国内外で高い評価を得て活躍する映画監督・清水崇が、漫画家・山本英夫による累計発行部数400万部超えの国民的カルト漫画を実写映画化した。記憶も社会的立場も失い、禁断の実験により運命が狂い出す主人公・名越進役に綾野剛を迎えた映画『ホムンクルス』は、独創的な内容ゆえに“映像化不可能”とも言われていた原作を、清水監督による大胆で独特なタッチと繊細な心理描写で観る者に迫る渾身の一作に仕上がった。
“人間の正体”を赤裸々に投影した衝撃のサイコミステリーである本作は、これまでの清水作品とはカラーが異なる印象があるも、「それもたまに言われるのですが、実は僕の中では今までと違っていることを極端にやっているつもりはないんです」と本人は語る。監督デビューして20周年。劇場版『呪怨』(2001)以降、第一線で活躍を続ける清水監督に、本作に賭けた想い、そしてキャリアのことをうかがった。【取材・撮影=鴇田崇】
『ホムンクルス』撮影裏側
――登場人物の深層心理が見事に映像化されていましたが、どのような点に苦労しましたか?
精神的なマインドワールドをセリフや芝居で表現する作品はあっても、それが具体的なビジュアルになって…という独特なアイデアは、原作者の山本さんの原作の中にもともとあったコンセプトです。そこをえぐった上でどう着地するかの部分は山本さんも相当悩み、書いていたと思います。連載時のものから、コミックス化に向けて更に手を加えているほどなんですよね。それを実写にするので、置き換え部分も必要ですし、テーマを変えずに映画にするのは悩みも多かったです。
――ホムンクルスは登場人物固有のものではあるのですが、彼・彼女らの苦しみは、誰かしらの共感を誘いそうなものになっていますよね。
そこの間口を広げてしまうともともと正解があるわけではないので、行き過ぎてしまうことになり、本当に主観だけの個人的な目線になってしまう危険がありました。それだけではなく、観ている人がなるほどとうなずける、自分ごとのようにうなずける理由を、ちゃんと持たせないといけなかった。それは映画では相当アレンジをしてしまっているところもあるのですが、そういう意味でもチャレンジでしたね。
――キャストのみなさんも魅力的でした。原作がありながら人間味あふれる演技で、キャラクターに新たな命を吹き込んでいるように見えました。
綾野君も成田君も、みなさん漫画を読んでくれていました。内野さんも最初「僕でいいんですか?」と言われていて、原作だとゴリゴリのゴリラみたいな男なんですよね。でも原作によらなくていいですと。それはあくまで漫画という記号化世界でのビジュアルであり、実写映画の記号化世界はまた別なので、そこは内野さんの思うところでいい。という話をさせていただきました。綾野君とは方向性についてたくさん事前にやり取りをして、やがて他の配役が決まってきてから、見えてくるものもたくさんありました。それによってアレンジする必要性も出て来ましたが、綾野くんの名越はじめ…生きている人間のための、生きている映画にしたかったので、大変ですがやり甲斐ある制作過程でした。
――女子高生1775役の石井杏奈さんも、映画の世界観にピタッとハマッていましたね。
石井杏奈さんはE-girlsを抜けるタイミングでした。原作にそこまで寄せる必要はないと伝えましたが、彼女のほうから「髪を切っていいですか?」と言われて、「いいの?」と。そしたら髪をバッサリ切って、正面・横の写真も全部送ってきてくれて、本当に思い切ってくれましたね。映画ではそこまで触れられていないのですが、原作だと自分の左側を見せたくない内面性とかあるんですよ。髪の毛で隠していて、そこも意識して撮影に入ってくれました。
――まずカツラじゃないことに強い意気込みを感じますよね。
じわじわと長い時間をかけて原作では背景を描いていますが、映画では3つくらいのシーンに落とし込まないといけなかったわけです。ただ、原作があったからこそ読めた俳優さんたちは、それで補われたものがキャラクターとしてあったとは思いますね。それは原作がある題材のメリットだったとは思います。とはいえ、岸井ゆきのさんのキャラクターはオリジナルですし、結局映画でどこまで伝わるか?表現できるか?は全俳優が監督の僕に委ねるしかなかったんだと思います。
――岸井さんの“謎の女”も気になるキャラクターになっていました。
僕も撮影しながら本を直している状態だったので、それを唐突に渡された岸井さんなどは相当戸惑ったと思います。申し訳なかったです(笑)。原作読んでも出てこないから僕と話すしかないわけで、そういう状態で岸井さんはやってくれたので大変だったと思います。
――なんでも撮影中にホムンクルスが見えたそうで、それは本当ですか?
見えましたね。だいたいの俳優陣やスタッフのそれも見えましたが、それはあまり言っちゃいかんのではないかな(笑)。僕自身のホムンクルスも見えましたよ。僕の弱いところが見えちゃいました。20年やってきた監督人生と、プライベ―トも含めての、自分自身の弱いところと強いとことも。自分てこういう風に生きているのだなと、再認識しました。
――ホムンクルスのビジュアルが見えたのではない?
名越のように、網膜を通じて脳内の電気信号で視覚化されたわけではないです。それが見えていたら不安で病院行きます。それは支障きたしすぎると思うので、体中に穴を探して、閉じたほうがいいですね(笑)。でも本当は見たいですよね。山本さんも具体的なビジュアルを漫画でフィクションとして描いていますが、僕も撮影しながら名越の右目を閉ざしたら見えるという感覚は、なんとなくわかったんですよ。特に綾野君、成田君は、見えやすいなって思いました。男って単純なんだなあと。逆に一番見えないのは石井さん、かしこいなあと思いましたね。そう感じただけですが。
監督デビュー20周年
――監督の長所・短所とは何ですか?
