<AKB48G“ミューズ”の軌跡:Nona Diamonds(7)>
AKB48国内6グループから最も魅力的な歌い手を決める『第3回AKB48グループ歌唱力No.1決定戦』のファイナリスト、池田裕楽(STU48)、野島樺乃(SKE48)、岡田奈々(AKB48/STU48)、秋吉優花(HKT48)、古畑奈和(SKE48)、矢野帆夏(STU48)、三村妃乃(NGT48)、山内鈴蘭(SKE48)と、審査員特別賞の山崎亜美瑠(NMB48)によるユニット「Nona Diamonds」が「はじまりの唄」でデビューする。作詞・作曲は決勝大会の審査員を務めたゴスペラーズ・黒沢 薫。「9つのダイヤモンド」を意味する造語を冠したユニット名には「一人一人の歌声がまるでダイヤモンドのようで、これからも磨いていき、まわりの楽器と共にキラキラと輝いてほしい」との思いが込められている。今回、MusicVoiceでは9人のインタビューを連載。歌に見出された“ミューズ”はどのようにして輝き出したのか、その軌跡を辿りつつ「はじまりの唄」、そして歌への想いを聞く。【取材=木村武雄】
山内鈴蘭、歌のはじまり
第3回大会、ファイナリスト入りがかかった決勝大会予選。歌い終えた彼女は、声を震わせ「張り詰めた緊張感のなかで歌っていたので終わった後に涙が出てきました。最後まで笑顔で頑張りたい」と思いを口にした。だが、慌てた様子で「涙は嘘じゃないんです!」と言って笑いを誘った。緊張しがちな性格で照れ隠しのように思われたが、本心が隠れていた。
歌った曲は、いきものがかかりの「風が吹いている」。声量と響きのある歌声で力強く歌った。しかし、ロングトーンが続かない。はじめは緊張からかと思われたが、実は違った。
「ファイナリストに残れなかった第2回大会は、うまく歌えていなくて。診察を受けたら声帯が閉まらなくて声と息が同時に漏れている状態だったことが分かりました。いつもこの大会が最後になるかもしれないという気持ちで参加していますが、もし第3回大会が開催されるなら歌いたいと思い、手術を受けました。いまも完治しているわけではなくて、声帯が閉まるときとそうではないときがあって、喉の調子はずっと良くないです。手術後間もない大会だったということもあって緊張しましたが、歌う前から『もし違う声が出たらどうしよう』と不安でした」
だが、喉の不安や緊張、声の震え、このステージで歌いたいという様々な感情が、技術を超越してこの曲に宿り、特別な世界観を生み出していた。
この曲で予選突破した山内は本戦で中孝介の「サンサーラ」を歌った。「2020年、沢山の事があって嫌になり、くじけそうになったこともありました。でも支えてくれる人がいました。みんなで生きていきましょう」と、その想いを歌に込めた。
小さい頃から歌が好きで、カラオケではマイクを離さなかった。
「家族で銭湯に行った時に、大広間に歌うステージがあって、そのステージから離れなかったそうなんです。マイクを握ったら離さないし、人前で歌うのが大好きで(笑)」
ただ、その歌が自身のキャリアと結びつくまでしばらく期間が空く。
AKB48に入りたい、芸能活動をしたいと思ったきっかけは「篠原涼子」
「ゴルフとダンスをずっとやっていました。そのなかで一度だけ、篠原涼子さんのドラマ現場にお邪魔したことがありました。そこに立つ篠原さんはこの世のものではないぐらいの輝きを放っていて、芸能界、スターっていいなって憧れを抱きました。それから、篠原さんが大好きになって、歌も毎日聴いていましたし、ドラマも過去の作品も遡って見て。私の芸能界の始まりは確実に篠原涼子さんです」
AKB48の9期生として2009年に加入。それから月日は流れ、2018年。第1回大会の開催が決まった。
「歌が好きだからというのが一番にありました。でも、チャンスがあるなら出ない理由はないと思っていて、歌が下手としても絶対に出ていたと思います。テレビに出られるチャンスですし、恥ずかしい、歌が下手なんて言っていられない。もし出て悔しい思いをしたら練習すればいいですし」
結果は5位。この大会がきっかけで「歌がうまい」という認知が広がっていく。
「この大会に出たことで自分自身の可能性が広がったと思います。まだ成功しているとは言えませんが、それまで私の武器はゴルフしかなくて…。でも歌が加わったことで私にしかできない仕事の幅も広がったと思います。それとグループで歌っても私の声に気付いてくれる方も増えて。個性も伸びましたし、私を知っていただく機会も増え、感謝しています」
「喉不調」という運命のいたずらをも力に変えていく。その姿は歌声と同様にたくましい。
ここからは一問一答。
歌唱力決定戦、思い通りに歌えず感情主体に
――声帯手術の影響はありますか。
息が続かないんです。声帯が閉まらないから息が漏れて途中で切れてしまって。手術を受けましたが完治したというわけではないので、閉まらないときもあってずっと調子が良くないんです。喉を使い過ぎると再発するので不安です。とは言っても手術前よりはいいんです。ただ、自分が思ったイメージ通りに歌えなくてすごく悔しいと思うことも多いです。そうした中での大会だったので緊張もありましたし、高音が出せなかったので不安は大きかったです。
――「風が吹いている」はその影響を感じました。
練習の時は出ていたんです。でも本番で、サビの高音の部分が少し縮こまって出にくくて、これは審査の時に加点されないと思ったので、それ以外のところでどうカバーしようと歌っている最中考えていました。
――そうした状況を冷静に対処しようと思っていたのはすごいですね。
