写真・クイーン来日公演振り返る(1)

1985年・来日公演の模様 (C)SHINKO MUSIC ENTERTAINMENT/MUSIC LIFE ARCHIVES

 [音楽評・分析] 世界を代表する英ロックバンドのQUEEN(クイーン)。30年前のきょう5月15日は、フレディ・マーキュリーが在籍していた最後の来日公演が大阪で行われた日である。「世界で最も売れたアーティスト」に名を連ね、初来日から40年が経った今も人気は根強い。そのクイーンは、最後の来日公演では解散寸前の状態にあったという。しかも、この大阪公演がバンドの本当の最後のコンサートになるかもしれなかった。彼らのまわりで何が起きていたのか。節目に際し改めて当時を振り返るため、クイーンを長年追いかけている音楽評論家の石角隆行氏(六角堂)に当時の状況について寄稿いただいた。

最後の来日公演となった1985年

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1985年当時の来日公演フライヤー(石角隆行氏提供)

 クイーンは1975年の初来日以来、計6回、全50本のコンサートを行っている。これは本国イギリスを除けば、アメリカ(計8回/250本)、ドイツ(計8回/58本)に次いでの回数だ。彼らがいかに日本を重要拠点と考えていた事がわかる。最後の来日公演となったのは1985年5月。11枚目のスタジオ・アルバム『ザ・ワークス(THE WORKS)』(英国:84年2月27日/日本:3月16日発売)を伴って1984年8月24日にスタートした「ザ・ワークス・ツアー」の一環として欧州、南米、豪州を経ての最終公演地が日本であった。

 日本で最初にブレイクを果たし、熱狂的なファンに支持されていた彼らだが、クイーンが世界的人気を博すようになり、フレディ・マーキュリーが短髪口髭のマッチョ指向になった1980年頃からは熱心なファンが離れていく。クイーンが6度目の来日を果たした頃はMTVが台頭し始め、イギリスからはワムやデュランデュラン、カルチャークラブといった新しいアーティストが次々とデビューしチャートを席巻していた時代。そんな中にあってクイーンは「時代遅れ」感が否めず、コンサートのチケットも完売していなかった。5月8日の初日の武道館公演終了後にはフレディを除くメンバー3人が、フジテレビの「夜のヒットスタジオDX」に生出演を果たし公演の告知をしたほどだ。

 かくいう私もそのひとり。男がクイーン好きと公言出来ない頃から、クイーン・ファンではあったが、この時期の彼らに関心が薄くなっていた。ただ気になる噂がまことしやかに流れていた。この日本ツアーをもって解散するというのである。ならば最後になるかもしれない彼らを、見届けておこうという思いで最終公演地の大阪城ホールに向かった。

 当時の音楽雑誌を見る限りでは、コンサートの内容は概ね評判が高い。しかし、私にはそう写らなかった。ツアー最終日で疲れていたのではという事を差し引いても、ギターのブライアン・メイやドラムのロジャー・テイラーの演奏には覇気が感じされず、唯一、フレディ・マーキュリーだけが広い会場を盛り上げようと孤軍奮闘していた印象で、4人のメンバーがまとまっているようには見えなかった。

 初期のアルバム収録曲等から満遍なく演奏されたセット・リストはバンドの歴史を総括しているように思われたし、日本語曲「手をとりあって」をこのツアーで一度も演奏しなかった事も何やら暗示的であった。追い打ちをかけるように発表されたのが、フレディ・マーキュリーのソロ・アルバムのリリースだ。折しも来日公演の真っ最中、シングル『ボーン・トゥ・ラブ・ユー』はノエビア化粧品のCMソングとしてお茶の間で頻繁に流れていた。しかも発売元はクイーンのデビュー以来所属していたEMIからではなく、CBSソニー(現・ソニーミュージック)であった。バンドのボーカリストがソロを出し、レコード会社も移籍となるとクイーンの解散はもはや避けられないのではと思われた。

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