ひとりじゃない、近藤晃央 共通点は喜びではなくマイナスの共有 
INTERVIEW

ひとりじゃない、近藤晃央 共通点は喜びではなくマイナスの共有 


記者:村上順一

撮影:

掲載:17年11月22日

読了時間:約14分

 シンガーソングライターの近藤晃央が22日に、配信シングル「相言葉」をリリース。6年目第1弾となる新曲は、ZIP-FMとのコラボプロジェクト。「ひとりじゃない」をテーマに掲げ、歌詞の元となるエピソードをファンやリスナーから募集。それを近藤が自分の中に取り入れ、一つの歌詞として落とし込んだバラード曲。今までの近藤晃央を知っている人が見たらこのテーマに疑問を感じるかもしれない。なぜこれをテーマに楽曲を制作しようと考えたのか、それを探る。9月にはメジャーデビュー5周年を記念した、一夜限りのワンマンライブ『近藤晃央 5th Anniversary Live「KAIKAKI」』も成功させた。だが、自身の採点は50点だと話すその公演を改めて振り返ってもらうとともに、現在の心境など話を聞いた。【取材=村上順一】

自分がもっと出来たと思うと悔しい

近藤晃央

――5周年のZepp DiverCity Tokyo公演を振り返り、ブログでは50点という自己採点でしたが、ご自身のハードルが高いですよね。私も拝見させていただきましたが、もうちょっと高めの点数をつけてあげても良いのでは?

 ありがとうございます。お客さんからの印象とはまた違うと思うんですけど、自分が100点をつけられるライブがお客さんにとっても100点なのかと言ったら、そうではないとは思っていて。そういった意味で答えはないものだと思うのですが、あの日に関して言えば、消化不良で終わってしまった部分はありましたね…。かといって全然駄目だったという訳ではなくて、もっと出来ただろうなと思いました。

――またけっこう舞台裏はバタバタしていたみたいで。

 はい。相当冷や汗をかきました。色々大変でしたね…。演奏しているときは曲のことに集中しているんですけど、場面転換のフォーメーションもそうだし、なっているべきことが、ちゃんとしていないと。あと、MCをしなかったので、次の転換へのタイムリミットが決まっているんです。曲間で準備が整っていないと、微妙な間が生まれてしまったりして。

――自分のタイミングで自由に繋げられないですからね。

 そうですね。そこで喋っていれれば、何かトラブルが起こっても全然大丈夫なんですけど。基本的にMCは決まった2カ所だけだったんです。

――あと、Zeppでのセンターステージというのは新鮮でした。

 あれは、開催するときにそれが前提という感じで。ステージはなくてもいいんですけど、去年のアルバムのツアーで、アンコールのときに客席に降りて弾き語りをマイクなしでやるというのを全箇所でやったんです。みなさんはその“近さ”がツアーの中で一番印象に残っていたらしくて。

 そこまで印象に残っているのだったら、今回もやりたいと思いました。正直僕は、最後の曲で使えれば全然良かったんです。でもあそこまで用意をしてもらって、そこでしか使わないのは勿体無いと思いまして、本編での使い道を考えました。

――あのステージで「心情呼吸」を歌い終わったときに、凄く良い表情をしていると感じました。

 でも終わった瞬間は悔しかったですね…。自分がもっとできたなと思うと悔しくて。

――そういった感情からの50点なのでしょうか?

 そうですね。全然駄目だったとは思わないんですけど。

――もっと応えられる部分もあったと?

 今もう一回やったら、相当良いものが出来るんじゃないかと思うんですけど、もうやれませんし。開演前の準備もそうでしたけど、まだまだ上手くやれる方法もあるし、自分が50点だったとしても、観てくれた人が良かったと言ってくれれば、それはエンターテイメントとしては成功であり…かといってのびしろもあり、と言ったところも考えられますけど、同じ機会が2度ある訳ではないので。そういう意味では悔しさがあります。「次に活かせばいい」というものでもなかったです。ライブはその日にしか来れない人もいて一期一会ですから。

テーマを考えるときに、窓口を広くしたいと思った

近藤晃央

――活動を続けるにあたって、色々と考えていたと聞きましたが。

 アーティストとして、今のままで良いのかとずっと思っていたんです。現時点でそこに解決策を見いだした訳ではないんです。そこはあまり変わっていないかなと思います。

――ダイスケさんにも相談をしたらしいですね?

