横浜銀蝿「40thとしての軌跡を残したい」新譜に込めた4人の想いとは
INTERVIEW

横浜銀蝿40th

「40thとしての軌跡を残したい」新譜に込めた4人の想いとは


記者:村上順一

撮影:冨田味我

掲載:21年09月18日

読了時間:約12分

 期間限定で2020年にオリジナルメンバーで再始動した横浜銀蝿40th(読み:ヨコハマギンバエ フォーティース)が9月8日、ニューアルバム『ぶっちぎり249』をリリース。2021年いっぱいで活動を終了する横浜銀蝿40th。1年7カ月ぶりのオリジナルアルバムには、シングル「昭和火の玉ボーイ」や、リモートでの制作でMVが話題となった「ツッパリ Hight School Rock’n Roll(在宅自粛編)」、3月に先行配信したシングル「逢いたくて 逢いたい」に、書き下ろしの新曲を加えた全9曲入りのDISC1。 初回限定盤DISC2にはファン投票によって決定した「横浜銀蝿ベスト10」をスタジオライブレコーディングで収録。全131曲のオリジナル楽曲の中から選ばれた楽曲が、横浜銀蝿40thの“いぶし銀サウンド”で収められている。インタビューでは、4人で再始動した2年間の活動を振り返りながら、『ぶっちぎり249』に込められた想いや、ロックンロールし続ける4人に話を聞いた。【取材=村上順一/撮影=冨田味我】

こんなにも環境が変わったんだとカルチャーショック

――昨年から延期になっていたツアーも無事に回られましたが、みなさん手応えはいかがでしたか。

翔 マスク着用、声を出しての歌唱・応援禁止等の制限付きライブではあったけど、そこにファンがいるという状況に感動したし、なにより楽しかった。Johnnyが戻ってきてライブをするという第一目標がやっと達成出来たというのも大きかったし、当たり前のことが出来るというのは、幸せなことだったんだなというのがわかったのも大きなことだったね。

――嵐さんは後ろから3人の姿を見ていたわけですけど、どんなことを感じましたか。

嵐 やっぱりJohnnyがステージにいるというのはポイントが高くて、空気が変わるんだよ。その空気感というのはきっとお客さんにも伝わっていると思うし、オレたちもすごく感じていて。40年前もこんな感じだったよなと思いだしたり、すごく楽しいツアーでした。

――Johnnyさんは相当久しぶりのツアーでしたよね。

Johnny オリジナルメンバーで再始動してから、短いイベントライブはいくつかやりましたが、ツアーでフルライブというのは35年ぶりくらいだったんです。ステージに立ってまず思ったのはLEDライトって凄いな!と。昔は照明がハロゲンだったのでメチャクチャ熱かったんですよ。ワンステージが終わる度に、革ジャンが絞れるくらい汗がすごくて。でもLEDは全然熱くなくて、科学の進歩、カルチャーショックでしたね!あと、個人的には横浜銀蝿解散後はソロ活動や作曲家として頑張ってたんですが、30歳の時に子供が生まれたタイミングで、表舞台から裏方のレコード会社に就職しました。裏方にまわるきっかけになった息子がライブを見に来てくれて「親父、感動したよ」と。感慨深かったです。

Johnny

――35年という月日の大きさを感じますね。TAKUさんはいかがでしたか。

TAKU 正直に言うとコロナ禍でのライブは観る側もやる側も微妙じゃないですか。会場には人が沢山いるからお互いに少なからず不安もありますし、チケットを購入したけどライブに行かないことを選んだ人も沢山いたんです。なので、会えなかった人もいて、本当は何の不安もない中、手放しで楽しめるライブが出来たらいいなと思っていたんですけど。

――とはいえライブ自体は楽しかったんですよね?