詳細は言いたくないですけど…僕はあんまり動じないみたいですね。仕事で窮地に陥っても、なんとでもしてやれるみたいな心持ちがどっかにあるんです。弱みは人の言葉や言動で左右されがちなところですね。ただ、僕も他の方もそうですけど強さと弱さって極端に反比例しながら、それでも同居しているんですよね。
――なるほど。自己矛盾ですね。
そうですね。左右されて揺れ動くけれど、揺れ動いているなあ自分、と冷静に思う。でも、なんとかなるよね、なんとかしちゃうよね、オレって、どっかで思っている。今回、『ホムンクルス』で改めて自己認識した感じはしますね。でも、人によっては強く見える人ほどとんでもなく弱い一面があったり、逆だったり、危険な領域に入るというか、危ういところに触れる題材なのだなって、やりながらひしひし感じました。
――そして監督デビューして20周年となりました。劇場版『呪怨』(2001)以降、ジャパニーズ・ホラーの第一人者として一時代を築かれたわけですが、当時の反響は、どう受け止めていたのですか?
それは自分が一番ピンと来ていなかったと思います。ただ、「あれ?」って感じはありました。特に日本で作った『呪怨』は、ヒットはしながら、同時に次々プロジェクトが走っていたんです。『呪怨』の1が公開された舞台あいさつの時には、もう2も撮影中でした。だから舞台あいさつのために撮休にして主演の酒井法子さんも休みになったので、花束を1の主演の奥菜恵さんやヒロインたちに届けてくれました。普通は1のヒットがあってからなのですが、次から次へと決まっていて慌ただしかったです。
――昭和のアイドルの記憶がないみたいな感じですね(笑)。
いやでも若かったし楽しかったので、忙しすぎるって感じではなかったのですが、ピンときていなかったんですよ。そのままアメリカ版の制作に入って、仕上げはずっとロスにいたので、日本での反響はその時もわかっていなかった記憶があります。今ほどネットも普及していなかったし。『THE JUON/呪怨』(2004)のプレミアとレッドカーペットが終わり、しばし落ち着いたところで映画が公開されたら、これも大ヒットだと向こうのプロデューサが喜んでいました。ほどなく帰国したら、テレビやなんだと取材が殺到していたので、何が起こっているのかと面食らいましたね。
――気づいたらジャパニーズ・ホラーの第一人者になっていた。
第一人者は、とうの昔の先陣監督だと思うんですけどね。中川信夫監督とか。「呪怨」のヒットで、これは仕事がホラーばかりになるな…とは思いましたよ(笑)。そのとおりになってますけど。だからこそ実感として掴みやすいのは、別の作品を撮ったりしてきたなかで、『呪怨』ほど反応がないっていうのは思うんです。あれは監督でデビューして初期だったこともあり、今思えばあれは確実にヒットして世の中に届いていたのかと今になってわかるんですよ。多少のヒットでは響いてこないので、後からすごさを知る感じでしたね。
――『呪怨』は2000年代初頭の日本映画の象徴みたいなところもありましたよね。
言い過ぎじゃないですか。でもそうならそうで悔しいわけです。自分の作品がライバルみたいになってくるから。『呪怨』の清水崇という言われ方を早めに払拭したくて、次へ次へと望むようになりました。でもその一方で、『呪怨』という映画を観てない人でもタイトルだけでも聞いたことがある…というような代表作があることが、ありがたいことだなとも思えるようになってくる。だんだん自分でも実感できていきました。
――今回の『ホムンクルス』のような違うジャンルの作品もたくさん撮られています。
それもたまに言われるのですが、実は僕の中では今までと違っていることを極端にやっているつもりはないんです。ジャンル分けって選びやすく見易くするためだけの区分けなので、見る方や世間的には全然違って感じられても、作り手の僕にはあまり意識の違いは無くて。むしろ自分では「また同じ部分を掘り下げてる」感があって、その理由について考えていたら、たぶん<記憶>なんですね。気がついたら、人の記憶にまつわる物語やテーマについて、ホラーだろうが違うジャンルだろうが、僕はやってきている。たぶんそこは自分の中でライフワークなのかも。いま公開している『樹海村』、その前の『犬鳴村』(2000)もそうで。
――言われてみると、かなりの作品がそうですね。
『戦慄迷宮3D THE SHOCK LABYRINTH』(2009)や『ラビット・ホラー3D』(2011)もそうですね。それこそ『呪怨』も短編の連なりのホラーに見えて、田中要次さんのくだりでは、記憶の話をやっている。僕の中では『呪怨』も記憶の話であり、それは前に住んでいた思いが家に残っていて、記憶の断片が襲い掛かる話ですよね。だから『ホムンクルス』も、もちろん原作ありきですが、特別なものをやっている感じも自分の中でないんですよね。ジャンルとしては区分が違いますが、核には同じものがある気がしていて。
――その『ホムンクルス』ですが、記憶で言うと大人になって自分自身を見つめ忘れかけている人にも観てほしいですよね。
自分を見つめる作業って、なかなかしなくなってしまいますよね。特に大人になると。思春期ではすると思いますが、放り出しちゃうものかもしれない。そういう意味では僕はずっと思春期の時のままな自分に戸惑っている感がありまして…。だからこそ、この映画も若い人だけでなく、何か忘れて日々の時間や人との出会いをやり過ごしてしまっている大人にも観てほしい。自分のホムンクルスが見られるといいですね(笑)。
出演:綾野 剛 成田 凌 岸井ゆきの 石井杏奈・内野聖陽
監督:清水 崇
原作:山本英夫「ホムンクルス」(小学館「ビッグスピリッツコミックス」刊)
配給:エイベックス・ピクチャーズ
In association with Netflix
(C)2021 山本英夫・小学館/エイベックス・ピクチャーズ