冨田勲氏、追悼公演で初音ミク 生涯に渡る冒険の集大成を見る
冨田勲氏の遺志が体現化された追悼公演「ドクター・コッペリウス」。初音ミクが優雅に…(C)Crypton Future Media,INC.www.piapro.netphoto by 高田真希子
シンセサイザー奏者の第一人者、音楽家の冨田勲さんの追悼特別公演『ドクター・コッペリウス』が11月11日・12日の2日間、東京・渋谷のBunkamuraオーチャードホールでおこなわれた。今年5月5日に亡くなった冨田氏の未完の遺作『ドクター・コッペリウス』だけでなく、それへの布石になった『イーハトーヴ交響曲』、さらにエイドリアン・シャーウッドによる『惑星 Planets Live Dub Mix 火星~水星~木星』もパフォーマンスされるという特別な夜となった。クラシックの枠や常識を超えて、挑戦し続けた冨田氏。彼の遺志を堪能する事となった、この公演の様子をレポートする。=本文の故人名は敬称略=
オーチャードホールは満員だ。会場では上演の直前から、携帯の電波が入らなくなった。しばし日常を忘れてこの瞬間に起きる事を全て見て聴きたいところだ。合唱団に続きオーケストラが入場。いよいよ本編が始まる。
第1部は『イーハトーヴ交響曲』で幕を開けた。冨田が初めて、ヴァーチャル・シンガーである初音ミクをソリストとして起用した作品である。彼は日本人として、モーグ・シンセサイザーを最初に使い始めたことで有名だが、生涯に渡って冒険を続けた。そして、今夜がその集大成である。
合唱に続いて、演奏が始まった。牧歌的な演奏に続いて不穏なストリングス。パーカッションが入ってくる。昔のアニメソング風に少年少女の合唱が配置されている様に感じた。ここで初音ミクは妖精の様な存在でひらひらと現れては消える感じ。男性の合唱、女性合唱、そして初音ミクの仮想の声。この3者が溶けるのか、溶けないのかというせめぎ合いを興味深く聴く。
エキゾチックな場面でも踊りながら歌う初音ミク。決して難しい和声やリズムが出てくることは無いのだが、異なる存在が同じタイムライン上に存在している異様さを感じた。作品の下敷きとなっている、宮沢賢治の詩世界と一体化した冨田の音像を堪能することができた。
ここで「お好きにお楽しみください」とクラシック的なコンサートでは異例のアナウンスが挟まれてから、エイドリアン・シャーウッドのダブミックス「惑星 Planets Live Dub Mix 火星~水星~木星」がスタート。
英国のダブミュージックを牽引してきた第一人者によるリアルタイムダブ。今回の客層を見る限り、この様な音楽を初めて聴くという人も多かったと思われる。エイドリアンによるDJセットに加え、ストリングスとコンガによるアンサンブルも演奏に加わる。冨田が再構築したホルストの『惑星』がさらに切り刻まれ、エフェクト効果が加えられていった。ホールに響く重低音というのは、日本では珍しいことだろう。
イヤーモニターを各自が装備した生演奏陣は、しっかり譜面を見て演奏する。そのところを見ると、この演奏はしっかり編曲されていたと予想される。自由にプレイしている様に見えたエイドリアンだが、どの様にアレンジしていたのかが気になるところでもあった。
エイドリアンは、サンプラーも叩きながら演奏を展開していく。途中退席も席を離れて聴いても自由との事で立ち上がって前方で踊る若者の姿も。照明の演出も効果的に使われていた。演奏が終わると大きな歓声と拍手が贈られた。
休憩をはさんでからいよいよ第2部。『ドクター・コッペリウス』が始まる。この作品のスコアは未完成。生前冨田氏が信頼をおいていたスタッフたちが、遺されたサウンドデータを基に補完した作品だ。つまり、冨田氏は最後の最後に大いなる余白を我々に残したことになる。
さて、作品は第0楽章、第3章~第7楽章(第1楽章・第2楽章は未完成のため欠番)による全6楽章によって構成されている。音楽だけでは無く、ストーリーも冨田氏自身の原案によるもの。羽衣伝説や、先の大戦、それから空や宇宙への憧れという、色々なモチーフが登場する。おとぎ話の様な、現実の様な、いやいやおとぎ話の様な、という不思議な物語だ。
舞台には中央で2つに割れたオーケストラが配置されている。その中央部、楽団の前方でダンサーたちが舞い踊るという方式で作品は進行。冨田氏の遺産をプロジェクトメンバーが再構築して作り上げた、第0楽章『飛翔する生命体 Ascending Life Form』はエレクトロニクスによる音響だけで作られていた。その中で、現れる白衣を着たダンサー。
そして欠番となっている第1、2楽章をスキップして、第3楽章『宇宙へ Into The Outer Space』。渡邊一正が指揮棒を振って、ようやくオーケストラが走り出すと、爽やかで可愛いサウンドが提示される。しかし無調なピアノが鳴ったり、シルキーなトランペットが配置されもする、かなりユニークな出だし。また、曲の見せ場として使用される大胆なポリリズムにも驚いた。冨田氏は現行の音楽シーンもチェックしていたのだろうか、それとも自然と着想したのか。色々な事を考えさせられた。
初音ミクがミク役としてスクリーンに登場する、第4楽章『惑星イトカワにて Landing on The Asteroid 25143 Itokawa』。スクリーン越しにコッペリウス役の風間無限がミクとデュエットする。「人間とスクリーンの中のミクが手を合わせて踊る」というのはとても不思議で、ロマンティック。そんな光景と音楽は拮抗する。ミクがヴァイオリンとユニゾンして、すくい上げる様に上昇するメロディがとても美しかった。同じメロディをファゴットが交互になぞっていく。
第5楽章は『嘆きの歌 Song of Grief』。作曲家ヴィラ=ロボス作曲の『ブラジル風バッハ第4番』の第2曲「コラール:奥地の歌」に基づいた楽曲である。コッペリウスがミクをスクリーンの外に引っ張り出そうとするが、叶わないシーンはとても切ない。その後様々な位置で鳴る、電子音がセクシーに響いた。さらにはオルガンも登場してドラマティックな展開を作り出す。
風の様なノイズが現れて第6楽章『時の終わり The End of The Time』、曲が進むに連れて段々と盛り上がっていく展開。エレクトロニクスとオーケストラが上手く共生していたのが印象的だった。トランペットがメロディを吹く部分は音の強弱がとても気持ち良い。見せ場の部分は花が咲くような趣があった。
最終章である第7楽章『日の出 Rise of The Planet9』は、光のアートから始まる。周期的な音響が鳴って、その中心を割る様にオーケストラがイン。8人の天女が現れ、可愛らしく踊る。シンバルが鳴り響いてからのトゥッティ部分では、光の演出もそれを盛り立てていた。
エンディングでは、コッペリウスが生き絶えようとする中で、幻想的な光景が広がる。音楽も同様でハープと溶け合う音響による甘美な音像の中をミクの声が浮かんでいく。天国の到来を予感させるような演出だった。段々とオーケストラが合流し、最後は大団円を迎えた。
演奏終了後は大きな拍手が起こり、それが約5分続いた。客席の中心部で観劇していた冨田氏の遺族にもリスペクトが贈られる。天国の冨田氏はこの光景をどう思っただろうか。そして、この大いなる余白を残した作品がこれから先どの様に演奏し継がれていくのか、そんな楽しみも予感させる演奏会であった。
なお、2017年4月に、すみだトリフォニーホールで再演が決定した。詳細は後日発表される。(取材・小池直也)