 そうですね。去年からずっと言っています。そう考えているうちに活動していくのもどうなのかなと思ったりしたので。でも音楽をやめたいとは全然思っていないです。近藤晃央というプロジェクトに可能性がどれだけ残されているのだろうかということは、まだまだ感じます。楽曲で正当に評価されたいということはもちろんあるんですけど、その前に実績で落ちるというのも少なからずあるので。

――きっと常により良くしていたいという思いが強いんですよね。

 そうですね。かといって作品ができたからじゃあOK、という訳でもないので、その辺は凄く難しいと思います。プロジェクトや環境、自分の意識もそうですけど、変えられるものもあるので、マイナーチェンジで済む問題なのか、大袈裟にチェンジしなければいけない問題なのか、みたいな。マイナーチェンジだったら見ている人は大して気付かないかもしれないですけど。

――例えば音楽性を変えたとしても、結局それは近藤さんなんですよね。

 作風として音は変わるかもしれないですけど、メロディとかそういうことに関しては、結局一人の人間なのでそんなに変わらないなと思うんですけど、どうなんでしょうね。「現在、この状態でずっと続けます」ということでもないです。やっぱり大きくならないと維持できないものもあるので、その辺は常に考えています。

――近藤さんはブログやSNSでけっこうオープンに発信されていますよね。制作費の話などする方はなかなかいませんよ。

 よく言っていますね(笑)。ただ、例えば制作費に関してだと、それが少なくても「それでもやってくれる人がいる」という点が言いたいところなんです。そういう場面で凄く恵まれているな、と思うことがたくさんあって。

――そういう経験の中で「ひとりじゃない」というテーマが生まれてきたと。

 この曲のプロジェクトが始まるタイミングでテーマを考えるときに、窓口を広くしたいというのがありました。ファンやリスナーの方からエピソードを募集して、それを読ませてもらって、それを自分の中で一旦全て受け入れた段階で、一つの軸として作品を作るとなったときに、そもそも難しいテーマだとエピソードが来ないんじゃないかということで、窓口を広くしたいなと思ったんです。

 色々考えた中で、シンプルに「ひとりじゃない」と思った瞬間というのを募集するということになりました。僕が決めたのですが、ちょっと自分の中で半信半疑なところはあったんです。

――自分らしくないと?

 ソロでやっているミュージシャンはみんなそうだと思うんですけど、当事者は自分一人なので、どっちかというと「ひとりじゃん」と思うことの方が全然多い人間が、「ひとりじゃない」と思った瞬間を募集したところで、それってどうなのかなと思いまして。

 例えば、予算どうこうじゃなくて「近藤君だったらやるよ」と言ってくれるサウンドプロデューサーの江口亮さんがいたり、バンドメンバーがいたり。ちょうど「存在照明」のレコーディングが始まるくらいの時期で、時期が重なったということもあります。常に「ひとりじゃない」とはもちろん思わないんですけど、かといって今そういう状況にいる中で、「自分ってひとりぼっちだな」って“ひとりぶっている”方が逆に格好悪いなと。

 そういう気持ちになりました。江口さんもバンドメンバーも、デビュー前から5、6年の関係の中で、最初からではなくてそういう積み重ねがあったから今があるんです。それって、この人達を裏切れないというのもあるし、熱もあって愛情もあって、恥ずかしいから見ないという問題でもなくて、改めてちゃんと見てみたら「これで常にひとりぼっちだと思っている」というのも情けない話だなと凄く思いました。

――なかなか改めて考えたり、向き合ったりしないですからね。

 人間誰しもが、「ひとりじゃない」というのは場面場面の話であって、ひとりだと思う瞬間も同時にやってくると思うので、イコール全てではないのでしょうけど。仕事の中でそういう人達がいてくれるだけで救いになる部分ってあると思うんです。「ひとりじゃない」という、あえて聞き慣れたエピソードに対して、今だったら説得力を持って何かを伝えられるような気もするなと思いました。

「喜びの共有」ではなくて「マイナスの共有」だった

近藤晃央

――そういった考えの中で、たくさん集まった「ひとりじゃない」というエピソードを近藤さんが噛み砕いたと。

 そうですね。もちろん全部が全部同じエピソードではないので、それぞれのエピソードを汲み込んでしまうと、登場人物がいっぱいになってしまうんです。そうではなくて、一本の芯に対してブレることなく書こうというのが、プロジェクト共通の見解だったんです。歌詞を募集するのではなくて、エピソードを募集して、それを僕が一旦全部飲み込んだ状態で、何を作るかという。

――そういった過程を経て一人の主人公を立てて、と?