TAKU もちろん楽しかったですよ。始まってしまえば時間はあっという間に過ぎてしまって、照明や音響のスタッフもやっと感触を掴んで、エンジンがかかってきたところでツアーが終わってしまった感じもあったと思うし。Johnnyが入ってのライブは久しぶりだったので、やってみないとわからないところもたくさんあったし、10月にはこの4人で回る「ファイナルツアー バハハ〜イ集会『昭和魂 永遠!』」を控えているので、そこで全て出し切りたいですね。

TAKU

――そのぶん気持ちが入ったライブになっていたと、拝見させていただいて思いました。それにしても横浜銀蝿はオリジナルメンバーでの再始動を発表した日は台風が上陸、ライブ活動を始める頃にコロナ禍でのイベント中止など、何かが起こるバンドですよね。

翔 いつも俺らの船出を阻止しようしてくるんだよね(笑)。

TAKU なんだかんだで今回も準備から含めるともう足掛け3年近く経っていて、40年前の活動とほぼ同じくらいの期間をこのオリジナルメンバーで活動していて。

翔 去年のツアーの初日は俺らの出発の地でもある横浜市教育会館でライブをやりたかったんだけど、コロナ禍で出来なくなったんですよ。今回9月から始まるファンクラブ限定イベントは教育会館でもやるんだけど、新型コロナもまたここに来て酷くなってきたのでできるのかが不安なんだよね。

 教育会館の近くに伊勢山皇大神宮という神社があって、昔は教育会館でライブをやるとなったらいつもお参りしていたんだけど、最近していなかったのでそのせいもあるのかもしれないなって。なので、この間教育会館でライブが出来るようにお参りしてきたんだよね。そこに限らずライブ会場の近くに神社があれば、実はこっそり抜け出してよく行ってるんだよ。

Johnnyを誘って本当に良かった

――願掛けも重要ですよね。横浜銀蝿40thの準備期間も含め、どんな思い出がそれぞれありますか。

Johnny 20年以上ギターを弾いていなかったから2019年はギターのリハビリから始めました。本来なら2020年の3月にツアーが始まる予定だったから、今思えばすごく無謀なことをしようとしていたんだなと。あの時は根拠のない自信があったんだけどね(笑)。コロナ禍で幸か不幸か時間がもらえたので、2020年から2021年までの1年間はすごく大きかった。

翔 何事もなくスタートしてもJohnnyはちゃんと仕上げてきたと思うけど。でも、その1年間があったからアルバムをもう1枚作ろうと思えたしね。それなりに自分たちでやりたいことを決めて実行できた時間だったことは確かで。

――翔さんはどんなことが思い出として残っていますか。

翔 2019年の年末の『COUNTDOWN JAPAN 19/20』のステージで、俺は不安だったの。基本若者のフェスだったから、俺たちを観たいと思って来てくれる人がどのくらいいるのかわからなかったし、何とかして観に来たお客さんをガッチリ捕まえて、このステージに勝ちたいと思ったんだよ。でも俺が見る限り3人は飄々としていてさ(笑)。

 フェスは戦うところだと思ってステージに向かったんだけど、行ったらお客さんがパンパンで、俺らの曲をみんなが歌ってくれたんだよね。世代を超えて伝わっている、その景色にすごく感動したんだ。それはJohnny復活の効果もあって、関係者もすごく注目してくれていて、レコード会社の社員もJohnnyを見て「社長カッコいいですね!」なんて言われててさ。そういうのも含めてJohnnyを誘って本当に良かったと思ったよ。

――それは感動しますよね! 嵐さんはどんな思い出がありますか。

嵐 実はコロナ禍で寝てばっかで何をやってたかあんまり覚えていないんだよね(笑)。とにかく俺は横浜銀蝿40thの仕事が入るたびにすごく嬉しかった。仕事一つひとつが思い出だね。だから今日も取材がたくさん入っていると聞いていたからもう嬉しくて。

――では、嵐さんから横浜銀蝿40thを通して皆さんに伝えたいことは?

嵐 この4人の団結力ですね。特にライブが始まる前に団結力を感じることが俺は多いかな。音が出た瞬間に4人が1つになっていると感じるんだよ。やっぱり40年もずっと友達がいるってすごいじゃない?

