サンクチュアリがあれば倒れない
――ケースからCDを外すとそこに、“自然体そのもの”の笹川さんが写されていて。こちらはかなり動揺したのですが(笑)。でも、音楽的にも裸なんだなということがお話を聞いていてわかりました。
これをスタートにどんな色にでもなれる様に、という感じです。モノクロのトーンになっているのもそういう意図があります。今回は皆さんから曲も頂いているので「こうだ!」というよりも「漠然と」というイメージだったので、余計な物はいらなかった。新しいアーティスト写真はさすがに着ていますけどね(笑)。
アートワークもずっと菅渉宇さんに担当してもらっています。彼なら今回のビジュアルも特別取り上げなくてもよい、必然性のあるものにしてくれるんじゃないかと。心配も特にありませんでした。私はグラマラスでもなんでもないし、エロスがないので。
――「エロスがない」という話と関係しますが、収録曲の「きぬぎぬ」を提供された浜田真理子さんが「声がエロいから、エロい曲を書いた」とTwitterで笹川さんを評していたことを思い出しました。ストリングスの効いたアレンジも素敵で。
浜田さんにはズバりそう言って頂きましたね(笑)。「きぬぎぬ」のアレンジはいつもお願いしている山本隆二さんです。アレンジにも私は口を出す事がそんなにないんですよ。というのも、アレンジャーさんがどんな編曲をしてくれるのかが楽しみだからなんです。それで、このアレンジが上がって来ました。弦満載ですごく格好良いですよね。これはこの世界にどっぷり浸かって歌うものにしようと思ってレコーディングに臨みました。
あと、一番歌いこなすのに時間がかかったのは「紫陽花」でした。それはまず、私の中にはないリズム、今までにない曲調だったという事が1つ。それから、そもそも皆さんのオリジナル曲が良いので、それを自分の中に流し込み、自分色にして出すバランス感が大事だと思っていたんですよ。オリジナルの色と自分の色の加減で一番難しかったのが「紫陽花」でした。全部自分を出し切っても「新しい世界」の意味がない。
結果としては、とてもバランスの良い作品になっているんじゃないかなと。それから、初めて自分以外の方の曲を歌ったアルバムなので、自分で聴いても自分の曲じゃないみたいな変な感じがします。他のアーティストさんの曲を聴いている気もするけど、自分の声なので。
――そういう意味では、自分のエゴが限りなくない作品になったという事なのかもしれませんね。
エゴが少ないのが逆に問題なのかもしれませんが(笑)。歌う時に「ここを譲ると笹川美和じゃなくなる」という一線は、15年やってきてどうやら掴めている様なんです。そこを冒される事はしたくなくて。言葉遣いだったり、メロディの癖だったりというのを守れれば、あとはフレキシブルに楽しく歌いたいなという気持ちです。
――なるほど。それが唯一の自作曲「サンクチュアリ」(聖域)という事なんですか?
そうなんですよ。4年ぶりに出すので、待っていたファンの方に私の曲がないのは失礼かなというのがあって。それから、一応自分もシンガーソングライターであるという事もありますし、先ほどの「ここが私なんだろうな」というのがあるからこそ、他の人の曲を歌うのに抵抗がなくなったという意味も込められています。
私も人間なので、この4年の間に色々ありました。ちょっと精神的にきついなと落ち込んでいる時期があったんです。自分の価値とか存在意義を疑っていて。でも、やっぱり「私にはまだ音楽が残っている」と思ったんです。歌っている時はしっかり二本足で立って歌えている。
その部分がなかったらきついんですけど、音楽があるから倒れずにいられたんです。そこを拠り所にしているというのがあったので、それを歌ったんですよね。どんなに外部からの攻撃やらがあったとしても、サンクチュアリがあれば倒れずにいられるんだと気づいたから。音楽という物が自分にとって大事な物だと。前に行くしかないんだな、という事もあって。それをただ歌にしたという感じですね。
――「サンクチュアリ」もしっとりと始まって、後半からカラフルなサウンドになりますよね。それはその心境とも重なるのかもしれませんね。
そうですね。「後半から盛り上がる様に!」とアレンジャーさんにお願いしていたんです。辛かった時期を抜けて、今はこれまでで1番恵まれた楽しい環境にいるので。デビューからは15年ですけど、この作品を出す事によって新たなスタートラインに立てたなと。
辛い日々の中でも楽しい事があったり、結局楽しい事も続かないけど、辛い事も続かないという事もわかってきたんです。前に進んでいたら何とかなる、だから後退だけはしないようにしようと思っていました。どう考えても過去には戻れなくて、横にそれても目指す景色が近づく事もないので。
自分を鼓舞する意味もありますし、もう作品として出してしまったから「音楽でやっていく」という覚悟がさらに定まりました。