに対する自分探し、その頃の歌い方や声、作品自体を今の自分だったらどうだったかとイメージするわけです。僕の長い人生の中で何も聴かない、考えないというのは全くないですから。そうすると、過去のアルバムの1曲だった歌を掘り起こしたりできる。「この曲を、今出したらいいな」ということで新たにボーカルをレコーディングすると、それは間違いなくヒットするわけです。

 ファイブズエンタテインメントを設立して、より一層自分が責任を持たなきゃいけない、声に対する想いというのも強くなりました。それまでは人に任せていた部分もありましたけど、もう任せられませんから。作曲編曲、レコーディングからトラックダウン、最後の仕上げに至るまで、僕は全てに立ち会っています。

――プロデュースワークもしなければいけない。

 これは記録だと思ってやってきましたからね。だから意外と若い時というのはできあがったものをただ歌うだけでいいと考えていた時代もありました。年々深く作品に自分が入ることで、時代を常に読まないといけない。流行歌を作らないことには、自分は「どうだ!」と自慢しても始まらないんです。もうこの世界は結果がすべてですから。

――『DREAM -五木ひろし J-POPを唄う-』もいろんな楽曲をずっと探し続けてきた中での選曲で。

 たくさん曲を聴きましたし、最初はもっと幅広く選曲していました。そこから絞り込んでこういう作品になりました。そして、ご縁を大事にしたいと思っていて、これが何十年前だったら清塚信也さん、村治佳織さんの2人とは出会わなかったのかしれないですから。

 『DREAM -五木ひろし J-POPを唄う-』というタイトルを付けたのも、生きている間は常に夢を持ちつつ挑んでいくことだから、という想いからが生まれました。こういう企画も五木ひろしという歌手だからこそ実現できたと思っています。J-POPを歌うという意味は、今J-POPがいいからそれに媚びようとか、そんな単純な想いではないんです。ただ、今J-POPが流行歌の中心になっていることは間違いないですけど。

――今のJ-POPは五木さんからはどのように映っているのでしょうか。

 日本のいい言葉をいっぱい使ってるんだけれど、サウンドなり作り方そのものは洋楽、あるいは映画音楽を聴いてるかのようなドラマチック性みたいなものを感じる所がいくつかあります。

――五木さんはギターとピアノを弾かれるますが、今回ご一緒したお二人の魅力はどう感じられていますか。

 僕はいろいろな楽器もやりましたけど、ピアノにしてもギターにしても、極限まで達してはいないので、自分にはできない世界なんです。こんなにも素晴らしいピアニストとギタリストがいるんだと、憧れでもあり、尊敬しています。今回、コロナ禍という状況もあったのでレコーディング期間も長かったのですが、その間にさらに彼らは成長していって。

――今作は3人で同時録音したとお聞きしています。

 同録というのはそこまでの準備も必要で、緊張感がまた違うんですね。緊張感が一番高まったときに録れて、その時のフィーリングでちょっと弾き方を変えたりとか、お互いの阿吽の呼吸でやりますから。

――レコーディングも含めて特に印象的だった曲はありますか

 今回、初めて歌う曲が何曲もありました。「雪の華」や「三日月」、「木蘭の涙」もそうですね。今回僕は歌を覚えることに時間を割きました。何回もオリジナルを聴いて、自分の身体にすべて入れ込むのにずいぶん聴きましたね。昔と今の曲は全く違っていて、よりドラマチックなんです。1番、2番、3番という分け方ではなくトータルして一つの歌なんですよね。ワンコーラス終わったから間奏があって、また2コーラス目というわけではなくて、2コーラス目との後にまた違ったメロディーが生まれてきたりして。

 例えば歌謡曲だったら、歌詞は違いますけど1番、2番、3番もほとんど同じメロディーなので、ある意味ワンコーラスのメロディだけ覚えればいいわけです。ところがこのJ-POPに関しては、今回の収録曲だと「三日月」や「雪の華」とか全然違うんですよ。だから途中で切ることができない。これが聴いていてとても参考になったし、J-POPの良さがわかりました。

――大きな違いがそこにあったのですね。

 今後の歌謡曲や演歌もこういったドラマチックさが必要だなと思います。今は配信などいろいろな形で音楽は手軽に聴けるわけです。そうすると、それは商品ではなくて、いつでもどこでも聴ける簡単な音楽になってくるわけです。

