社会と関わりを絶った少年期、近藤晃央 あの頃に送る「アイリー」
INTERVIEW

社会と関わりを絶った少年期、近藤晃央 あの頃に送る「アイリー」


記者:木村武雄

撮影:

掲載:16年04月23日

読了時間:約17分

文字数制限が生み出す楽曲への投影

近藤晃央

近藤晃央

――近藤さんが書かれた歌詞はとても読みやすかった。相手に伝わりやすい言葉を選んで書いているのでしょうか。

 書き方を意識しているわけではないんですけど、音楽は“本”であってはダメだと思うんですよ。本だったら字数制限がないのでもっといろんな説明ができると思うんです。音楽の場合はメロディに乗せるので省かなければいけないところが出てくるわけです。その限られた中で言葉だけで表現するのは正直難しいんですよ。でも、それを聴く人によって自分のことと捉えられる余白として考えたら、イメージとして固まりきっていないからこそ重ねられるものが音楽だと思うんですよね。例えば小説を読んでいてもそこに自分がいるとは思わないですよね。客観的に読んでいると思うので。でも音楽は聴いている最中にそこに自分を重ねることができるかもしれない。うまく伝えられるように言葉を考えるかといったらそうではなくて「自分が聴いていても余白があるもの」は他の人が聴いても余白があると思うので、78%ぐらいの具体性があればそれがベストなのかなと思いますね。

――作曲する時はメロディが先ですか。

 基本的にはメロディが先の方が多いですね。たまにここを削ると意味がないなというところは歌詞を書いて、後でメロディを変えたりすることはあります。一番、歌詞の言葉が多くなりがちなのはAメロなんですけど、そこは詞が先でも書けるようにしたいというのは意識してますけどね。

近藤晃央

近藤晃央

――キーの高低によってはめ込む言葉を選択していますか。

 メロディと歌詞の関係性で難しいところはキーが上がった時に、母音が詰まっているとあまり響かないので「あー」とか「おー」とか口が開いているものを、必然的に選んだ方が言葉として受け取り方が変わってくると思うんです。高いところは「うー」よりは「あー」と言っている方が人は耳に入ってくるんですよ。母音を選びながら言葉を選択していくというのが、一番制限がありますよね。だから言葉を選ぶ時も使い慣れたシンプルなものを選ぶことが多いですね。でも、そういうよく聞く言葉たちでも並び替えたら自分らしくなると思うんです。

――文章を書くことでも、難しい言葉を使うと格式が高いような感じになることもありますので、文章に説得性を持たせる場合はそうしたものに逃げてしまいがちです。内容にもよりますが、誰にでも分かる伝わりやすい易しい言葉で表現しなけらばならないという考えもあります。

 パッと見たときに辞書を開かないと意味がわからなかったら、文章すら入ってこないということですもんね。音楽も簡単な言葉で良いと思うんです。特に僕みたいなポップスをメインにしている場合は、単語はわかりやすくて良いと思うんですよ。聞き慣れた言葉に新しい発見があって、歌詞を書くときにそういう部分をフックとして用意ができたら、その曲は良いエネルギーを持っている曲になると思います。いつも伝えたいことは決まっているんですよ。それをどう言い表すかというのはよく考えます。

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