知らない人が聴いてどう思うか
――タナカさんが考える昭和歌謡の良さとは?
今は曲を作るのに、技巧に走っているような気がするんです。昔の曲の方が覚えやすい。すごくいい音のステレオとかで聴くと、70年代歌謡曲のベースラインとか、すごくかっこよかったり。デジタルじゃないから生身の人間がやっているじゃないですか。そういうのがいいですよね。バンドとか歌う人も、すごい個性豊かな方が多かったじゃないですか。
――そうですね。さらに「大島エレジー」ではダンスもあります。
ダンスは簡単じゃないですか? 合わせるのは、“でもでも”というところだけなので。あとは適当にやっていればいい。お客さんがやってくれると、鉄板で盛り上がるんですよね。最終的に、楽しければいいというのがあるので。「今日楽しかったね」といわれるのが一番うれしいかな。楽しんだけど、実は歌詞を読んだら、「そうだよ」と思われるのが一番いいですね。
――2曲目の「夜を越えて」は、おだやかな奄美の風景が目に浮かぶ、心にしみるナンバーです。
これは作曲をしてくださった佐東賢一(作曲家兼プロデューサー)さんから説明された方がいいと思います。(※以降インタビューに同席していた佐藤賢一氏も参加)
佐東賢一 タナカくんと知り合ったきっかけが、映画『いぬむこいり』(2017年公開)のサントラだったんです。三線を弾くシーンがあったので、「三味線の指導と音を録るのに、誰かぴったりな人はいないか」と聞いて回ったら、彼を紹介されて。映画公開のタイミングと、「大島エレジー」を発表したイベントのタイミングが一緒だったんですよ。いろいろなところから「カラオケはないのか」「CDはないのか」と言われたから映画もやっているし、一緒に出しちゃおうかと。だからきっかけはすべて映画です。
――すごいつながりですね。「夜を越えて」はどのようなテーマで書かれましたか?
佐東賢一 監督の考えでは「イマジン」をイメージしていたということで、平和を祈ってというテーマで作っています。「夜を越えて」は劇中では柄本明さんが歌って三味線をタナカくんが弾いているんです。
――タナカさんが今回歌うにあたっては、どういうふうに受け止められたのですか。
これは「俺、無理だよ」というのが正直なところでした(笑)。自分で歌えない歌は作らないじゃないですか。「大島エレジー」は自分で作ったから。でも、この歌は難しいんですよ。「こんな難しいの、歌えないよ」というのが最初の正直な思いでした。今でもちょっと思っていますけど。
佐東賢一 歌いこなすのに半年くらいかかったけれど、今はちゃんとものにできたよね。
もともと歌うことをやっていなかった人間だから、「映画の歌なんてちょっと…」というのも気持ち的にもあったし。器用じゃないから何度も稽古して、回数を重ねないとできないですよね。小さい頃から「私歌手になります」なんて言う人は、器用ですぐに表現できるかもしれないんですけど。
――手ごたえを感じたときの喜びはどのようなものだったのでしょうか。
佐東さんにも「そのシマ唄っぽい声で歌うといいんだよ。やってみろよ」みたいな感じで言われたのと、実際ライブとかで自信がないながらも「夜を越えて」を歌うと、「感動した」という声もいただき、実際に涙する人もいたり。自分では考えてもみないことが起きたんです。だから、洋服みたいなもので「俺、この服好きだから」という理由で着るのと「お前はこれが似合うから着ろよ」と言われて着るのと、同じ差なのかなとか思いました。
――もう1つ「てぃだぬうた 花ぬうた」は、雄大なナンバーです。歌唱には盟友の奈良大介さんと師匠の朝崎郁恵さんも参加されています。
これも佐東さんの作品なんです。もともとデモで歌っている人がとても上手いんですよ。その時点でひいちゃって。これも「俺、無理だよ」という感じでいたんですけど、マブリの相方の奈良大介と二人でやってみないかって言われて。彼とはもうずっと長くやっているので、一緒だったら上手くいくかもと思ったんです。そして、後半師匠が出てきますけど、師匠もすごく協力的に「私も参加するわ」と言ってくれたので。自分がシマ唄に入ってから奈良大介、朝崎郁恵という二人は絶対切っても切れない関係なので。3人でできたことには、ものすごく満足しています。
――今回シングル化されることにより、たくさんの方に届きますが、それについてはいかがですか?
今まではマーケットが狭いところでやっていたので。まったく知らない人が聴いてどう思うのかなとか、楽しみでもあり怖くもあり半々な気持ちですが(笑)。多くの方に楽しんで頂ければ嬉しいですね。
(おわり)
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