――今は配信というスタイルもあってか、歌から入る曲が多いみたいで、イントロがないんですよね。個人的にはけっこう寂しいなと感じています。

 昔の歌は、イントロにもしっかりしたメロディーがあったので、みんな覚えたものです。時代が進んでどんどんイントロの価値観というものが薄れてきました。だからテレビとかでイントロが簡単に4小節カットされたりするという時代になって。間奏や後奏もその対象ですよね。

 昔、テレビよりも前の時代はイントロには別の役割もありました、イントロが鳴ってマイクのあるセンターに辿り着くまでに時間がありました。なので、ある程度イントロの長さがないとダメなんです。だから作曲、編曲家もイントロに命を懸けていて、もうただのイントロという概念ではなくてひとつの歌なんです。

 今はその概念はなくて、歌からスタートしてもステージに板付ですから問題はないんです。そういった様々なところで音楽が変化しているということを、なぜ売れないのか、なぜ今はこうなっているのかと大いに考える時です。

――ちなみに、売れない音楽というものはなぜ出てきてしまうのでしょうか?

 きっと命がけじゃないからでしょう。僕ら歌手は出会った1曲で、自分を売るために命懸けになるわけです。でも作る人というのは無限に書けますけど、曲をもらった人はそれ1曲だけなんです。それと同じ思いで1曲ずつ作っていけるかどうかということが一番の問題だと思います。でも、シンガーソングライターというのは自分のことを歌うので、自分の思いをすべて懸けられるわけです。だから制限なくいろんなものが作れる。それが今の良さというところに繋がっていると思います。

五木ひろしが五木ひろしを壊してはいけない

――五木さんのビブラートはすごく個性があると思うのですが、このビブラートを身に付けた経緯にはどんなものだったのでしょうか。

 僕のビブラートについては村治さんも「独特のビブラートがありますね」と言ってくれてね。原点は子供の頃に聴いた先輩方の歌なんでしょうね、そのマネから入ったと思います。やっぱりすべてはモノマネから入りますから。そこから自分が経験していって、自分の中で編み出していく。僕はビブラートというのはなるべく自然につけられればいいなと考えています。

――あまり意識してはいけないのですね。

 ビブラートというのは、その人の独特の波なのですが、これが必要最小限でなければいけないという思いもあるので、時には入らない場合もあります。例えば、今作の収録曲で言うと「日本に生まれてよかった」の最後に出てくる<ふるさと>というところは、ビブラートを効かせる必要はなかったと感じたので、敢えてノンビブラートで歌いました。

――テレビで歌うということに関してはどのように考えていますか。

 テレビという世界で僕らは育ちましたから、自分を売るためにもテレビは絶対必要なものです。でも、僕が一番好きなのは、生で聴いてもらえるライブなんです。やっぱりこれが一番好きで、ライブに命を懸けてやってきました。僕は昔からお客さんに、テレビやレコードを聴くよりもライブの方がいいとよく言われるのですが、レコーディングは一番聴きやすいように歌っています。レコーディングというのは教科書的で、それをステージで表現するときはプラス要素を加えるんです。そうすると、そのレコードを聴いてライブ観たときにライブの方が良いと感じてもらえるんです。

――生が良いと言われる方々はそういうことをやられていたんですね!

 でも、その曲の最初にはレコーディングがあるので、ライブでもそれは崩してはいけないです。レコードで聴いて「いいな」と思ってる人たちがライブを観に来てくれたのに、それだと本末転倒ですよね。だから崩さずにプラスアルファをつけるというのがライブなんです。その基本というものは絶対忘れてはいけないことです。

――52年目、五木さんのこれからは?

 どこまでチャレンジできるかということへのチャレンジですね。どこまで自分を表現できるか、五木ひろしが五木ひろしを壊してはいけない、それを維持しつつどこまでやれるかという勝負です。もし、それができなくなったら、僕は歌手をやめていると思います。自分で作り上げた自分の歴史を自分で壊したくないですから。自分の理想に近づくために僕はとにかく歌い続ける、頑張り続けるしかないというのが今の心境です。僕はいま74歳で70代という時間はあと6年しかないですから。この6年間でどこまでやりきれるかというのが、最後の大勝負ですね。

(おわり)

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