ストーリーは、スッと自分の中に入ってくるような感じの印象
――寛一郎さんにとって、今作は映画初主演となりましたが、その役柄を務められたお気持ちはいかがでしょう?
寛一郎 気負いはしました。やっぱり僕の中では主演の価値というものがものすごく高くて深いし、高度なもの、すごく難しいものだという思いがあります。だから現場での立ち振る舞い方や、“この作品を背負わなければいけない”という責任感などを、クランクイン前にはすごく考えていました。
ただ現場が始まってしまうと、意外に考えていたことがすっ飛んでしまって、普通に演技をしていました。まあそれはそれでよかったのかもしれませんが、やってみると意外に想像していたものとはちょっと違うかな、という感覚はありました。
――それは、今回のストーリーがわりと群像劇的な感じであるというところが、助けになったというところもあるかもしれませんね。
寛一郎 そうですね、それもあると思います。
――今回の映画『君がまた走り出すとき』ですが、ビジュアルイメージからも“みんなで走る”ということがメインのテーマになりますが、お二人は結構スポーツは好きですか?
山下リオ 私は好きです!
寛一郎 僕はあまり好きでは(笑)。まあ、できるできないは別として…。
――スポーツ自体も?
寛一郎 スポーツをやっていた時期もあったし、体を動かせば楽しいと思うところもあるけど…どちらかというと好きじゃないかな、と思います。
――“走り続ける”というのは、確かにかなりしんどいところもありますし。この映画でのランニングシーンは、実際にスタートからゴールまでずっと走っていたりしたのでしょうか?
山下リオ いや、さすがに走り続けるのは無理があるので、撮影の画になる部分それぞれで、という格好ですけど。
寛一郎 ただ、本編で映っているものに加えて、もう少し多めに走ったと思います。
山下リオ でも、長谷川さんなんかも合わせて、幅広い年齢層で走っていたから、朝方にとにかく走るシーンをもってくる、というのが多かったです。それほど長丁場にはせず、まずその日の午後のお芝居までエネルギーは残しておく、みたいな感じで。
寛一郎 午前中で全部走るシーンを撮っていたので、毎日朝は走って、撮影に行くみたいな。
――なるほど。劇中のみんなが一つの目標に向かって走る、というシーンを見ていると、あんなところで走ってみたい、という気持ちにもなりましたね。“走るのって、結構楽しいのかな?”と。
寛一郎 一人だったらきついかもしれないけど、誰かと一緒だったら走るかもしれない、という気持ちは出てくるかもしれません。
――このストーリー自体は、完全なオリジナルですが、最初にこのストーリーを台本で読んだ時は、どんな印象でしたか?
寛一郎 原作の映画化ではない、オリジナルな脚本であるということに対して、僕はその作品は、すごく価値があると思っています。だからそこに出られることで、最初にまず“ああ、いいな”と思いました。
そして脚本に目を通すと、スッと自分の中に入ってくるような感じの印象がありました。キャラクターもおのおのはっきりした感じだし、綺麗というか、整然とした作品という印象を受けました。挫折の仕方とか、自分からの逃げ方とか、そういったものが、整理されて分かりやすいというか。脚本を読んだ時に、たまに”これ、どういう意味だ?”と、止まることがありますが、そういうことは一切ありませんでしたし。
――では、“役を演じよう”“ここから役になり切ろう”と思った時からストーリーにすぐ入り込めた感じですか? バックグラウンドにはちょっと闇の部分もありましたが…。
寛一郎 そうですね、意外とそうだったかもしれません。彼自身の性格、内面的なものにも、共感できるところが多かったし。
――挫折というか、毎日の生活に思い悩んでいるというところですよね。山下さんのほうはいかがでしょう?
山下リオ 私もそうですね。私もすごく佳織に共感できましたし。ただ佳織のキャラクターには、少しコメディタッチというか…。
――元気なイメージがありますよね。
山下リオ そうなんです、それがどこまでリアルにできるかと思った部分はありました。でもだからこそのキャラクターとして存在していて、ほかの役もみんな愛らしいキャラクターだったし。結局脚本を読んだら全員のことが好きになったので“早く実際にキャラクターのみんなに会いたい!”と思いました。
さっき“スッと入ってくる”という話を寛一郎くんが言っていたけど、最近、マツコ・デラックスさんが今CMで“ベタを恥ずかしがるな”と言っているのを思い出して(笑)。まさにあんな雰囲気。現場には真っ直ぐな清々しさを感じました。