クイーンの真相に迫る、日本での再ブレイクはなぜ起きたのか
お茶の間にクイーンが頻繁に登場?!
ボーカルのフレディ・マーキュリーは1991年11月24日にエイズで急逝する。翌年にはロンドン・ウェムブレイ・スタジアムにて追悼コンサートを開催。1995年にはフレディが生前に残したボーカル・トラックにメンバーが演奏を重ねて完成させたアルバム「メイド・イン・ヘヴン」を発表。前述の『ボーン・トゥ・ラヴ・ユー』はこのアルバムに収められている。ちなみにこの曲は元々フレディのソロ・アルバム「Mr.バッド・ガイ(1985)」に収録されていた。
この後、ブライアン・メイ(ギター)とロジャー・テイラー(ドラム)のふたりは、イベント出演などの活動を散発的に行うが、クイーンは事実上の活動休止状態となる。
彼らと同時期に活躍した洋楽アーティストの多くは、人々の記憶から忘れられていく中、クイーンは違った。グループとして活動がない90年代後半から2000年にかけて、日本のTVコマーシャルでクイーンの楽曲が頻繁に使われ出すのである。『ウィ・ウィル・ロック・ユー』が清涼飲料水、『ボーン・トゥ・ラヴ・ユー』はビール、『伝説のチャンピオン』は缶コーヒー、『ドント・ストップ・ミー・ナウ』は軽自動車といった具合に、クイーンの曲がTV-CFで途切れる事なく使われるという現象が起きたのだ。
TVのコマーシャルでアーティストの楽曲を使う際は、曲の所有者に許諾を取り使用料を支払う。日本国内であれば比較的、手続きは簡単だが海外楽曲となるとそうはいかない。まず原曲の所有者がなかなかOKを出さない。さらに1回オンエアする度に発生する使用料は基本的には先方の言い値。これが高額となりCMでの使用を断念した例は枚挙にいとまがない程。CMで耳にする有名洋楽曲が、よく聴けばカバーだったという事はこういった事情がある。
ところがクイーンは違った。自分たちがブレイクしたきっかけを作った日本に対しては特別な思いが有ったのだろうか。他国では断っても、こと日本に限ってはCM使用許諾に対して比較的寛容だった。とはいえ、使用料はそれなりにかかる。クイーン・クラスの楽曲をCMで使える会社はある程度の予算を持った大企業に限られる。
ここで出てくるのが前述のリアルタイムで体験した“隠れクイーン・ファン男子”。この時期の彼らは30代後半〜40代の年齢。つまり決定権を持つ広告代理店の担当者やCMプロデューサーになっていたのだ。当然、このなかには女子もいる。
「踊る大捜査線」等で知られる本広克行監督(1965年生まれ)は、2000年に公開された映画「スペース・トラベラーズ」の主題歌に『誘惑のロックン・ロール(ナウ・アイム・ヒア)』を使った。邦画で洋楽大物アーティストの曲を使うのは異例。
脚本の岡田惠和さん(1959年生まれ)もクイーン好きという事もあり、監督は主題歌の起用にこだわったそうだ。このようにして、当時の不遇をなめた隠れクイーン・ファン男子が、ここぞとばかりにクイーン・ナンバーをメディアを通じて拡散していったのだ。これは、結果的にはリアルタイムで体験していない新しいファンまで獲得していくのである。
日本での2度目の大ブレイクを機に、まさかのクイーン活動再開!
そして2004年の1月にドラマ「プライド」の放送が始まる。『ボーン・トゥ・ラヴ・ユー』は番組スタッフからの指名だったそうで、主題歌のみならず番組内ではクイーンの楽曲が挿入歌として随所に使われた。第3話が放送された直後にリリースされた新編集のベストアルバム「ジュエルズ」は、高視聴率ドラマのサントラのような選曲ということもあって3週連続チャート1位を爆走。同年の洋楽年間アルバムチャートでも1位となり、累計160万枚を超える売上を記録。
90年代後半から頻繁に流れたCMでファンになった世代、このドラマで初めて知った10〜20代の新しいファン。さらにリアルタイムで体験した世代をも加わって29年振りとなる第2次クイーン・ブームが巻き起こった。
なにより、この突然のブームにいちばん驚いたのは、メンバー自身であろう。日本からは取材のオファーが殺到し、否応なしにエンターテイメントの世界の最前線に引き戻されたのだ。折しもロンドンではクイーンの楽曲をモチーフにしたミュージカルが2002年以来のロングラン上演を続けており、クイーンを待望する気運が日英で沸々と高まっていた。
そんな中、2005年3月、ブライアン・メイとロジャー・テイラーは元バッド・カンパニーのポール・ロジャースをボーカリストに迎え、実に19年振りとなるツアー活動を再開。遂にクイーンが復活したのである。
日本でのクイーン・ブームは翌年も続き5月にはミュージカル「ウィ・ウィル・ロック・ユー」が上陸、10月には20年振りの来日公演も行われ10万人を動員。2012年からはアダム・ランバートをボーカリストに迎えヨーロッパ、アメリカをツアー。昨夏にはサマーソニックのヘッドライナーとして来日し、東京と大阪で圧巻のパフォーマンスを披露し健在ぶりを見せつけている。
1975年の第1次ブームでは、デビュー3年目の新人だった彼らをトップスターとして迎えた事が、自信に繋がり『ボヘミアン・ラプソディ』やアルバム『オペラ座の夜』を生んだ。2004年の第2次ブームではライブ活動を再開させるきっかけを作った。結果的に日本での2度のブレイクは、いずれもクイーンにとって重要な転機となった。クイーンの音楽は時代を感じさせない普遍的な魅力を持つので、この先には3度目のブレイクもあるかもしれない。何といってもクイーンはバリバリの現役バンドである訳だから。
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