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小林克也がMCを務めるBS朝日『ベストヒットUSA』。7月5日(金)深夜0時から放送回は「クイーン1時間スペシャル」。伝説の洋楽誌「ミュージック・ライフ」の元編集長でクイーンを日本に紹介した東郷かおる子氏、来日したクイーンを撮影した写真家、長谷部宏氏、そしてモット・ザ・フープルのメンバーで、クイーンの82年のヨーロッパツアーに同行したキーボーディスト、モーガン・フィッシャーを迎え、小林克也とともに“知られざるクイーンの素顔”について熱いトークを繰り広げた。ここにその一部を紹介する。
「クイーンが出てきて日本の洋楽ファンの層がものすごく広がりました。」―東郷かおる子
小林 今回のベストヒットUSAは1時間、お送りしていきます。そしてクイーンを特集する時はこちらの方々をお迎えしようと、ずっと前から決めていました。東郷かおる子さんです。東郷さんは「ミュージック・ライフ」という有名な音楽雑誌を長いこと中心になって、編集長としてやってこられました。クイーンはもちろん、洋楽アーティストたちの人気を日本で広めてくださった方です。勲章が与えられてもいいくらいですよ。
東郷 あったら欲しいですけど!(笑)
小林 最初にクイーンと出会ったのは?
東郷 彼らがデビューしたのが1973年なんですけれども、私がクイーンのレコードを聴いたのもちょうどその頃。最初に聴いたのが「Keep Yourself Alive」で、びっくりしたんです。なにこれ?かっこいいじゃない!と思って。当時はギタリストの時代だったし、ブライアン・メイに注目が集まるかな?と思ったら女の子から人気が出てきた。「クイーンの身長と体重教えてください!」とか「誕生日はいつですか?」とか女の子が編集部に質問してくるようになってね。そうこうしているうちにモット・ザ・フープルのライヴをニューヨークまで行って取材することになって、その前座がクイーンだったんです。
フレディがあの袖がピラピラした“白鷺ルック”と言われた格好で登場して、「これは日本人の女の子たちにウケるな」と。それまではロックは女、子供にはわからないなんて暴言を吐く人もいましたけど、そんなことない。クイーンが出てきて日本の洋楽ファンの層がものすごく広がりました。
小林 フレディが亡くなったことを聞いた時は、突然でしたか?
東郷 フレディはゲイであることを亡くなる前日にカミングアウトしたんですけど、その前から周囲はみんな知っていたんですよね。だから特別悲しいとか、涙が出たとかそういう感じではなかったです。何となく予感していたというか、、。
小林 でもその時、一つの物語が終わったような感じはなかったんですか?
東郷 そうですね。90年代の幕開けと同時でしたから。最後のアルバム『イニュエンドゥ』が出た時、ベスト盤が出たり色々と動きがあったんです。なんでこんなに急ぐんだろうとは思いました。それまでクイーンの音楽を聴いて凄いなと思うことはあっても泣くことはなかったんです。でもアルバムに収録された「SHOW MUST GO ON」を聴いた時は泣きました。
小林 東郷さんは映画があれほど受けた理由というのはどこにあると思いますか?
東郷 あの映画はフレディが主演であると同時に、もう一つの主役はクイーンの音楽だったと思うんです。クイーンの音楽がとにかく素晴らしいと知らしめたのは、ライヴ・エイドの場面だと思うんですけど、あれを見た人はとにかくのけぞったはずです。私は実際あの場所にいたんですが、これまで見てきた中であの20分間のクイーンは最高でした。だから(映画を見た)若い人たちは、ロックにこんなパワーがあったのか?と思ったんじゃないでしょうか。さらにはフレディという特異なスターの生涯も追っている映画なので、まあ泣けますよね。
小林 映画と比べて、実際のフレディはどんな人でした?
東郷 映画「ボヘミアン・ラプソディ」の中でのフレディは影があるように描かれているところがありましたけど、少なくとも私が接したフレディはユーモアがあってお茶目で、よく笑ってくれて、難しい面もありましたけど、そういう印象でした。
「クイーンは4人が同格なんだよ。誰かが意見を強要するってことはないの」―長谷部宏
小林 ここで写真家の長谷部宏さんをお迎えしました。長谷部さんは本当にいろいろなアーティストの写真を撮っています。
長谷部 クイーンが一番いっぱい撮ったんじゃないかな。ただ僕はベタベタ写真は撮らないんだ。嫌がるから。
東郷 長谷部さんにとって、クイーンというのはカメラマンとしてやりやすかったんですか?
