あえて挑む大衆性という矛盾、マキタスポーツが考える音楽とは
INTERVIEW

あえて挑む大衆性という矛盾、マキタスポーツが考える音楽とは


記者:小池直也

撮影:

掲載:16年01月22日

読了時間:約17分

壮大な音楽のマジックをやってみたい

マキタスポーツ

バンドへの想いを語ったマキタスポーツ

――今まで取り組んできた方法論的な音楽の聴き方というものは定着してきたと感じますか

 いや、定着なんて無いですよ(笑)。良い意味で僕はおつなことをやったんですけど、やってはいけないこともやっていたと思うんです。手品の種明かしをするというのはやっぱり良くないですよね。言ってみればあれは「手品の種明かしをするというトリック」なんですよね。エンターテインメントとしては最後のやり方なんです。

 だから「ヒット曲の法則」というネタで「こうすればヒット曲っぽいものができます」と言いましたが、別に本当にヒット曲なんて出来ているわけじゃない。「そういうものはほとんどこういう材料でできています」と説明していますけど「データ見せろ」って言われたらわからない。だから多分にレトリックを含んだマジックなんです。でもそれをやってしまったからには自分の中では原点に戻らなければつまらない。

 そういうことを始めた当時もありがちなJポップのパターンみたいなものがネットとかで散々ネタにされていたと思います。それだったらこういうのもウケるのかな、という気分もありました。でもさっき話したとおり、風穴を開けるというよりは価値を転倒させるといういたずら心が僕の中にある。だからやりましたけど、それは本来的な物じゃないなって思ったんです。「音楽のマジシャンなら音楽でマジックかけてみろや」ということですよ。

 僕は学者じゃない。だから量的な計測を行って厳密にやってきたわけじゃない。そういうアカデミックな観点で分析をしてきたものとは違う。確かに風穴を開けるひとつのきっかけにはなったかもしれないけど、僕はもうそこには居たくない。自分の中で芸術的な価値が無いので。それよりももっと大きな、壮大な音楽的なマジックをやってみたいという気持ちが大きい。だからほんとに紅白とかに出てみたいんです。

――マキタさんがやっていた方法論が普及すれば、もっと音楽それ自体を聴く人が増えるんじゃないかと勝手な希望を抱いていました。でもマキタさんはそこから一歩踏み出したというわけですね

 でも元のところは変わってないですよ。見せ方が変わっただけというか。だからさっきも言ったとおり、僕が死んだ時は「形は違うけどやっている観点は全部同じだったんだ」という風になると思いますけどね。今は「方法論そのまま出して面白おかしく語る」ということよりも「語らずに作品で見せる」ってことなんです。たしかミュージックヴォイスだったと思いますけどね、Fly or Dieの「デスドナルド」というのはヒップホップの方法論でできているとかなんとか書いて戴いたのは。

 ああやってかみ砕いて戴いたらそういうことですもん、正直。でも「ヒップホップ的な観点で実は作ったんですよ」って、自分で言いたくないですよね(笑)。「全てのJ-POPはパクリである」という本もヒップホップの方法論をああいう形で書いたものです。ポップアート、というか「ポップ」ていうものが全てそういう風にできている、またはその方法論自体が「ポップ」ということだと思うんですよ、概念として。

 だから「デスドナルド」というのは諧謔性まで含めて確かにヒップホップ的なもので作っていますよ。あの曲だけじゃなくて他の曲もある種、その様につくっています。でもそれは見る人が見ればわかること、見えない人には絶対見えない。だから前と同じ様にしてやってはいます。必ず批評はあります。ただ、批評を前に出すのは「矛盾」を達成するためには得策ではない。

――その批評性を笑いで隠していると感じました

 その通りです。

――最後にミュージックヴォイスの読者にメッセージをお願いします

 ミュージックヴォイスは多分、リテラシーの高い人がみるんじゃないのかな、と僕は思うんですけどね。みなさんにできることは、頭の良くない人にミュージックヴォイスというサイトとかを紹介すること。あと、僕はライブや音楽シーンを盛り上げていきたいんですよ。だからお友達をマキタスポーツFly or Dieのライブに誘うなり、ミュージックヴォイスを見ていただくなりして「今、音楽はめっちゃ面白いよ」ということをみなさんが拡散してください!

(取材・小池直也)

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