ずっと練習してきたので100%の力を出そうと思っているんですけど、本番になって出ない音がやっぱり出てきてしまって…。それをどこかで補わないとファイナリストに残れないと思って…。AメロとBメロは上手くいったという手応えがあったんですけど、サビの高音の部分が思ったように出せなくて、どうしようかと考えているなかで、声に気持ちを乗せようと思ってとにかく想いを伝えることを重視して歌おうと切り替えました。
――そのなかでも口の中での響きと声量はすごいと思いました。喉に負担をかけないように、全身を楽器にして歌っているようにも見えましたが。
気持ちの部分が声量に乗ったというのはあると思います。ただ私の癖で「あ」の母音がつくところ、「は」とか「ま」の発音が苦手なんです。普通に歌ったら鼻にかかってしまうので、口を空洞にさせて、更に舌を口底に下げて歌う練習はすごくしました。鼻声にならないでスコーン!と抜けるような母音を意識しました。
――対して「サンサーラ」はそれまでの不調は嘘のように綺麗に歌われていました。
もともとこの曲は、低音部分がすごく低くて、女の子には出しづらいんです。喉の不調で高音が出ないので、逆に低い声に振り切ることに挑戦しました。毎回、挑戦と位置付けているんですけど、私はもともと声が高い方なので可愛らしく歌ったり、実際に声が可愛いねと言われることがあったんです。でもそのイメージも壊したいというのもあったので、新しい風を吹かせたいという意味で「風が吹いている」だったんです。それで、「サンサーラ」は低音を出すことと、今の時代にすごく響くような曲だと思って決めました。
――でもこの難しい曲を歌い切ったのはすごいと思いました。
バンドメンバーさんが「サンサーラ」を普通に弾いても、私が歌いづらいだろうと思ってくださって演奏を山内鈴蘭仕様にしてくださったんです。入り方とか転調するときの音とかも、私が取りやすいように考えて作ってくださって。この大会はもちろん順位がつくので実力の世界かもしれないですが、スタッフさんやバンドメンバーさんも含め、みんな応援してくれているんです。みんながみんなを応援してるからすごく温かい大会だなって思います。
――多分、バンドメンバーさんはきっと、山内さんの異変に気づいていたんでしょうね。
バンマスでキーボードの佐藤雄大さんが第2回大会の時に気づかれました。「鈴蘭、声どうした?」って。事情を話したら、いろいろとアドバイスしてくださって、「喉は一生ものだから無理しないで、僕たちが合わせられるところは合わせるから」と。100人以上がエントリーしている大会なのに、一人一人見てくださっているんだと感動しました。
はじまりの唄、自分をみつけた
――最初に聴いた時の印象は?
最初に聴いた第一声が「これめっちゃいい曲だ! これ好き!」でした! サビまで聴いたら心が掴まれる曲もたくさんあるんですけど、この曲は頭から鷲掴みにされました。もちろん歌詞もいいんですけど、メロディが本当に素敵。スッと入ってくるのに、ちょっと切ない感じもあって。自分の感情も乗りやすくて。曲を聴いている人達は、自分の感情に当てはめながら曲を聴いたりすると思うんです。この曲は恋愛だけでなく仕事を頑張っている人などあらゆる方の感情にも当てはまるような曲だなと思いました。
――歌割はどう感じましたか。
私自身、歌う箇所はそんなに多いわけじゃないんですけど、ポイントポイントでしっかり自分の個性が出せるような歌割りを頂いたなと感じました。いつも黒沢さんは、2番サビ終わりの1発目は「鈴蘭ちゃんが肝だからね」って言ってくださっていて。サウンドも大きくなっていくし、感情で歌い続けるパートが続くんです。そこの1発目は「鈴蘭ちゃんの熱量にみんなが合わせて行くからね」という大事な部分をいただきました。12年間やってきて、チャンスを掴めなかった時の方が多かったんです。でも、そんな中でも自分がどうするべきなのか、個性を磨き続けた12年間だと思っているので、もどかしい気持ちもありながら、自分という個性を見つけたんだっていう気持ちを歌に乗せることをすごく意識して歌っています。
ファイナリストライブ、挑戦
――大会では毎回、「挑戦」を掲げているとのことですが、中森明菜さんの「飾りじゃないのよ涙は」も挑戦だったんですか。
この曲はリズムが一定なんですよ。リズムがずっと一緒なのに、それに当てはめながら一語一句リズムを取りながら流されないで歌う必要があるんです。例えば<私は泣いたことがない>という歌詞があるんですけど、1語1語に小さい「つ」が入っているイメージです。それが私の中で新しい挑戦でした。
――その課題に着目したのはなぜですか?
回を重ねると選曲が似たようなものになるんです。似たようなものを歌ってもファンの方は喜ばないと思うので、変わったものにしようと。私はこの時代の歌謡曲が大好きです。このメンバーで一番年上ですし、歌謡曲を知っている人はいないだろうなと思ったら、池田ちゃん(STU48・池田裕楽)が「異邦人」などの歌謡曲を歌って、あれってなったんですけど(笑)。歌謡曲の中でも自分の得意とするものではないものをピックアップした結果、この曲になりました。
――いろんな曲に挑戦されていますが、喉を壊すことで歌への向き合い方も変わったと思います。いかがですか。
変わりました。まず私生活から喉への対応が変わりました。辛い物を極力食べないとか。お酒が大好きなので、お酒を飲むときは大声を出さないとか。もちろん今の時期は家で飲むから大丈夫なんですけど、以前はお酒を飲むとカラオケしたくなってしまって。喉を閉める歌い方をずっとしてきているので、腹から出すようにと。たとえ喉から出したとしても通りやすい音をすごく考えながら歌の練習をするようになりました。ただ気持ち良く歌うのではなくて一つ一つの言葉を大切にするようになりました。
(おわり)