あえて挑む大衆性という矛盾、マキタスポーツが考える音楽とは
INTERVIEW

あえて挑む大衆性という矛盾、マキタスポーツが考える音楽とは


記者:小池直也

撮影:

掲載:16年01月22日

読了時間:約17分

音楽活動に真剣に向き合う理由には「大衆性」にあえて挑む思いがあった

音楽活動に真剣に向き合う理由には「大衆性」に挑む思いがあった

 マキタスポーツがプロデュースする、ヴィジュアル系ロックバンドのFly or Die(フライ・オア・ダイ)が1月20日に、ファーストフルアルバム『矛と盾』をリリースする。ボーカル・ダークネスに扮するマキタの話術はライブでも発揮され、終始笑いが絶えない。一方、演奏面においても抜かりはなくしっかりと聴かせ、そして乗らせる。俳優としても活躍している彼がなぜ今、音楽活動に真剣に向き合っているのか。そこには、現代の細分化された消費者嗜好の中であえて「大衆性」に挑む、音楽への強い思いがあった。

あえて挑む「誰もが楽しめるもの」

――ファーストフルアルバム『矛と盾』はどのようなアルバムに仕上がりに?

 ヴィジュアル系をあまり意識しないものになったと思います。もちろん、見た目はヴィジュアル系ですが、中身はそれにこだわっていない、僕の趣向が反映されています。正式名称も「マキタスポーツ presents Fly or Die」ですから。それと世間の流れが、アルバム単位で聴くことを前提していませんので、コンセプチュアルというよりも1曲1曲を意識しました。

 それに対して、前作『推定無罪』(2013年リリース)は、方法論それ自体を表に出して作ったアルバムでした。僕が、テレビなどでやる機会が多かった音楽遊びの一つ「作詞作曲ものまね」というものをベースに作りました。「作詞作曲ものまね」というのは、ものまねするのが目的ではなくて、あくまでオリジナリティをもった表現をするにあたっての手段、メソッドです。そういう手法で作ったオリジナルの曲や○○風の曲も、その方法論を集約した「10年目のプロポーズ」という曲も『推定無罪』には入っています。

――今作では、マキタさんが著書『すべてのJ-POPはパクリである』で語られていたようなドラマティックマイナー(ネットでは小室進行とも呼ばれる)やカノン進行(バッハ以前から使われている定番のコードチェンジ)といったコード進行が見当たりませんでした。これはあえて?

 極力、意識して避けました。僕もそういう事を言い過ぎたので。今回はそういうものとは距離を置きたかった。方法論的なものは、もはやどうでもよくて。ほとんどのアーティストの方がやっているようなやり方を今回は初めてやっているというイメージです。

 僕はそもそもコード進行それ自体が好きです。共有財産だと思うし、リサイクリングされて当然。それにポピュラーミュージックでみんなが親しみやすいコードというのは似通ってくるというのもあるし。そういうことを講義形式でネタにして喋ってきてしまったので、ちょっと離れたかったんですよ。

 ただ、ドラマティックマイナーとかと同じくらいよく使われている「未練進行」(ネットでは王道進行とも)と僕が呼んでいるものをリード曲「矛と盾」では使っています。唯一こだわりがあるとすれば、この曲はみんなに楽しんでもらいたいという狙いがあったので日本人がどうしようもなく好きなお水っぽい、男女のすれ違いとかわかりあえない感じという世界観に、トニックに帰結(コードが不安定な所から安定な位置に戻ること)せず、浮遊感のある未練進行を合わせました。そういう部分で計算して作った曲でもあります。

 詞とかも韻の踏み方とかも細やかに作ったんですけど、それとは別のところでライブという一番小さい単位のマーケティングの場でこの曲は非常に評価が高かった。そうなって欲しいなと思いつつ、自然とファンの中での人気を肌合いで感じてきた楽曲だったので、いくつかの候補の中からこれをリード曲に選びました。

 あとは「誰もが楽しめる」ってそもそも矛盾した言葉だと思うんです。でもそれが一番ロマンであり、僕が今までチャレンジしてこなかったことだった。その矛盾に取り組もうという意志もあります。「分かる人に分かればいい」というのが居心地良かったんですよね。ポーズとしてそういうところをネタにしてきたところもあるんですけど、今はそういうことに興味がなくて。一番難しいことは何だろうなと考えた時に「誰しもが楽しめるもの」というのが現れて、それが自分の中の命題です。

この記事の写真

記事タグ 

コメントを書く(ユーザー登録不要)

関連する記事