俳優の三浦貴大が、名匠・佐々部清監督の遺作でもある映画『大綱引の恋』に主演した。三浦は鳶職・有馬組三代目の主人公・有馬武志役で、鹿児島で400年以上の歴史と伝統を守り続けている川内大綱引を題材に、彼の家族や彼自身の愛の物語を描く物語を全身全霊で表現している。生前「映画は準備がすべて」と語っていたという故・佐々部監督との共同作業は、自身の俳優人生において大きな出来事だったと述懐する。
三浦は2010年、映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』でデビュー。同作で第34回日本アカデミー賞新人俳優賞および第35回報知映画賞新人賞を受賞するなど彼にとって華々しいデビューとなり、以来10年、着実にキャリアを重ね、あらゆる役柄を演じる実力派へと成長を遂げた。そして11年目、「楽しく生きていくことを模索しています」と今の心境を語る。話を聞いた。【取材・撮影=鴇田崇】
年月は意識の中にはない
公開が2010年だったので今年でデビュー11年目になりますが、今みたいに言われると気づく程度で、これといって年月は意識の中にはないですね(笑)。ただ、キリが良い数字ではあったので、2010年から始めて10年、10年もやっていたんだな、くらいの感じではありました。気にしないといけないこともあるのでしょうけれど、普段はあまり気にはしていないですね。
――「気にしないといけないこと」とは、どういうことでしょうか?
歴みたいな区切りは全然大事ではなくて、年齢が上がっていくごとに役柄なども求められている内容が変わっていくので、そのあたりを意識していくことは必要なのかなとは思っています。昔みたいに大学生の役などはもう来ないですし(笑)。
――今回の作品も恋愛が主題でしたが、この先は減るかもしれない(笑)?
そうですね(笑)。恋愛をする作品はなかなか少なくなってくるとは思います。
――今回の作品、若い男女の恋愛がメインではあるのですが、それにまつわる人間ドラマが豊潤で、力強くて優しくて、見応えのある作品でした。
個人的には佐々部監督との出会いを含め、本当に思い入れがある作品なのですが、観てくださる方は、そういうことを一切気にせず、一本の映画として観てほしいですね。それが監督も望んでいることだと思います。静かな作品であり。家族のきずなと人のつながりをも描いている映画です。今は家からなかなか出られず、人と人との物理的なつながりが薄くなっていますが、これを観れば人とつながっていくことは大事だなと感じてもらえると思います。
映画は準備、佐々部監督の言葉
――監督の遺作になりましたが、今回の作品をどう受け止めてますか?
このタイミングで佐々部監督にお会いできたことが、僕の中では一番大きいことでした。本当にいろいろな作品を作ってこられて、監督になる前も助監督として活躍され、ザ・映画人という方にお会いできたことが本当に大きかったです。僕も普段から映画をやりたいと思っているので、そういった中で佐々部監督から愛ある映画の話をいろいろと聞けたことが大きかったですね。
――どういう話をしたのですか?
映画はどうやって作り、どういう心持ちで作るのか、という話なのですが、一番印象に残っていることは「映画は準備だ」ということ、です。撮影期間を本番みたいな捉え方をすると、それ以前の本番に向かうまでの準備をどれだけしたかで映画の質が変わってくるという。それは監督だけじゃなくほかの部署も当てはまることで、俳優部もそう。どれだけ準備したかで映画の質が変わってくるという話をされていました。
それはある意味、当然だろうと思うのですが、それをきちんと言葉にして、あれだけのベテランの方が今でも意識をして、しっかりと準備をして作品に臨む。そういうことを、ずっとやっている方だなと感じたのですごいなと。
――みなさんそれなりに役作りなどされると思いますが、そういう次元ではない?
