音楽は僕の唯一の明るい部分――、三浦貴大 実体験と芝居のバランス考えた『栞』
INTERVIEW

音楽は僕の唯一の明るい部分――、三浦貴大 実体験と芝居のバランス考えた『栞』


記者:桂 伸也

撮影:

掲載:18年10月26日

読了時間:約15分

 俳優の三浦貴大が主演を務める映画『栞』が10月26日に全国公開される。医療の道を志す主人公が、その現場で様々な挫折を経験しながら、なおも希望を見出していこうとする姿を描いたこの作品は、その印象深いストーリーで公開前から各方面で大きな反響を受けている。自身も学生時代に医療と密接に関連した学科を専攻していた三浦だが、作品では様々に直面する絶望の場面に打ちひしがれながら、それでも生きていこうとする一人の男性の姿を淡々と誠実に演じている。今回は三浦に、映画を取り組む中で感じた作品への思いなどを、自身の音楽への思いや役者という職業への思いとともに語ってもらった。【取材=桂 伸也/撮影=冨田味我】

過酷な瞬間と常に隣り合わせの、医療の現場を描いた作品

 『栞』は、理学療法士として日々患者と向き合う主人公の男性が、医療の現場で様々に現れる困難に苦しみながらも、希望を求めて前進しようとする姿を、医療の現場、家族とのつながりなど様々な視点を通して描き出したストーリー。元理学療法士の経験を持つ榊原有佑監督が、その自身の経験を基に物語を描いている。また作品は4月に『第8回北京国際映画祭』でワールドプレミア上映がおこなわれ、現地からは事実に真摯に向き合ったこのストーリーに、様々な反響が寄せられている。

 今回、主人公の理学療法士・高野雅哉役を三浦が担当。その父の稔役を鶴見辰吾、妹の遥役を白石聖、三浦が担当する患者の一人で、半身不随となった男性、藤村孝志役を阿部進之介が演じる。他にも池端レイナ、前原滉、池田香織、福本清三ら実力派、個性派俳優が集結している。

 近年は役者として話題作にも多く出演を果たし、活発な活動を見せている三浦は、学生時代はスポーツ健康科学を専攻、神保健福祉士を目指して勉学に励んだ経歴がある。さらに大学ではライフセービング部に所属し、ライフセーバーとしての資格を取得するとともに、学生の大会でも高い成績を残しており、本作の役柄を演じるに当たっては、近いバックグラウンドをもって撮影に臨んでいる。

 また、本作のテーマソングには、アメリカ、ミズーリ州セントルイスに住み、18歳の若さで他界した青年、リアム・ピッカーさん作曲による楽曲「Winter」が起用されている。ピッカーさんは才能溢れる若きピアニスト兼作曲家だったが、2015年に鬱病を苦に自ら命を絶った。

 この楽曲をNY在住の日本人ピアニストである西川悟平が演奏、その音源が映画のエンドロールで流れる。西川は2004年のリサイタル中に、指に不調をきたし、一時は両手が使えなくなったが、その後の懸命なリハビリとカウンセリングの結果で現在は7本の指が動くまでに回復。ピアニストとしての活躍を続けている。「Winter」は西川がアメリカのカーネギーホールの大ホールにて世界初演として演奏、当時はアメリカやヨーロッパのメディアにて大々的に取り上げられた。

「監督の思いをそのまま表現」演技として壁になった“ちゃんと芝居をすること”

――今作品はメガホンをとられた榊原監督が、理学療法士としての経験を基に描かれたということで、非常にリアリティーがあるとともに重くのしかかってくるようなシリアスさを感じました。この作品の撮影に臨むにあたって、三浦さんご自身は演じる上で大切にしようと考えられたポイントなどはありますか?

 作品に入る前に監督とお話をさせていただいた際に、監督がこの作品に掛けた思いなどをおうかがいできたので、僕はやっぱり監督の思いをそのまま表現することに今回は全力で望んだような感じですね。本当にヘビーな話だし、この本を僕が最初に読んだときに、どんな人がどんな思いで書いたんだろう、というのがすごく気になったので、撮影前に監督とお話をする機会をいただいたんです。

――その際には、榊原監督が三浦さんにオファーされた理由などもお話を?