TAKU こういった周年が訪れる度に同じく周年を迎えたバンドとテレビとかで一緒になることが多いんですが、オリジナルメンバーが全員残っているのはたいがい俺らだけなんですよ。しかも現役でツアーに出て新譜も出せているってことはすごくありがたい事だと思っています。当時の四人は横浜から出てきた似たような兄ちゃんたちの集まりでしたが、年齢を重ねる事でそれぞれの個体差が生まれてきたなと感じています。バンドがすごく立体的かつ奥行きが出てきて、80年代の時よりも面白いバンドになったんじゃないかなと思ったりしています。

――そんな横浜銀蝿40thが今年いっぱいで終幕というのも寂しいです。個人的には40thとしては終わっても横浜銀蝿としてこのメンバーで続けてもらえるんじゃないかと思ったり。

翔 横浜銀蝿41thとか(笑)。

TAKU なんだかんだで区切りは必要なんですよ。でももしかしたら横浜銀蝿50thがあるかもしれないし、俺らの物語は続いて行くので。

翔 メンバーみんなが元気で50周年を迎えられたら、ファンのみんなに「お前らも集合だ」って声をかけてやれたらいいなとは思っているし、それを目指して頑張りたいというのもあるよね。ただ、今回はたまたまコロナ禍で1年活動が伸びてしまったけど、この決められた期間の中でどう楽しむかというのも重要なんだよ。

横浜銀蝿40thとしての軌跡を残したい

――さて、9月8日にアルバム『ぶっちぎり249』がリリースされますが、どんな1枚にしたいと思っていましたか。

翔 横浜銀蝿の軌跡を横浜銀蝿40thとして残したいなと思って作ったアルバムです。俺たちの年齢を全部足した249年分の人生が詰まっていて、これがJohnnyと作る最後のアルバムなんだという思いも込められています。今回新しい試みとしてはJohnnyの作った曲に、俺が歌詞を書いて、Johnnyが歌ったということ。タイトルは「蒼い夜に抱かれて」という曲。実はJohnnyが歌う曲に俺が歌詞を付けたことが、今までなかったんだよね。

Johnny 高校の時、一緒にバンド組んでから40数年経つけど、初めてのことです。すごく刹那カッコいい歌詞だなと思いながら歌いました。

翔 言葉というのはすごく大切だなと思っています。その時に思っていたことや、チョイスする言葉の力というのは絶対にあると思うんだよね。コンサートが中止、延期とか言ってるなかで、こういう時にこそ音楽って絶対必要だと思っているし、絶対に言葉の力というのはあると思っていて。ワンフレーズしかない「逢いたくて 逢いたい」みたいな曲に救われる人はいると信じています。

――Johnnyさんはこの『ぶっちぎり249』をどのように捉えていますか。

Johnny 高校生の時、翔くんとバンドを組んだのが俺の音楽の原点ですが、その時はこの曲をやったら周りからどう思われるのかとか、流行りとかそういうことではなくて、これカッコいいよね! と俺たちが純粋にやりたいものをやっていましたね。今作の「ぶっちぎり249」も、その時と同じような気持ちで制作できました。60歳を過ぎたオヤジがこんなことをやったらどう思われるかな、とか人の目を気にしてはやってないですね。

嵐 すごくそれぞれの個性が出た良いアルバムになったと思っています。TAKUの曲はTAKU、Johnnyの曲はJohnnyだなと聴いてすぐにわかるしね。

――嵐さんのソロ曲もありますね。

嵐 俺が歌っている「おはよう」は、目覚めた朝の時間を切り取って曲にしたいなと思って。朝のルーティンを歌詞にしていったんだよ。目玉焼きも本当は両面を焼いた半熟が好きなんだけど、たまには気分変えて今日はスクランブルエッグにしようみたいなね。ところで君は目玉焼きは食べる?