 そうです!

――エピソードはどれくらい集まったのでしょうか?

 200くらいありました。色んなエピソードがありましたね。

――いくつか拝見しましたが、「ひとりだと思っていたけど、ひとりではなかったんだ」と気付けた瞬間がみんなあるのだなと改めて感じました。

 面白いなと思ったのは、「ひとりじゃない」と思った瞬間を送ってくださいと言うと、まず送ってくれる人は大抵「ひとりだ」と思っているんです。「ひとりだと思っていたけど、そういう瞬間があった」という、僕と同じタイプなんですけど、そもそも「ひとりじゃなかった」と思うということは、その前まで孤独を抱えていたということになると思います。僕が思っている程、「ひとりじゃない」というテーマって、明るいものではないんだなと。

 「ひとりじゃない」ってフレーズ自体はキラキラしているじゃないですか? でも、いざエピソードをたくさん読ませてもらったら、そうではなく、それは結果論であって、それまではずっと孤独だった人が巡り会ったもの、気付いたもの、そういうものがほとんどだったので、だいたい孤独を抱えている人間なんですよね。一歩手前までは。だからよりエピソードを読んで「書ける」と思いました。

――「ひとりじゃない」というフレーズ自体はキラキラしている、という部分から楽曲がアップテンポなものになるという選択肢もあったのでしょうか?

 アップテンポはあまりイメージしていなかったんですけど、速くてもミドルテンポかなと。メロディは先に作りました。それで歌詞を最後に、という感じでした。

――今回はメロディよりも言葉の意味を優先して、メロディへの言葉のはまり具合はあまり気にしなかったみたいですね。

 そうです。メロディが歌詞によってどんどん変わっていきました。でも、基本的なメロディはありましたね。

――今作が完成して現在の心境は?

 人の意見やエピソードを曲の中に落とし込んでいくということは、初めてではなかったんですけど、そういう主旨でやっているので、自分が頂いたエピソードをちゃんと上手く解釈できているのかというのはあります。それぞれ違う物語の中でブレない一つの軸を作っていくのは、ある種250文字、500文字くらいあるエピソードを2行でまとめなければいけないと考えると、何かに喩えないといけないんです。そうなってくると、共通点を探さないといけないと思いました。

 最初の頃は、エピソードがバラバラなので、作り方として難しいかなと思ったんです。でも蓋を開けてみると、早々に共通点を見つけて、「ひとりじゃない」と思った瞬間のエピソードのほとんどが「喜びの共有」ではなくて「マイナスの共有」でした。

――具体的にはどのような部分でしょうか。

 辛いときに側にいてくれたという。「悲しいときにこういう言葉をかけてくれた」とか、「しんどいときに側に居てくれた人がいる」など、全部“寂しさ・悲しさ・辛さ”とか、壁に当たったとき。そのときに誰か居てくれたエピソードだったり、誰かが言ってくれた言葉があったと、そういう「マイナスの感情を共有してくれた」というのがほとんどだったんです。だからその時点で、自分が書くのはそこだなと思いました。

――その点が速い段階で見つかって、歌詞はスムーズに書けたのですね。

 軸の部分はスムーズでしたね。エピソードの中には「正直、ひとりじゃないと思ったことはありません」というのもありました。エピソードというよりも、その人の心境ですよね。「強いて探してみたらこういう瞬間なのかな」という人もいました。たぶん、自分もどちらかというとそういうタイプなので、そういう人間がいるのも自分自身がそうだったのでわかるんです。今回の楽曲に関して、窓口を広く設定したからには出口も広く設定したかった。

