歌詞の解釈は聴く人によって様々だ。ミュージシャンにインタビューすると、歌詞に対する考え方はそれぞれで、自身の経験を歌詞に詰め込む人もいれば、完全なフィクションだという人もいる。でも、共通しているのは「解釈がいろいろあって良い」ということである。

 あるシンガーソングライターはこういった。「生み出す時は思い入れは強いが、出来上がったあとはリスナーのもの。私の手を離れてリスナー自身がそれぞれの解釈で感じてほしい」。

 また、音楽ユニットのボーカルはこう述べた。「音楽の歌詞は解釈がいろいろあっていいと思う。だから敢えて断定できない曖昧な言葉を使っている」。

 日本でもヒットを飛ばす米歌手は「音楽の素晴らしいところはいろいろな解釈ができるところ。ひとつのメロディーやひとつの言葉で様々な世界が広がる。題材は私の経験談だとしても、聴く人によって変わるもの」。

 人によって解釈は異なる。特に限られた文字数で表現する音楽の歌詞はそうした傾向が強い。当然、そうではない音楽ジャンルや敢えてストレートに表現させる曲もある。

 小説などもそうだが、読んだ時期によって解釈は変わることもある。しばらく経って読み返したときにあの頃に気付かなかったことに気付くこともあり、新たな発見を得るこもしばしば。音楽も同様だろう。

 先日、歌詞の内容がリスナーの心情への配慮が欠けたとして一部から非難を浴びた楽曲があった。その歌詞はきっと、傷つけられたと思ったリスナーには、作者の意図とは異なる別のカタチに映ったのだろう。

 それは言葉の難しさでもある。発信者の本心はそうではなくても、受け取り手の環境や心の状況、経験、世代などによって捉えた方は変わることもある。

 同じ言語を使う国内でさえそうしたことがあるのだから、文化や歴史が全く違う世界各国が理解し合うのは大変なことだ。だからこそ、その言葉の真意を知るために、歴史や文化、人間性、価値観などを学ぶのだろう。

 互いの理解があって成り立つ――。実はいま保たれている均衡というのは、細いロープの上にあるのだということを考えさせられる。【木村陽仁】

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