――食べます。半熟の目玉焼きが好きです。

嵐 両面を焼いて潰して食べるのが美味いんだよ。

翔 それは人それぞれだろ(笑)。

――何をかけるかも意見が分かれますよね。私は醤油派ですけど。

嵐 俺も醤油だな。

TAKU いや、そこはソースとマヨネーズでしょ。

翔 おいおい、塩コショウだろ。

Johnny 俺は塩コショウでも醤油でも大丈夫で、その日の気分で変わるよね。

――本当に好みが分かれますよね。さて、TAKUさんはこのアルバムをどう感じていますか。

TAKU ベテランと呼ばれている人たちのアルバムを聴くと、一言でいうとやりたい放題なんだよね。我々もそうで、もうここまでくると誰も何もいってこないからね。でもそれが逆に難しくなってくるんだけど(笑)。歌詞も、40thではリアルなことをそのまま書いていることが多いから「ツッパリ High School Rock’n Roll(在宅自粛編)」にしろ「OYAZi ROCK」にしろ、あれこれ悩まず15分くらいで書けてしまうわけ。カッコつけなくてもいいし変に作り込む必要もなかったから、とても素直にできたアルバムになったと思います。

――昔は盛らないとダメだったところも、経験がそれらを埋めてくれる感じもあるのでしょうか。

TAKU それはあるね。だんだんカッコつけずに書いても、そのままで行ける感覚はあります。昔は土曜日だから彼女誘って海に行こうっていうのをリアルに書けたんだけど、今の俺はそんなことしていないわけ。かといって昔はこうだったよ、というのもちょっとあれじゃない? なので例えば嵐さんは今回は卵を焼いている歌なんですが、それが今の嵐さんらしさなので、それはそれでとても良かったんじゃないのかな。

翔 まあ、嵐さんはこの中でも特別だからね(笑)。リアルももちろんあるんだけど、俺の中でちょっと先にあるような手の届かない言葉をチョイスしているところもあって。イカした比喩だったり、人が使わない言葉を探して、それを見つけるのが楽しかった。それで俺らしい言葉ってなんだろうと模索しているときに「お前サラサラ サーファーガール おいらテカテカ ロックンローラー」ができたり。今回も「昭和火の玉ボーイ」や「Go for it!」もそうだし、「逢いたくて 逢いたい」は2つの言葉しか歌詞に出てこないんだけど、それ以外の言葉なんていらない、敢えてそれで歌いきろうと思ったことが挑戦だったんだよね。リアルなんだけど“横浜銀蝿流”になっていて。他とは違う言葉を選ぶ、そういうのが人の心を打つんだろうなと思っているんだ。

Johnny イントロを考える時に自分も同じような感覚があって、キャッチーなフレーズで聴いている人の心を掴みたいというのはあります。

――最後に40年を駆け抜けてきて、ロックというのは皆さんにとってどんなもの、存在ですか。

嵐 まだ答えは出てなくて、俺はまだそれを探している最中なんだよね。

TAKU 俺の中ではロックとロックンロールは明確に違うんですよ。

――どのような違いがあるんですか。

TAKU 髪の毛が長いか短いかとか、オデコが出てるか出てないかとか、今思えば単純に演者のヘアスタイルの違いってのが昔の自分の中にはビシッとあったんだけどね。でも、今はそのあたりもよくわからなくなってきているから、区別は難しいですね(笑)。

Johnny “ロックな生き方”ってあるじゃないですか。それは「誰にも媚びない」というところなのかなと思っていて。自分がサラリーマンになってからもロックな生き方をしてきたつもりですし、おかしいと思ったことはおかしいとちゃんと言えることが、自分の中のロックなのかなと思っています。

翔 俺たちはロックバンドではなく、ロックンロールバンドだと言ってずっとやってきた。多分アメリカでは細かい区別はなく、どれも全部ロックとしてまとめられている。敢えて俺たちがそう名乗ってきたのは、他とは違うんだという意味もあって、どんな曲調も俺たちがやればロックンロールで。俺の中ではカッコいいと思ったものは全部ロックンロールで、もう生き様みたいなものなんだよね。さ、みんな、最後までロックンロールするので夜露死苦!

(おわり)

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冨田味我
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