社会と関わりを絶った少年期、近藤晃央 あの頃に送る「アイリー」
INTERVIEW

社会と関わりを絶った少年期、近藤晃央 あの頃に送る「アイリー」


記者:木村武雄

撮影:

掲載:16年04月23日

読了時間:約17分

立ち止まることも前向き

近藤晃央

近藤晃央

――少年期の頃は現実逃避をしていたけど、2年前はしっかりと向き合えたんですね。

 向き合えたというよりかは…。音楽をやめようかなと考えていたから、多分向き合えてはいなかったんでしょうね。向き合えなかったことで気付いたこともあったから、必要なことだと思ったんだと思います。

――小学生の時と2年前とで違うのは音楽があるかないかだと思うのですが、音楽があったことで、向き合えなかった自分も一歩置いて見ることが出来たということですか。

 それもあると思いますし、音楽だけではなくて、周りに対する意識も変わりましたね。当時は家族もプレッシャーのもとだったので「それは俺のことを心配をして言っているのか」という感覚もあったんです。でも今は、当時、親が考えていたこともなんとなく理解ができるんですよ。大人になったからわかった部分もあるので、音楽があったから前向きになれたというだけではないと思うんです。

――言葉だけでは伝わっていない近藤さんへの想いがご両親にはあって、それが行間という余白だとしたら、それは近藤さんの歌詞にある“余白”に繋がっている部分もあるかもしれないですね。

 音楽をやるために生まれてきたとか、ミュージシャンになる才能があるとは自分では思わないんですよね。いわゆる社会から離脱して、褒められたような過去を持って大人になれなかったという情けない自分を、その時期が、必要だったと思えるかどうかはそのあと次第ですよね。その時に培った神経質なところや過敏さで今の音楽を作っているので、引きこもりは肯定できないですけど、僕の中では立ち止まることも前向きなんじゃないかなと思います。当時に対する後悔もあるけど、今は外に出られたのでその活かし方を考えているだけかもしれないですけど。

――5年後、10年後こうなっていたいという自分像はありますか。

 ライブ会場、CDの売り上げも上がるという現実的なところも含めて、活動の基盤を大きくしていきたいですね。そうしないと音楽を続けていくのも難しいですからね。ただ感情的な部分で時代や社会に貢献できるとしたら、環境やきっかけを作れる大人になりたいと思います。環境は自分で作るものかもしれないけど、きっかけなど具体的に提案できるのは大人なのかなと。音楽が好きな学生とかにプロの現場を経験させる場所を提供できたらいいなと思いますね。他には、今は子供よりも大人の方が敏感になっていたりするので、音楽を通じて子供と大人のコミュニケーションのフィルター役になれたらいいな。

――『アイリー』はその10年後に向けてどのような位置付けにありますか。

 僕はどんな作品を作ろうと根本的には変わらないので、アルバムという曲の集合体の作品は、その都度違うコンセプトを持っていたいなと思っています。変わっていく自分と変わらない自分を照らし合わせながら毎回新しいものを作っていけたらいいなと思うので。これは継続するもので「出来たから終わり」というわけではなく、この作品が出来たから次に描きたいものが見えてくると思う。その位置付けはそれぞれ別の場所にあるので。

耳に入りやすい音楽づくりを

近藤晃央

近藤晃央

――ところで「月光鉄道」は歌詞が韻を踏んでいたりしてますよね。

 正しく韻を踏めているわけではないんですけどね。まず耳に入らないと意味がない。耳に入るためには韻を踏むことが全てではないんですけど、それが覚えられるメロディに繋がるんです。お尻が同じメロディラインなら母音は揃えた方が良いかなという感じです。表現方法はいろいろあるわけですよ。わかりやすい言葉であると同時に音楽的なものというのが前提としてありますね。

――「なんのおと?」は面白い曲調ですね。

 昔なら100%作らないタイプの曲だと思います。この曲を作った経緯には「六月三日」という姉に書いたウェディングソングがあるんですけど、この曲で描いている嬉しさとは何かと考えた時に、姉が結婚したことが自分のことのように嬉しかったんです。自分が涙が出るほど嬉しかったのはこれが初めてだと思うんです。姉が生まれてからのことなどを想像して今まで考えもしなかったような、家族の絆について初めて考えるきっかけになった出来事だったんですよね。そして、姉に子供が生まれて、その子供と共通言語でコミュニケーションが取れて、さらにこの子の成長を見ることが出来ているという気持ちの中で「なんのおと?」は出来ました。

――俳優もやられていますが今後も継続していくのでしょうか。

 デビューした当時にやらせて頂いたんですけど、今はそんなに比重を置いていないですね。自分は音楽人だと思っているので。

――芝居もやることによって表現の方法が変わってくるのかなと思いまして。

 良い方向に考えたらそうかもしれないですね。悪い方に考えると音楽と俳優業の切り替えが難しくなると思います。音楽に没頭できる時間が減ると思いますね。

――グラフィックデザインもご自身でなさっているとのことですが、こちらは制約に縛られず自由に描くことができる?

 グラフィックデザインが本業だった時は、オーダーに対して忠実じゃなければいけなかったんですが、今は割と自由にやっているので、音楽より制限がないのでやりやすい面はありますね。

――ジャケットのデザインも近藤さんならではのスタイルが出ていますよね。

 今回は写真からジャケットから徹底して自分でディレクションしたので悔いはないですね。

――最後に、ニューアルバム『アイリー』について改めて一言をお願いします。

 嬉しさという誰でも感じたことのあるありきたりな言葉だし、今さら意味なんて考えることもないと思うんですけど、その奥にある形が違うことだったり、いろんなタイプの嬉しさというものを、このCDジャケットに綺麗な色や汚い色など水中アートで描きました。聞きなれた嬉しいという気持ちの一歩奥にどんな色や感情があるのかというものを、自分の中を知る作品になったのではないかと自分では思うので、たくさんの嬉しさを感じとって自分に似ている色を見つけてくれたら、きっとこの作品は愛してもらえるんじゃないかなと思います。

(取材・木村陽仁)

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