矛盾のある「役者を続けること」への思い
――作品から少しそれますが、三浦さんご自身も今作に関連するような分野に近い勉強をされていたときに、いろんな研修や勉強の中でご自身もぶつかることがあり、結果自分は辞めるという経緯に至ったというお話を先程されましたが、そこから離れて現在は俳優になられキャリアも詰まれています。その中で俳優業を辞めようと思われた瞬間はありますか?
いや~それはあります、もう毎日辞めたいと(笑)。
――…言っちゃいましたね(笑)。
まあもしかしたら、何の仕事をしていてもそう思うことはあるかもしれないと思いますが…プレッシャーがすごいんですよね。元々の自分のメンタリティーは、どちらかというとインドアでネガティブな感じなので、多分僕はあまり人目に触れるのが得意じゃないと思うんです。
――なんか矛盾を感じますね。人目を触れるのがあまり好きじゃない、でも役者をやっていると(笑)。でもそんな状況の中で、役者、お芝居に携わることに面白いと思うのは、どんなところなのでしょうか?
もう矛盾しか感じない…んですけどね(笑)。まあ芝居はある意味自分を表現することなんですが、実は表現なんかしていなくて、台本のセリフをただ喋っているだけという部分もあって、実際に気持ちを込めなくてもいいと思うときもある。多分脚本のセリフというのは、脚本が命を掛けて書いてきていることで、そのセリフを言うことと、監督がオーダーしてきたことを実現する、それだけで実は気持ちって伝わるはずだし。
監督の思うディテールというか、こんな人物像で作っていきたいというイメージとか、そんなものを正確に顔の表情とか動きとか、そういうことで表現できる役者がいれば、もしかしたら感情なんてこっちは入れなくてもいいかもしれない。そういう“一体、役者って何なんだろうか?”というところは非常に(笑)、面白いと思うんですよね。
また映画なんかは、実はお客さんの前には立っていないし、僕自身もその中では芝居ということだけしかしていないので、そこは非常に面白いです。だけど逆に舞台とかは本当に苦手。何度かはやっていますけど、やっぱり人前に出るというのがあまり好きじゃないし。
――でも映画が出来上がり、観客の反応を受けたりすることは、嬉しく思われるのではないでしょうか?
いや、それは当然嬉しくも思います。ただ褒めてくれることより、この映画に対して“そんなことを感じるんだ”みたいな反響をもらえるこのほうが、すごく面白いと思うというところですが。
――なにか興味深い観点ですね。そんな中で役者ということを辞めずに今まで続けて来られているのは、どんなモチベーションがあってのことなのでしょうか?
僕のモチベーションの原動力は、やっぱり面白い監督とか、面白い役者がいたりというところが一番かな、と思います。まあ映画って、結局見てもらわないとしょうがないので、お客さんの反応も大事なんですけど…芝居という部分、というか。観客に見せるものとしての芝居じゃなくて、ある意味たとえば何かの場面で、“この二人だけの、この空間としての芝居”みたいなものがすごく好きなんです。
今回共演した阿部さんなんかも、撮影の中では“そんなことをやってくるんだ”というのがすごく楽しいんです。具体的なところではなくて「こんな顔をするんだ」「このセリフを、そのテンションで言ってくるんだ」というような、すごく細かい部分なんですけどね。だから芝居だけやって、人に見せなくていい、というのが一番楽しいかもしれません(笑)。
――なかなかそうはいかないですね(笑)。
そうですよね。仕事として成り立たない…(笑)。飯を食っていかなきゃいけないし。