クール&ザ・ギャング、結成55年を振り返る「セレブレーション」誕生秘話も
INTERVIEW

クール&ザ・ギャング、結成55年を振り返る「セレブレーション」誕生秘話も


記者:編集部

撮影:

掲載:19年05月26日

読了時間:約6分

 小林克也がMCを務めるBS朝日『ベストヒットUSA』。5月24日放送回では、70年代・80年代のソウル・ファンクシーンをリードしたレジェンド・バンド、クール&ザ・ギャングのオリジナル・メンバーでベーシストのロバート・“クール”・ベルが登場。過去と未来、そして愛を語った。究極のペーティー・チューン「セレブレーション」誕生秘話も明かした。

ずっと一生懸命にやってきた。“何をやるにしても家族一緒”で。

ロバート・“クール”・ベル

――結成55周年、レコード・デビュー50周年を振り返っていかがですか。

 なんだか達成感があるよよ。これほど長いこと活躍できるなんて驚きだ。
俺たちは55年前、1964年に活動開始した。The Jazziacs、The Soul Town Band、Kool and the Flamesなど何度も名前が変わったよ。1969年に初めてのアルバム『Kool and the Gang』を発表したから、それから考えると2019年7月3日がデビュー50年の記念日ということになるね。

――ジャズをやっていた時代について聞かせてください。ジャズバンドをやっていたのにはお父様の影響があったと聞いています。どのような影響を受けましたか?

 父はフェザー級でトップ5に入るボクサーだったんだ。遠征で世界中を回っていたし、キューバにも行ったんだよ。当時はディジー・ガレスピーなど数多くのジャズ・アーティストがキューバで演奏していたんだけど、そこで父がジャズの影響を受けたのが始まりだ。弟(ロナルド・ベル)は幼い時からジョン・コルトレーンを聴いたし、俺はロン・カーターやレジー・ワークマンを聴いていたよ。ジャズの影響はそんな風に始まったんだ。

――これほど長いこと活躍できた秘訣はなんですか?

 ずっと一生懸命にやってきたことかな。そして幼い頃から両親に“何をやるにしても家族で一緒に”と言われて来たからかもしれない。ここでいう“家族”はジョージ・ブラウンにデニス・トーマス、弟のロナルド・ベルなど、オリジナル・メンバーのことだよ。クレイデス・チャールズ・スミス、ロバート・ミッケンズ、リッキー・ウェストの3人が亡くなったが、4人がいまだに健在だ。そして今でも一緒に演ってる。今でもずっと愛している母が、“家族で一緒に”と言ったから、今もそうしているんだ。これは家族の約束なんだよ。

究極のパーティー・チューン「セレブレーション」の誕生秘話

ロバート・“クール”・ベル

――80年代を振り返って、もっとも忘れられないエピソードは何ですか?

 それは難しい質問だね。80年代には本当にいろいろなことがあったよ。そんな中で忘れられないのは、UKのアーティストに混じって、エチオピアの飢餓救済ためのチャリティー・プロジェクト、バンド・エイドの曲(「Do They Know It’s Christmas?」)に参加した事だね。唯一のアメリカのバンドとして参加したんだ。その他にもいろいろあったよ。2002年、ケニアではAIDS啓発コンサートをやったんだ。それも非常に印象深いよ。50万人も動員したんだ。ケニアの保健省の主催の慈善事業で、とても大きな意味があったんだ。それに80年代は、何度もアメリカン・ミュージック・アワードを受賞した。どれも忘れられない思い出だよ。

――これからのクール&ザ・ギャングは、どのようなチャレンジをしようと思っていますか?

 レコード会社のユニバーサルと契約をちょうど更新したところなんだ。今、ドキュメンタリー映画を作っているんだけど、仮タイトルは『Hollywood Swinging - Kool and the Gang Story』だ。本も同時に準備中さ。まだそういうことをやってなかったからね。それにラスベガスでミュージカルとか。そういうことをやりたいね。

――さきほど家族として、バンドとして、ずっと一緒に頑張ってきたという話が出ましたが、音楽的にはどんなことをやろうとしてきましたか?