監督のそれは、僕の想像を超えたレベルでした。撮影中にイレギュラーなことが起こっても大丈夫なんですよ。たとえば大雨で撮影が不可能になっても、設定を室内に変えられるように準備してある上に、そのロケ地も先に抑えてあるんです。その状態まで持っていけるのが、佐々部監督のような気がします。
――想定の範囲が広すぎますね。
そうですね(笑)。もしかしたら使わないかもしれない素材がたくさん出てしまうかもしれないけれど、この作品で言うと、たとえばお祭りのシーンが何らかの事情で撮れなくなったとするじゃないですか。でも監督は歴代のお祭りを、2年前くらいから映像を撮ってあったんです。エキストラが集まらない事態に仮になっても、その映像を組み合わせればお祭りの映像になる状況をあらかじめ作っていたんですよね。
――それは凄まじいですね。
ズバ抜けていますよね。そこまで丁寧にやって何が起こっても大丈夫なような状況にしておくという。役者は自分のロケ地を自分で抑えたりはしないですけど、僕らもそれくらいの気持ちで映画に臨むべきなのだろうなということを学びました。
――俳優部としては、どう応用するのですか?
相手の役者さんが何をしてくるか考えられうる予測をして、何パターンも用意して撮影に入るということも、もしかしたらいいことかもしれないですね。その場でではなく、準備していたところからチョイスするみたいな。それは準備ということで言うと、ありなのかなと思います。
――この仕事への愛を受け継がれたことは、しあわせなことですね。
本当にそうですね。この作品に関われてよかったなと思うことです。これが一番ですね。
忌野清志郎さんが遊びに来ていた
――さて、俳優業は身を削る仕事で負荷も大きそうですが、バランスを取るためにしている趣味などはありますか?
あまり意識して何かをしていることはないんです。逆にこの仕事は、仕事に生かそうと思えば何でも生きてしまうという側面があり、そういう意味で言うと、あまり意識しなくてもいい。本当に居酒屋で人と話しているだけでも仕事に生きてくるので、仕事のことばかり考えてしまうんですよね。カメラや絵をやるんですけど、それは芝居に役に立つかもと考えちゃう。なので何も考えないようにしています(笑)。
――仕事人間ということ?
どうなんでしょうか(笑)。芝居が好きなんだと思います。仕事は嫌いですけど(笑)。仕事に関してはポリシーがあり、1円でも発生したら仕事なんです。それゆえに100パーセントの力でやらなければならない。高かろうが安かろうが、同じ力でやる。ただ、あんまり好きじゃない。義務みたいになってしまうので。
――でもお芝居は好き?
そうです。だから何人か集めて駅前で自由にやっている感じが一番いい。仕事になると、好きなだけではできない。そのせめぎあいはずっと続いていくでしょうね。
――バランスを取るという意味で、音楽は日常にあったりしますか?
僕は邦楽を聞くことが多いですね。もともと父が忌野清志郎さんと同級生ということで仲良くしていたので、清志郎さんがチャリで家によく遊びに来ていたんです。なのでRCとか清志郎さんの曲も聞いていました。その影響でサム・クックも好きですね。すごい人だなと、当時は思いました。最近だとRADWIMPSですね。僕は野田洋次郎さんと同い年なので、曲の内容もよくわかるんです。
「真剣に遊べよ」意識していること
――仕事は義務的なものだとして、やる気や原動力はどこにありますか?
中学、高校、大学時代と、たまにお会いしていた尊敬している方が、「真剣に遊べよ」とよく僕に言っていました。真剣に遊ぶと、遊びたいから金が必要になり、そのために仕事をすると。真剣に遊ぶために真剣に仕事をするようになると。その考え方を今でも大事にしていて、シンプルなんですけど、いつも意識していることです。
――ひとつの真理を説いていますよね。
僕は理屈っぽいんです(笑)。そういう理屈で動いているところはあります。物事を順序立ててやることが好きみたいで。
――先のことは考えますか?それこそ次の10年とか?
芝居は趣味でやって、仕事は別でもいいかなと思うことはあります。主軸が俳優じゃなくてもいい。生活できるだけのお金があれば、芝居を趣味にして別の仕事をやって生きていくというのも、悪くはないなと思っています。
――多様性の時代ですからね。
もともと肩書が自由な仕事なので、役者だから芝居をしていますけど、芸人さんが芝居をしたって上手いし、ミュージシャンが芝居をしたって上手い人は上手い。誰が何をやってもいい感じになっている時代で、こだわり方はいくらでもあると思います。
――この先の三浦貴大さんは、どう発展をしていくのでしょうか?
何も決まってはいないです(笑)。でも自由になっても、いいかなとは思う。趣味のカメラで言うと、この作品に出ている中村優一君の写真集を去年、僕が出したりしていて。自分らしくというか、自分が楽しく生きている方法を考えているところです。