長谷部 始めは扱いにくかったんだけど、そのうちやりやすくなったね。人見知りだったかもしれないけど、特にギタリスト(ブライアン)なんてね、写真撮るのを嫌がるんだ。
小林 でもこのアルバム『ライヴ・キラーズ』のジャケットなんかは長谷部さんの写真を使ってるわけでしょ?
長谷部 この時はね、事前にバックステージでどういう写真を撮ろうかって相談したんだ。その時みんなで集合して手を振るからそれを撮ろうって。ところがライヴが終わっても前になかなか出てこないんだよ(笑)すっかり忘れちゃってね。それで3回目に撮ったのがこれ。でもメンバーが相談する時は、4人が同格なんだよ。誰かが意見を強要するってことはないの。だからクイーンってそういうバンドだったんだって思ったよね。
「クイーンは、最初からトップを目指していた」―モーガン・フィッシャー
小林 さらにここでスペシャル・ゲストが加わります。モット・ザ・フープルのメンバーでもあり、82年のクイーン、ヨーロッパツアーにキーボーディストとして参加したミュージシャンのモーガン・フィッシャーさんです。
東郷 モーガンさんが最初にクイーンのメンバーと出会ったのはいつなの?
モーガン まだクイーンになる前の、スマイルだった頃です。僕も自分のバンドをやりたくて、メンバーを探していたんだけど、その時スマイルのヴォーカルのティム・スタッフェルが来て、良いシンガーだったから僕のバンドに入ってと言ったの。で、ブライアンはよく僕のバンド(モーガン)を見に来てた。ある日、ティムの家に行ったらちょっと変わった人がいて、誰?と聞いたら、スマイルのヴォーカルで、それがフレディだった。そして73年の12月からモット・ザ・フープルのUKツアーをやったんだけど、その前座がクイーンでした。との時、2年振りに会ったんだ。そのあとのアメリカツアーも一緒だったから、40本くらい一緒にライヴをやったよ。クイーンはすぐに有名になったね。
小林 当時クイーンはどんな感じでした?
モーガン 最初からもうトップを目指していたね。デビューの頃はハードロックだけだったけど、だんだんいろんなタイプの音楽をやるようになった。
東郷 モーガンさんは82年のクイーン、ヨーロッパツアーにキーボーディストとして参加しましたよね。
モーガン そうこのアルバム(『ホット・スペース』(82年))のときね。それまでクイーンはシンセサイザーを使わなかったんだけど、ロジャーが購入して、そこからフレディも夢中になった。その頃マイケル・ジャクソンとも友達になって新しい方向性に行ったね。ブラックミュージックのスタイルを取り入れるようになった。アルバムではフレディとブライアンがキーボードを弾いたけど、ライヴでは無理ということになって、僕が入ることになった。
小林 クイーンの映画がこんなに凄いことになったのは、モーガンさんはどう説明します?
モーガン とにかくストーリーが面白かった。ファミリー・ムービーです。いわゆるセックス、ドラッグス、ロックンロールではなく、フレディの生涯とハートフルなストーリーが主体だったから。
小林 移民問題で揺れる今の時代、フレディのように違う場所から来たスターが活躍するというストーリーも何か意味があったと思いますか?
モーガン そう思うね。中東の文化もあったから、ユニークなロックスターになったとも言えるね。クイーンは来年の1月に日本に来るでしょう?
小林 観たいと思っていますか?
東郷 私は観たいです。熱烈なクイーン・マニアの人の中には、アダム・ランバートや今のクイーンじゃ嫌だなんていう人がいますが、私は関係ないですね。まだ観られるんだからいいじゃない。若い人もクイーンの音楽そのものではないけれど、その一部を経験できるわけだから、それは大切なことですよ。
〜番組の中では、その他にも東郷かおる子氏秘蔵のお宝写真や、長谷部宏氏&モーガン・フィッシャーが語るフレディ始めブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・ディーコンの素顔が伝わるエピソードなど、レアな話が盛りだくさん。もちろん必見のミュージック・ビデオ、ライヴ映像も。
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