 いただきましたね。この役柄に関しては、まず理学療法士という仕事に対して理解がある人という点。僕自身も似たような勉強をしていたこともあります。また病院で実習経験もあり、知り合いにもその仕事に携わっている人が沢山いる。また学生時代にレスキューをやっていた経験もあるので、命と向き合っていた人、という点で今回の主人公・雅哉のイメージにピッタリだと。だからそこで「是非そういう人に…」と言ってくださり、こちらからも「是非」と参加させていただいた次第です。

――元々その方面の勉強をされて知識があったということが、現場では演技に対して逆に壁になったこともあったのではないでしょうか?

 確かに命に対しての話というのは、すごく重く受け止めすぎるというところがあります。全くそういう経験を持っていなければ、それを想像しながら演じるという格好になると思いますが、“それは果たして芝居なのか?”という感じになってしまいますし。“しっかり芝居をしよう”という意識をしないと、ちょっと難しかったかもしれないです。

三浦貴大

三浦貴大

――何かに引っ張られるような印象を受けるところも、出てくるかもしれませんね。

 本当に芝居をしなければいけない部分って、多々あると思うんです。たとえば大げさにいうと、雅哉はある場面でその話を聞いて“悲しむ”けど、たとえばそれが雅哉ではない僕だったら、“怒り”が出てくるだろう、というところもあるかと。だから経験上の話とかだけだと全く感情が違ってくることもあるので、そこに違和感が出ないようにちゃんと芝居をしなければ、と思いました。

――三浦さんは、今は俳優として活躍されていますが、元々このドラマの役柄のバックグラウンドに近い方面の勉強をされていたということで、たとえばストーリーで描かれているように、自分が向き合った患者を救うことができなかったという状況に近い場面に遭遇する機会もあったかもしれないですね。実際に三浦さんがこの状況に遭遇したとしたら、この状況を受け止められたと思いますか?

 いや、受け止められないんじゃないですかね。僕もまあレスキューをやっていて、雅哉は理学療法士を続けてきましたけど、僕がそういう状況になったときに、僕は辞めたので…僕としては、受け止められなかったと思います。

――では三浦さんがそういった現場から受ける印象も、より強いのではないかと思います。たとえばそういった印象を受けることで出てくる感情として、やはり演技に影響するものもあったのではないでしょうか?

 そうですね。この雅哉という、ストーリーの最後まで生きている人間が、次の世代へつないでいくという行為を見せることは、ある意味、監督と僕ができなかったことで、僕たちにとって雅哉は希望なんです。だから自分にできなかったことをやってくれる雅哉という人物について、僕は“憧れ”を持って演じていたような気がします。

――その一方で、あくまで自分のうちから湧き出るものというよりは、本当に一つのイメージにずっと忠実に演じられてきたということですが、それは逆に演技としては、ある意味難しいところもあったのではないでしょうか?

 確かに難しいです。やっぱり自分に近しい人物というのは、いつもすごく難しい。自分の感情じゃなくて、そこではあくまで芝居をしなければいけないので。そこのバランスはいつも難しいなと思っています。

三浦貴大

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――今、雅哉という役は監督、三浦さんにとって希望の存在であるというお話がありましたが、そんな意味を込めて今回の作品は、観客に対してどんな風に受け取ってもらえたらいいな、と思いますか?

 まあせっかく映画なので、こちらのメッセージというよりは、やっぱり見て感じてもらうことが一番なんじゃないかなと思います。特にこういうテーマだと、人それぞれ感じることが沢山あると思うんです。その中で、僕もそう、監督も多分そうだと思いますが、死を描くことによって生を感じてほしいということをテーマとしてやっていたので、やっぱり生きている人間に目を向けてほしいという気持ちはあります。

 だから、たとえばもっと狭い範囲で受け止めてもらってもいい。この映画を見た後に、ちょっと頭の中に出てくるくらいでいいんですけど、ちょっと家族のことを思ったり、友人のことを思ったり、親しかった友人なんかのことを“あいつは今、何をしているんだろうな…”みたいな、くらいのことを思ってもらえれば、僕は十分だと思います。

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三浦貴大
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