 だからちゃんとそういう人達にとっても「ひとりじゃない」という瞬間が実際本当になかったのかということを、リアリティをもって伝えるのではなくて、恐る恐る問いかけるくらいでもいいんですよ。完全に閉じちゃっている扉をノックできる器の広さのようなところを曲に持たせたかったので、そういう人に対しても問いかけられるものがあるのが理想的だったんです。

 単純に、僕自身がこの曲を聴いたときに、もの凄くひねくれた考え方をしていても、「確かに」と自分自身が納得できるものを取り入れなければいけないなと思ったのが、その辺に反映されています。

――確かに、ひとりだと思った瞬間がなければ「ひとりじゃない」と思う瞬間もないですよね。

 孤独を抱えている人間と、それに気付いた人間の時間軸の違いだと思います。結局はひとりなんですよ。ひとりだけど「ひとりじゃない」という瞬間に気付けたらそれでいいと思います。

――そのように思ってもらえたら楽曲、作品としては成功?

 そういう風に思ってもらえたらそうですね。逆に言ってあげたい側になることもあると思います。側に居てあげたい人が凄く孤独を抱えていたとして、代わりにはなれないけど、その人が持っている荷物の半分くらいは持ちたいと思うくらいの気持ちが芽生える人間関係って、少ないかもしれないですけど。

 でも、生きている限りは多少はあって、そういう人達に対して「全部自分でやらなくていいよ」とか「そんな抱え込まなくていいよ」とか言える人間に、それが本音だとしても、それが言える人間ってそれを受け入れられる人間だと思います。「ひとりじゃない」と言ってあげる側と、「ひとりじゃない」と言われる側、どっちの視点も入っている曲なんです。だから「相言葉」なんです。今回は歌詞というよりはタイトル先行という感じもありました。

ただ向上して行きたい

近藤晃央

――12月から『近藤晃央 ONEMAN TOUR damp sigh is sign』と題した東名阪のライブが始まりますね。入場者全員に“近藤米”(近藤家の田んぼで穫れた新米)プレゼントというアイディアは、どのように出てきたのでしょうか?

 新米の時期というのもありますね。今回9人という大編成でのアコースティック形態でやるんですけど、こういった場合はソロのアーティストとしてボーカルの“居場所”というのが圧倒的に多いですし、楽曲の本質により近い編成だと思います。そのぶんゆっくり聴いてもらいたいから指定席にして、割とチケット代を6800円と高く設定させていただいて。あと、実家が農業をやっていることもあって、それならちょっとしたお土産も付けようと。

――そうだったんですね。東名阪のライブが終わった後は制作に入る?

 最近時間がとれていなかったので制作はしたいなと思っているんですけど、来年に関してはまだ何も考えていないですね。ライブも現在は数本誘われているのがあるくらいでして。

――来年のビジョンは?

 凄く動く年ではないと思います。5周年、10周年という話でもそうですけど、僕は長く続けるということを目標にやっている訳ではなくて、ただ向上して行きたいだけなんです。それが続いていって結果として10年、15年と続いていくものだと思っています。そもそもメジャーという場所を選んだ理由としては、アーティストとして認知されたいとか、ヒット作を作るとか、そういう欲がないと選ばない場所だと思うんです。

 そういう志みたいなものが自分を含め、周りにないんだったら多分その場所にいる意味すらないというか。かといって、ヒット作が出たらいいとか、そういう問題ではないんですけど。

――自分の存在価値として、自分の居場所を常に求めている?

 そうですね。良い作品を作るのは当たり前なんですけど、良い作品を作っていればいい、という話でもなくて、それを自他共に認められる良い作品にしていかないと、そこには辿り着けないと思っていて。そのことを考えていくと、現状維持も向上心がなければ留まることもできないんですけど、それが精一杯だなと思った時点で、自分は長く続けるよりも「向上できない」と思ったら道を変えると思います。

 それは音楽だけではなくて、どんな仕事をやっていてもそうだと思います。自分の生き方として、そういう考え方だと思うんです。長く続けるというよりは、芯ができる予感があるかないかというところに委ねているのだと思います。

 応援してくれる人達に「長く続けて欲しい」と言ってもらえるのはもちろん嬉しいし、ありがたいんですけど、その人達がもっと誇らしい気持ちになるのは、今の音楽性をブレずにちゃんと認知されていくことだと思うし、それが全てだと思っています。

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