 それは…流れに任せてきた。ただ音楽的なことで言えば、1つのことに固執したりしてこなかった。何かヴァイブを感じればそれに従う。例えば、昔カリブ海にいたときには、「Caribbean Festival」という曲ができた。(オリジナルメンバーの)ジョージ・ブラウンはたった17歳の時に、当時のガールフレンドで、のちに奥さんになる女性についての曲を書いたんだけど、弟はボブ・マーリーの影響を受けて「Get Down On It」を書いた。俺たちは特定のグルーヴには固執していないんだ。他にもロックの要素を取り入れるアイデアがあって、それが「Misled」に繋がった。「Tonight」は更にロックっぽくなった。いつも流れに任せてきたってことだ。

――ちょうどお話が出たので、ソングライディングについて聞かせてください。キャリアを代表する名曲「セレブレーション」ができた経緯はどんなものだったんでしょうか? 「セレブレーション」は究極のパーティーソングです。世界中でずっと愛されてきました。この曲について聞かせてください。

 始まりはアメリカン・ミュージック・アワードだったんだ。当時、妻と俺はニューヨークでStudio54やRegine’sなど、いろいろなクラブに顔を出していた。そこでは毎週末レディース・ナイトがあったんだけど、そんな中、ジェームス“JT”テイラーが加入して、最初にレコーディングしたのが「Ladies’ Night」だった。その曲でアメリカン・ミュージック・アワードを2部門で受賞したんだよ。そしてLAから家に戻ると、弟が受賞をお祝いしようと言った。そのための曲のアイデアがあると言った。それが「Celebration」だった!ピアノやギターのパートを聴かせてくれて、最初はどんな曲になるかわからなかったけれど、それが結局は君がさっき言った通り、世界中でずっと愛される曲になったんだ。30年以上に渡ってね!!

ブルーノ・マーズ、ウィル・スミスは、クール&ザ・ギャングに影響を受けている。

ロバート・“クール”・ベル

――いつも流れに任せてきたとおっしゃいました。そしてたくさんの名曲を生み出してきました。パーディーソングだけでなく「Joanna」のような少しスローな曲まであります。ソングライティングやサウンド面で意識されていることはありますか?

 それは弟(ロナルド・ベル)に任せているんだ。サウンドに関しては彼が専門だからね。でも、いつもクリエイティブでいようとは心がけているよ。たとえば「Cherish」なんかは、バハマで作った。家族と一緒にいたんだ。家族を大事に、愛を大事に過ごしていた。それが歌になった。でも計画していたことじゃない。「Funky Stuff」「Hollywood Swinging」「Jungle Boogie」は一気に完成した。当時のレコード会社は俺たちにプロデューサーをつけたがっていたんだが、俺たちはそれが嫌で朝の7時から夜中までジャムって、その3曲を一気に完成させたんだ。やっぱりすべては流れだってことさ。

――あなたがたの音楽は、アーティストたちに多大な影響を与えてきましたね。

 そうだね、ブルーノ・マーズはクール&ザ・ギャングの影響を受けて、ここまでの成功を納めたよね。それからザ・フレッシュ・プリンス時代のウィル・スミスは、クール&ザ・キャング、74年のナンバー「Summer Madness」をサンプリングして「Summertime」を作った。この曲はチャート1位の大ヒットになったよね。

――最後の質問です。現在、音楽以外でこだわっていることやものはありますか?

 今、音楽以外にやっていることがいくつかあるんだ。まず“LE KOOL”という名前のシャンパンを作っている。今年の夏に発売なんだ。“KOOL COLOGNE“という名前のオーデコロンも作っていて、この夏に出す。それから、(元メジャー・リーガーの)ダスティ・ベイカーと一緒に、太陽光発電のプロジェクトをアフリカでやるんだ。“Power Conscious”という名のプロジェクトだよ。太陽光で発電したスタジアムが会場だ。そういうことを音楽以外にいろいろやっているんだ。多角的にいろいろチャレンジしているんだよ。

(おわり)

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