結成40周年・横浜銀蝿、オリジナルメンバーで再集結 その真意に迫る
INTERVIEW

横浜銀蝿


記者:村上順一

撮影:

掲載:19年09月09日

読了時間:約16分

いつまでも男に愛されるバンドでありたい

――ファンの方に対してはどう思われていますか。

翔 いつまでも男に愛されるバンドでありたい、というのはいつも思っているよね。女の子云々というわけではないんだけど、やっぱり女の子が多くなってくると男がライブに行きづらい感じもあるじゃない? 黄色い声よりも、男の「いいじゃねえか翔!」という声を聞きたい。

嵐 でも、俺は男に対しては厳しいよ(笑)。女と犬には優しいけどね。

TAKU もう嵐さんは今、犬を溺愛してるからね(笑)。自宅にいる犬にスマホで話しかけてるぐらい(笑)。

――ちなみに男女比の理想はありますか。

翔 男が6で女が4かな。やっぱり女の子の歓声ももちろん欲しいからね(笑)。 Johnnyが復活して恐れている事があるんだけど、女の子の視線がJohnnyに行ってしまう事なんだよ。40年前のトラウマがあって、満員のお客さんの中で1時間ぐらいボーカルとして盛り上げてたんだけど、盛り上がりがもう一つだなと思って、Johnnyにギターソロで前に行かせたんです。そうしたら「キャー」って女の子の大歓声が上がって、たった一曲、数小節で盛り上げちゃったんだよ。俺はなんだったんだってね(笑)。でも、あの時とは違うからJohnnyも戸惑うと思うんだけど。

Johnny 確かに40年前とは違うだろうから、今のお客さんの反応は想像がつかないよね(笑)。

――このメンバーで復活してライブで演奏するのに楽しみにしている曲はありますか。

Johnny 僕はやっぱりデビュー曲の「横須賀Baby」かな。この曲で横浜銀蝿は始まって、解散ライブでこの曲で終わったということもあって、この曲をまた4人で出来るのは楽しみですね。

嵐 俺も「横須賀Baby」だね。Johnnyも言ってたけど、最初に解散した時の最後の曲だったという事もあって忘れられないんだよね。そして、一番金の匂いがした曲だったからね(笑)。

TAKU 僕はこの4人となると「$百萬BABY」だね。Johnnyの歌が久しぶりに聴きたい(笑)。

翔 俺は「横須賀Baby」ももちろん楽しみなんだけど、「ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編)」だね。このレコードが81年の1月12日に世に出て、俺らが全国区になって、仕事も一気に増えて世の中が変わったんです。この曲はずっと歌い続けたいと思う一曲だからまたこの4人で出来るのは楽しみです。「横須賀Baby」じゃないとデビューしないと押し切って、「ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編)」は2ndシングルになったんだけど、この曲のおかげで俺らは下積みもほとんどなかったからね。

Johnny 『夜のヒットスタジオ』で歌った次の日とその後に出た『ザ・ベストテン』のコーナー「もうすぐトップテン」で世界が変わったのを覚えています。

翔 「横須賀Baby」は4人とも思い入れのある曲だからすごく嬉しいよね。

――最後に来年この4人で迎えるZEPPツアー への意気込みをお願いします。

翔 横浜銀蝿はJohnnyと一緒に始めたバンドだから、そのJohnnyとステージに立てるということが楽しくてしょうがない。ファンのみんなも言葉には出さなかったけどJohnnyの復活を待っていたはずなんだよね。俺たちもやりたいとは思っていたけど、なかなか現実には出来なかったけど、水橋さんをきっかけに、その架け橋を作れたことを嬉しく思っているから「俺がJohnnyを呼んできました!」とファンに伝えたいよね。だから、来年からのツアーはもう「お前ら集合」って感じだよ。

(おわり)

Biography

1979年9月21日、『THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL』略称『T.C.R.横浜銀蝿R.S.』として嵐(Dr)、翔(Vo)、Johnny(Gt)、TAKU(Ba) により正式結成。

シングル『横須賀Baby』、アルバム『ぶっちぎり』でデビューし、その後テレビ、ラジオ、ライブ等の音楽活動だけでなく、映画・ドラマに出演するなど活動の場を 広げ、わずか2年で当時ミュージシャンの誰もが憧れた日本武道館コンサートを成功させ、日本レコード大賞特別賞を受賞するなど、日本全国に横浜銀蝿の名 を轟かせ、その1年後“It’s OnlyRock’n Roll 集会ファイナルカウントダウン10”コンサートにて活動を終了した。その独特のスタイルで衝撃デビューし、時代 をぶっちぎった横浜銀蝿は数千万のファンに惜しまれながらも頂点に立ったままスピード解散し伝説のバンドとなった。その後、翔はソロアーティストとして、 TAKU・嵐・Johnnyはプロデューサーとして、メンバーそれぞれは活動の場を広げていった。

そして1998年1月1日、バンド名を『横浜銀蝿』と改めシングル『RUNNING DOG』、アルバム『ぶっちぎりVII』をリリースし全国ツアーを行う(Johnnyは不参 加)。その間、リーダーの嵐はレコード会社『シルバーレコード株式会社』を設立。
2002年夏には一旦解散。夏季限定バンド『湘南銀蝿』を結成し、シングル『渚のC.C.C.』を発売。9月22日には『湘南銀蝿』を解散し『THE CRAZY RIDER 横 浜銀蝿 ROLLING SPECIAL RETURNS』として再度復活。

2004年、嵐が脳梗塞で倒れる(現在はリハビリ中ながらコンサート等では必ず顔を出し、ファンの前で元気な姿を見せている)。翔・TAKUに加え、リードギター のJack、ドラムのAtsushiを迎え活動。2006年、25周年を祝して横浜BLITZで記念コンサートを行った。2007年、銀蝿トリビュートバンドLIVE『横浜銀蝿 FESTIVAL』を開催。2010年に結成30周年を迎え、原点回帰をうたいデビュー時初コンサートを行った横浜市教育会館での前夜祭ライブを二日間にわたり 行い、後にLiveDVDとしてリリース。2015年は35周年に向け、9月21日には十数年ぶりに新曲を収録したCDを発売。2016年、横浜

銀蝿デビュー35周年記 念そしてリーダー嵐の還暦祝いとして、嵐ヨシユキ60年の生涯を歌に込めてファーストソロアルバム「生涯現役!」を発売。 2018年9月、復活20周年を記念し翔還暦60歳60曲コンサートを戸塚公会堂の40周年に合わせ行ったコンサートはソールドアウト。6時間かけ60曲+αを歌い上げた。

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