社会と関わりを絶った少年期、近藤晃央 あの頃に送る「アイリー」
INTERVIEW

社会と関わりを絶った少年期、近藤晃央 あの頃に送る「アイリー」


記者:木村武雄

撮影:

掲載:16年04月23日

読了時間:約17分

社会の良いフィルターになれば

近藤晃央

近藤晃央

――歌詞を書くときは聴いている方のことを想像しながら書いてますか? それとも自分の情景を浮かべながら書いていますか?

 割と自分の情景を浮かべながら書いてますね。僕は“引きこもり卒業生”ですけど、現在も学校や会社にいけない人たちはたくさんいるじゃないですか。その人たちに向けてメッセージを発信したら逆効果だと思っていて、その人たちが自分の音楽を聴いてくれるということが前提だとしても、その人たちは受け入れてくれないだろうなという感覚が、当時の自分から見てもあるんですよ。変わらなきゃいけないというのは誰しもが分かっているんです。わかりきったことをあえて言われると、それには反発しか生まないと思うんです。

 ニューアルバムの『アイリー』は嬉しさという意味と“アイ(I)”と“リー(Re:)”で自分への返信という意味があるんです。自分への返信という意味ではあの頃の自分に掛けてあげる言葉を曲にして、人に伝えるというよりは自分に伝えるということなんです。でも、人が聴いた時にその人は当事者ではないわけですよ。あくまで当時の自分に歌っている言葉だからそれを客観的に聴いてもらいたいんですよね。当時の自分からするとそっちの方が入ってくるんですよ。

 道標というのは自分で作るものだし、自分に決意がなかったら何も変わらないと思う。自分を変えるのは自分だし、環境が整うのを待つのではなくて自分で作るというのが重要だと思うんです。この作品のコンセプトである「自分に対して」ということを客観的に聴いてもらって、「自分改革」みたいなものを個人がやれたら直接的過ぎない良いフィルターになるんじゃないかなと思うんです。

――今の時代に求められていることだと思います。

 僕も今振り返ってみたら、うつ病と診断されて「これは病気のせいです」と言われてもそういうことだけではないんですよ。みんな病気ということに安心してる時代じゃないですか。環境や誰かのせいなんだと根に持ってる人が多いと思うし、何かのせいにしないといけないという風潮はありますよね。ただでさえ逆走したがる感覚だと思うんです。そこに強制的に何かを伝えても何も拾われないし、僕が直接何かを言うよりは外に出られた人間として、まずは自分に対して何が言えるかなというのが始まりなのかなと思いますね。

近藤晃央

近藤晃央

――この作品で過去の自分と向き合えるようになったということも?

 そもそも音楽が好きで始めていたんですけど、当時の勉強の時と一緒ですよね。上手くいかなくなると「もういいかな」と思うことが頻繁にあって。一見、華やかな業種に見えますけど、正社員でもないし、社会から守られているわけでもなくて、まして自分はソローアーティストで、当事者は他に誰もいないので「孤独だな」思うこともあったんです。実は2年ぐらい前、音楽を辞めたいなと思ったこともあったんですよ。

――当時、身の回りで変化があってそう思うようになった?

 変わったこともあったけど、一つのことだけではなくていろんなことが重なったんです。自分を見失った時に、音楽をやっていても嬉しくなくなってしまって。引きこもりだった時代に感覚が戻っていた時期だったんですね。「心情呼吸」という曲は本音を伝えるということをテーマに書いたんです。歌詞で「悲しさだって素直に悲しいと言えるなら 嬉しくなるよ ありのままを」をという詞を書けた時に、嬉しいという気持ちにもいろいろあるなと思ったんです。「辛い、しんどい」と言えただけでもけっこう嬉しいかもという発想の転換が出来たんですよね。

 本音というのは全て伝えるものではないですし、隠し持っているものもあると思うんですけど「本当はこうしたかったんだ」と自分がわかっているだけでも随分と楽になるんです。その気持ちがあるだけで、もう少しやれるかなという気持ちになれたんです。「やりたいから、やってみたいから」というその気持ちだけでも良いんじゃないという。「そのエネルギーさえあれば今も乗り越えられるでしょ」と考えられた曲が「心情呼吸」なんです。できなくて楽しくなくなるのは当たり前なんです。「なんで音楽始めたの?」と考えた時に、出来る出来ないか以前にやりたいと思ったからなんですよね。向き合えなかったから気づいたことがありましたね。

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