社会と関わりを絶った少年期、近藤晃央 あの頃に送る「アイリー」
INTERVIEW

社会と関わりを絶った少年期、近藤晃央 あの頃に送る「アイリー」


記者:木村武雄

撮影:

掲載:16年04月23日

読了時間:約17分

少年期の経験が“近藤晃央”を形成している

少年期の経験が“近藤晃央”を形成している

 シンガーソングライターの近藤晃央(こんどう・あきひさ)が27日に約3年ぶりとなるセカンドアルバム『アイリー』をリリースする。2012年にメジャーデビュー。これまでに日本テレビ系『宇宙兄弟』エンディングテーマ「テテ」(その年12月度のCSオンエアチャート1位)などタイアップ曲を多数手掛けている。身長184センチの甘いマスクで、女性層を中心に人気だ。しかし、少年時代は家に引きこもっていた過去を抱える。“近藤晃央”を形成するのはその頃に観てきた景色、そして、口に発してこなかった心に秘めた言葉の数々。そんな近藤だからこそ表現できる音楽がある。「同じ経験している人々のフィルターになりたい」。今作『アイリー』、そして自身の音楽に寄せる思いだ。自身を飾らず、ありのままを表現することこそ強い心の表れである。今回のインタビューでは近藤晃央の内面に触れた。

近藤晃央を形成した少年期の“もがき”

近藤晃央

近藤晃央

――いきなりですが明朝体とゴシック体どちらがお好きですか。

 明朝体の方が好きですね。ゴシック体が嫌いというわけではないんですけど、結局ゴシック体でも細いフォントを選んでしまうんですよね。ひらがなのシルエットを見ると、明朝体の方が太いところと細いところの差があるので、日本語らしい差が出ていると思うんです。

――唐突の質問で申し訳ありません。事前に頂きました紙資料に使われている文字の書体ほとんどが明朝体でして。それで関係者に聞きましたら、ご本人が資料を作っていると知りましたので、こだわりがあるのかなと思いました。さて、先ほど「日本語らしいという言葉」と話しておられました。歌詞でも英語は少ないようです。あえて英語を使わずに日本語を使用するところの意図はありますでしょうか。

 特にこだわりもないですね。単に英語がわからないので(笑)。難しい言葉を無理して使う必要はないんじゃないかな、と思いますね。あと日本語の奥行きが深すぎるので、自国の言葉も良くわからないのに他国の言葉なんて分かるわけないよな、というのもあります。結果的に自分の中の辞書が一番分厚いものが日本語なので「じゃあ日本語使おうかな」という感じですね。

――近頃はやたらめった英単語を使う人がいますが、昔の近藤さんはいかがでしたか。例えば「スピーディー」よりも「素早い」という言葉をあえて選んでみたり。英語を使わず日本語で表現してきたなどは?

 どうでしょう。英語の成績よりは国語関連の成績の方が良かったですよね。小さい頃から作文とか書くのは好きでしたね。文才がすごくあったわけでもないですし、どちらかというと、何かを書いたりすることよりも、何も書かずに溜め込んだことの方が感性は磨かれたような気がしますね。もがいてはいたんですけど、表現に関してはベースになったんじゃないかな。

――何も書かずに溜め込んだ方が感性は磨かれた…。収録曲の「月光鉄道」は、過去の自分のことを書かれていると資料には記されています。そこには小学6年生から中学2年生まで不登校だったとも。何かしらの理由があったと察しますが。

 結構くだらない理由なんですけどね。いくつかあるんですけど、ひとつは割と当時勉強の成績が良かったんですけど、ある時にちょっと成績が落ちてきてしまったんですよ。勉強はすごく好きで、1年、2年先の勉強をするのが特に好きでしたね。だけど、5年生ぐらいから成績が落ちてきてしまって楽しくなくなってしまったんです。単純に勉強が好きだったのではなくて、出来ていたから好きだったんですよね。そこからは悪循環でどんどん成績が落ちていきました。学校へ行くのが面倒くさくなって一日休もうと思っていたのが一週間になっていき、戻るきっかけをなくしてしまったんです。それからは近所など周りの目を気にしてしまって3年が経ってしまった。「学校なんか二度と行くか」という気持ちで休んだわけではなくて、戻る勇気を失くしてしまったんですよね。それを解消するのに3年掛かってしまったんです。

――当時はどのような生活をしていたのでしょうか。

 生活が昼夜逆転していたので、まず朝起きているということはなかったですね。真っ暗になってから起きるという感じでした。近所も、自分が学校に行っていないというのは知っているので、なるべく人に会わないようになりました。出掛けたとしても、夜にふらっと一人でその辺をブラブラ散歩するだけでした。心が、光から一気に闇の中に入っていったので、たまにどっちが本当の自分なのかわからなくなりました。

――タイトルに「月光」という言葉を使っています。当時は月に思いを馳せることはあったのですか。

 月に対しては「月は自分で光っているんじゃないんだよな」とかは考えていました。太陽に照らされて光っているということに、太陽よりは月の方が身近に感じていましたね。

――その時の考え方が現在、反映されていることは?

 月か太陽かということが音楽に反映されているかはわからないですけど、当時のもがいていたことや抱え込んでいたことは反映されていると思います。周囲のことなどは悪い方にすごく敏感になっていたので、それが表現するベースになったかもしれないですね。答えが出ないままでいたことが、たまたま音楽に出会えたから良かったというのはありますね。引きこもりを肯定するわけではないですけど、今の自分はそこで出来てしまったものだと思います。

――今もめまぐるしく色んなことを考えているのでしょうか。

 ひとつの物事に対していろんな角度で考えすぎていたので「シンプルな問題を複雑にすることはなかったんだろうな」という反省点を持っているので、当時と比べたら考え方は多少シンプルになったと思いますね。

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