スポーツ中継のように
――その音楽は三味線ぐらいで、ほとんど使われていないのに等しいですよね。音楽に頼らずともあそこまで場面や心情変化などが表現できているのはやはり画力だと思いますが、そもそもどの層に見てほしいというのはありますか?
監督がターゲットに置いているのは時代劇を映画館で見ていた世代ですが、僕は、誰が見ても楽しめる作品だと思っています。一乗寺下がり松でのシーン、台本には「スポーツ中継のように撮りたい」と書いてあって、いわゆる長回しです。あの時だけはカメラを3台用意して「流れを止めないで一気に撮りたい」と。緊張感を止めないような撮り方をされています。
こうした撮り方は今の時代劇の手法ではなかなか見られないと思います。だからこそ、初めて見る人は新鮮だと感じるだろうし、昔を知っている方は懐かしいと楽しめる。時代劇が少なくなっているなか、改めてその醍醐味を感じられる撮り方になっていると思います。
――確かに迫力があり、息を呑みました。その分、撮影は大変だったんだろうとも思います。
大変ところじゃなかったですよ!(笑)体育館で殺陣の稽古をやって、撮影が始まったのは1月10日。一乗寺下がり松でのシーンを撮る2日前に大雪が降って。撮影の直前まで皆で雪かきをしたんですよ。でも雪かきをしたところで地面はドロドロなわけですよ(笑)。まともに走れないし、相手が斬りに来た時に避けないといけないけど、滑ってそれどころじゃなくて。体育館でずっと、稽古をしてましたが、撮影で足場が良かったところなんて一つもなかったです。
――それは危ないですね。けがはなかったですか?
3針縫いました。相手が突いて来るシーンでしたが、当然打ち合わせ通りなので、突きが来るのは知っているんですよ。でも、ドロドロの地面に足がとられて避けきれなくて、それで刺さってしまって。それに限らず、次の一手が分かっているんだけど、バランスが崩れて避けられないことが結構、ありました。
――まさにリアル。一乗寺下がり松に限らず、戦いのシーンは迫力がありました。良い意味で綺麗ではないと言いますか、きっと戦いとはこういうものだったのかなと。殺陣で使われた刀もこだわりがあたったか。
戦いの殺陣で使われた刀は竹光(竹で作られた模擬刀)でしたが、武蔵が竹藪で振りをするところや、沢村(目黒)が武蔵と小次郎の戦いを、刀を使って解説したシーン、小次郎(松平健)が滝の前で振っているものは刃を落とした真剣でした。そうしたところの細部のこだわりがありました。
――刀に関連して、二刀流になるきっかけも描かれていました。敵から奪った長い刀を折って短くするという。
最初の蓮嶽寺跡で清十郎の弟・伝七郎を殺してしまった後、その手下に襲われるシーンで、二刀を出しました。だけど短い刀は相手に届かなかった。それで相手が長い刀を落としたから、それを奪って、長いと扱いにくいから中刀を作った。一乗寺下がり松ではその二刀を使って実戦する。そうした過程をセリフではなくて、画を通して説明していましたね。そういう直接的な表現ではなく、伝えているところがいくつもあって。何度見ても楽しめると思います。