クイーン最後の来日公演は解散寸前のライブだった!
1985年・来日公演の模様 (C)SHINKO MUSIC ENTERTAINMENT/MUSIC LIFE ARCHIVES
ライブ・エイドを契機に完全復活
日本から帰国後、彼らは沈黙を守り表舞台には現れなかった。実際、日本公演以降のスケジュールは全くの白紙だったようで、解散はともかくとしても、長期の活動休止は必至であったのであろう。
バンドの最大の危機を救ったのは同年7月13日にウエムブレー・スタジアムで開催されたライブ・エイドだった。BAND AIDにも参加しておらず、しかもたった20分という短い出演時間のオファーに当初、彼らは難色を示す。
しかしイベント主宰者のボブ・ゲルドフは熱心に口説いた。何よりも前年のサンシティ公演に対する英音楽業界内での立ち位置や、バンドエイドのシングル不参加への後悔など数々の汚名を挽回する絶好の機会だと。彼らはオファーを受けた。20分の出演時間のために、シアターを3日間借り切り入念なリハーサルも行った。
クイーンがライブ・エイドのイギリス会場、ウェンブリー・スタジアムに登場したのは18時41分。「ボヘミアン・ラプソディー」から「伝説のチャンピオン」まで、大ヒット曲を怒濤のメドレーで一挙に演奏する圧巻のパフォーマンスを見せつけた。誰もが見たいクイーンがそこにあった。巨大なウェンブリー・スタジアムに集まった7万5000人が一瞬でクイーン一色に染まったのである。ライブ・エイドでいちばんのパフォーマンスはクイーンであったと誰もが認め、あれほど攻撃していた英プレスは手のひらを返すように褒めちぎった。クイーンがイギリスの国民的バンドになった瞬間であった。
この日を境に周囲の環境は劇的に変わった。つい数カ月前までは解散もやむなしと言われたクイーンは完全に復活したのである。以降、1991年にフレディが亡くなるまでバンドはひとつに固まり盤石の体制を敷く。
ライブ・エイドの直前、解散の危機に晒されていた彼らを温かくもてなし、変わらない支持を日本のファンが続けた事が、結果的にはクイーンのメンバーをリラックスさせ、穏やかな気持ちにさせた事は違いない。
歴史に「たられば」はないとは言うが、もしこの日本滞在がなければ、ライブ・エイドへの参加はなかったかもしれないし、クイーンは本当に解散していたかもしれない。 【石角隆行(六角堂)】
クイーン参考資料
<1985年クイーン来日公演日程>
▽5月8日・9日:日本武道館/5月11日:国立代々木競技場
▽5月13日:愛知県体育館/5月15日:大阪城ホール
<クイーン公式サイト>
http://www.universal-music.co.jp/queen/
<聴き放題の音楽アプリ『FaRao』(ファラオ)>
https://www.faraoradio.jp/
聴き放題の音楽アプリ『FaRao』(ファラオ)では初来日公演から40周年イヤーを記念してQUEENの特集チャンネルを開設。毎月1本ずつ2015年12月まで新しいチャンネルを開設。第2弾の特集は1985年最後の来日公演となった大阪城ホールのセットリストを再現。5月18日から1カ月限定で楽しめる。
<QUEEN OFFICIAL CHANNEL/1985年5月11日 国立代々木競技場>