DJ KOO「テンポが時代背景を促している」DJ活動の40年間を振り返る
INTERVIEW

DJ KOO「テンポが時代背景を促している」DJ活動の40年間を振り返る


記者:平吉賢治

撮影:

掲載:20年03月04日

読了時間:約14分

DJ KOO の40年間の思い、90年代小室哲哉楽曲の制作秘話

――40年間音楽活動をしているDJ KOOさんの思い入れの深い時代は?

 DJデビューした1979年、80年代あたり、日本のディスコが第1期サーファーブームで思い切り花開いた時期は凄く思い入れがあります。その頃の曲だと杏里さんやアン・ルイスさんの「六本木心中」などもディスコで流れていたんです。クール&ザ・ギャングやアース・ウィンド・アンド・ファイアーが流れているなかで、土曜日の一番混んでいる時とかに最後の必殺、フィニッシュホールドみたいな感じでそういう曲をかけて、それがドカンと受けるという。そういう意味のJ-POPの力というのは、洋楽しかかけないダンスフロアのなかで凄い力を発揮していました。

――J-POPはディスコやダンスフロアでも強かったのですね。

 そこでかかるJ-POPが強みがあるんです。洋楽に負けないというか、国民性をそこでボコッとこられたらという。踊れるんです。

――DJを始めた頃はご苦労などもあったのでしょうか。

 DJって縦社会で、見習いからなんです。最初は給料もなしで掃除とウェイターをやりながらで。落語家さんの修行に似ているかもしれないですね。見習いDJからセカンド、チーフになっていくみたいな。新宿歌舞伎町でやっていたんですけど、先輩のおつかいとか普通にしていました。でも僕は高校時代モロに体育会系のラグビー部で、さんざん縦社会を経験していたので誰よりも早く美味しいラーメンを先輩に持って行きました(笑)。だからそこは苦じゃなかったですね。

 友達の家に居候したり、寝られない時はコインランドリーで寝たりもしていました。暖かいし朝まで営業しているので(笑)。時代は凄く華やかになっていって、その流れを自分で体感しながら、必ず流行とかは夜のディスコから発信しているし、曲もファッションもそうでしたね。自分がリアルタイムで色んなものを見ていけるのは楽しくて刺激的でした。

――ディスコがカルチャーの発信源だったのですね。

 ファンションもメイクもそうでした。だからディスコに行っている奴は当時は“ナウいぜ”って言って。あと思い入れがあるのはTRFがデビューした頃です。小室哲哉さんを通じてですけど、海外の音楽を日本に波及させていく立場でやり始めたという印象的な時代です。小室さんと一緒に新しい日本のダンスミュージックを作っていけたのはキーポイントです。

――小室さんと最初に会った時の印象は?

 最初はTK RAVE FACTORYという形でイベント要員として集められたんです。クラブのスタッフから「こういうイベントやるからDJやらない?」と、初めて小室さんに紹介されたんです。その時は11人くらいいて「寒い夜だから・・・」あたりから5人のメンバーになりました。僕はずっと小室さんの押しかけ弟子みたいな感じで、ずっと小室さんに付いて新しいスタジオで一緒にやったり作業のアシスタントをしたり。TRFというよりも小室さんの弟子というかたちで側にいた時期です。「EZ DO DANCE」の頃までそうでした。

――その頃のTRFで印象的だったことは?

 小室さんって天才過ぎる人だし、発想とかがポンポン上から降りてくる人に見られているかもしれないですけど、こういう話もあるんです。TRFの「EZ DO DANCE」や「BOY MEETS GIRL」、「survival dAnce ~no no cry more~」を作る前、夜スタジオワークをしたあとに色んな人を呼んでカラオケに行くんです。小室さんは歌うわけじゃないんですけど、ずっとみんなを見て「うぅん」ってやっているんです。

――小室さんはカラオケでみんなの様子を見て考察していた?

 小室さんの発想としては、TRFの1枚目のアルバムは本当に洋楽のアルバムだったんだけど、『EZ DO DANCE』になる時に「どう一般の人達が楽しめるか」というのをずっとカラオケで研究していました。カラオケルームで歌うのはマイクを持っている人だけで、周りは飲んだり話したりしていて、小室さんは「歌の力でみんなが『イェー!』って声をかけられたり一緒になれる曲の作りかたはないか」と考えていたみたいで。

 だからTRFの曲はサビの前に「サビに行きますよ」という感じのがついていて、<Survival dance!!>の後に「フゥッ!」って声がかけられるような。そうするとカラオケボックスがライブみたいになるじゃないですか?

――その頃の別の楽曲でもそういった話があるのでしょうか。

 H Jungle With tの時だと、「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント」は歌番組での浜田雅功さんとの口約束ではないんです。小室さんはトランスやテクノの音楽を作っていたんですけど、当時ジャングルという新しいジャンルがUKのほうで流行っていて、凄く興味を持っていて。実際にそれを形にしたいと思って、隔週で半年くらいかな…小室さんはクラブでジャングルのイベントをやっていました。現場でどれだけお客さんが反応して踊るのかと。その頃、小室さんはジャングル漬けになっていました。

――各楽曲にはそんな逸話があったのですね…。

 そうなんです。それをやっていたからこそ、「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント」はレゲエっぽい感じなんだけど新鮮なジャングルのビートで出来たんです。200万枚のセールスいくのは「やっぱすげえな小室さん」って思う人も多いかもしれないですけど、そこまでには半年以上の期間があったんです。僕もその間は東京中のレコード屋さんでジャングルのレコードを買い集めて。

 あの忙しい小室さんが隔週でクラブでプレイを一緒にやっていたんです。僕がDJをやるうえで小室さんがアドリブでシンセを弾いてセッションプレイをしていました。さっきの「スタジオじゃなくてカラオケに行く」というのと同じような感覚でしょうね。そこに小室さんの天才的な部分が加われば、やっぱり200万枚いくって当然だったりしますよね。

――時間をかけて密なことをしていたのですね。

 それくらい魂の込もった曲たちなんです。だからきっと今作に入っている曲も、みなさんそういうようなものがあると思いますよ。そういうところを探っていったら面白いですよね。ご本人のストーリーや音楽的なことが絶対詰まっているなと思い描きながら選曲していて凄く楽しかったです。自分に置き換えられる部分もあったので。

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