多情の夏

 すると、けだるい声で中村のポエトリーリーディング(詩の朗読)が始まった。「ああ、また夏が来る」と呟いてから、レゲエ調の演奏でスタートしたのは「その日暮らし」。その言葉のとおり季節は夏にスイッチした模様。綺麗な背中を見せて揺らしながら歌う姿がセクシー。ブレイクが一発決まってから突入するサビは裏声を効果的に使い楽曲の華に。右手を大きく使ってアピールする中村。

 それからディレイのかかったギターと歌声だけで不思議な印象の「AM零時」。ですます調の歌詞も印象的だった。牧歌的なメロディを持つサビをドラマティックな間奏などを挟むアレンジで盛り上げて感情を積み上げていく。

 さらに、もともとほのかに明るいドビュッシーの「月の光」をマイナーに変換して引用したピアノ前奏から、しっとりと「ここにいるよ」に突入。2コーラスめからバンドの音圧が加わって盛り上がる。タイトルの「ここにいるよ」というリリックが最に響いて暗転。切なさが立ち込めた後、少し間を置いて大きな拍手が贈られた。

 軽くMCを挟む。夏休みの宿題を一度もしたことがないと言う中村。続いて「演奏で宿題を提出しようとおもいます」と話してからデビュー曲「汚れた下着」を披露した。まだまだ夏は終わらない。

 衣装に合わせたかのような赤のマラカスを振りながら、低めなメロディラインをけだるく歌い上げていく。やはり彼女は低いトーンがいい。一糸乱れぬユニゾンで演奏が終わる。

 そして再びレゲエのリズムで「愛されたい」。裏声に飛翔するサビで「愛されたい」という歌詞が二度繰り返されるのが印象的。間奏では咽び泣くようなギターソロ。マラカスに代わり、ここではタンバリンを振り回しながらサウンドに入り込む中村。

 宿題の提出を終えて、笑いをとりながら流暢なMCを展開する。中村の話しぶりに若いシンガーソングライターにしてはハキハキと喋るなという印象を持った。ツアータイトルについては「次に生まれ変わった時の事ではなく、生きているうちに変えられることは変えようという想いがある」とした。その後ラジオでレギュラー番組を持った時に世話になったという恩人の話を語った。「一生ロック」が口癖だったという彼を意識してか、「私なりのロックを聴いてください」と告げて旅が再開される。いよいよ秋がやってくる。

切なく彩る秋の色

 「クヌギの実」。まずはピアニカを中村が独奏。演奏が達者なのに驚いた。鍵盤を自分でも弾く彼女だが、息で付けるニュアンスやタッチの感じも含めて聴かせる演奏。それだけでぐっと来た。続いてウッドベースとアコースティックギターがインして歌が始まる。とても曲調はロックではないが、染み入る歌詞とメロディ。ここで彼女が言ったロックとは精神的な態度を指して言ったものだろう。込められたロックな想いが観客を貫いたかのように大きな拍手が起きた。

 そのままエレピの洒落たイントロで「閃光花火」へ。秋の線香花火とはなんと切なく、情景が浮かぶ演出だろう。季節とタイトルの関係だけでやられてしまう。曲調も切ない和声進行にミディアムなテンポ、さらに回り始めるミラーボール。そしてステージを端から端まで歩き周る中村。そして、あまり張り上げることなく少し熱を込めながらも抑制をきかせた歌唱と時折挿入される引っかけるリズムが心地良い。最後のサビを歌い終えて中村は上を見上げた。会場はうっとり聴き惚れている様子だった。

 演奏はワルツの「あたしを嘲笑ってヨ」へ繋がる。ストーリーが紡がれるリリックと昭和歌謡な雰囲気を持つ楽曲だ。歌いながら身振りで演技する中村。歌詞に合わせて膝から崩れ落ちる様な場面も。執拗な繰返しの中でバンドの演奏に熱が込もって盛り上がっていく。

 最後は不意を突く様なコードで終わったが、これも突飛なものではなく昭和歌謡の文脈上に存在する手法だった。他の懐かしさを含んだ楽曲も含め、彼女の年齢を考えれば明らかにリアルタイムではないはず。中村がただ感覚任せで音楽を作っているのでは無く、分析的な一面もあるということもわかる。

 今年の秋でデビュー10周年を迎える彼女。歌手としてだけでなく、八代亜紀や研ナオコらへの楽曲提供、役者(死ぬ役が多いそうだ)など様々なキャリアを積んできたと振り返る。さらに4月からはDIR EN GREYのギタリストのDieのソロプロジェクトDECAYSに参加も決定しているとか。「八代亜紀からDECAYSまで。演歌からロック、そして死体役までやる中村中の縦横無尽な七変化をどうぞこれからも見守ってください!」と宣言すると大歓声。

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