これがルーツミュージック、タナカアツシ 祖父の縁が繋げた音楽
INTERVIEW

これがルーツミュージック、タナカアツシ 祖父の縁が繋げた音楽


記者:桂泉晴名

撮影:

掲載:18年08月01日

読了時間:約12分

「大島エレジー」はメッセージソング

タナカアツシ(撮影=片山拓)

――ご自身でも唄うようになったのは、師匠との活動の中でですか?

 「唄を覚えた方がいいわよ。まずはお囃子から覚えなさい」と言われました。唄というのは、必ず上の句と下の句があって。前半と後半、これで一番なんですけれど、間にお囃子が入るんです。掛け声みたいなものから、難しいものはサビのメインを唄った後に繰り返して唄う、みたいな。それでお囃子から覚えていって、だんだん唄全部を覚えるようになりました。

――お囃子というのは、シマ唄にとってどういう役割のものなのでしょうか?
 
 奄美のシマ唄は、独唱がなくて複数名で唄うんですよ、会話だから。全部やり取りで歌詞ができていて。中には違うのもたまにはありますよ。でも基本的にほとんどの曲がやり取りですね。「~だよ」と言うと、「そうだねそうだね」「こんな話もあるよ」「あ、そういう話もあるのかい」みたいに、どんどん展開していく。誰かが唄うと、必ずお囃子が必要で。それが昔のスタイルですね。さらにできれば、男女の掛け合いなんです。

――そうなんですね。唄うときに大切にしていることは?

 僕は唄を唄う人は、唄が上手い人だとずっと思っていたんです。もちろん、世間一般ではそうなんですけど。でも、シマ唄の中に「唄いなさい。とにかく唄いなさい。声は人それぞれなんだから、気にせず唄いなさい」という歌詞があるんですよ。それを師匠から教わった時に、シマ唄というのは上手い下手じゃないんだと。人間性が出て、それがいいと思えば、それはそれで唄者なんだと。だから声が伸びるとか、高いとか声量があるとかは、全く関係ないという話を聞いて。それで唄いたいなと思うようになったんです。

――それまでは歌うことは好きでしたか?

 親から「あんたは歌が下手だ。声が悪い」とずっと言われていたので、なるべく歌わないでいいように、音楽の授業で歌のテストとか発表は欠席したりして。人前で歌うのは本当にダメでした。

――唄が好きになったのはどういったところからですか?

 朝崎さんの伴奏を始めてから1、2年経ったとき朝崎先生の妹さんが急逝されて。すごく仲の良い姉妹だったので、朝崎さんはとても落ち込まれて「しばらく唄えない」ということになったんです。そこは30人~40人ぐらいの会場だったので、朝崎さんはキャンセルするけど、われわれ弟子にやって欲しいと言われて。「いや、無理でしょ」と思いながらお店のオーナーに話したところ「おもしろいかも」と。オーナーから「朝崎さんは今回出られなくなりました。でもお弟子さんがやります」と説明してもらったら、半分ぐらいキャンセルになったのですが、15人か20人くらい来てくれることになって。それで相方の奈良大介と二人で、マブリというユニットで出ました。

――アーティストの奈良大介さんとも長いお付き合いですか?

 長いです。朝崎師匠と同じだけの長さで付き合っています。「うちの伴奏やってみない?」と言われた一発目のライブの時に、奈良大介と知り合いました。

――今回の「大島エレジー」はどのような経緯で作られたのでしょうか?

 これは去年の4月に作ったんですけど、そのちょっと前に中野でやったイベントに呼ばれてマブリで出たんですけど、出番が最後だったんですよ。そうしたら一つ前の沖縄のミュージシャンが、ムード歌謡ぽい曲をやったんです。「ムード歌謡はおもしろいよね」と盛り上がったら、奈良さんが「奄美はいつも沖縄と間違えられる」というヒントをくれて。「それを歌にしようか」という話になったら、割とすぐできたんです。

――正直、私も昔は伊豆大島と間違えていました。

 そうですよね。大島は結構日本にいっぱいあるみたいで。東京の人だったら、大島といえば伊豆ですよね。

――だから本当にあるあるだなあと。

 「大島エレジー」の歌詞は盛った話は全然なくて。だから東京にいるシマ出身の人も、シマ大好きな東京の人も、「そうそう」と言うし。去年の4月に披露してからバッと広まった感じです。

――タナカさんも、かつてはご存じなかった?

 シマ唄をやるまでは全く知らなかったです。だから昔の自分です。家に奄美の人がたくさん来るんだけれど、奄美と沖縄の違いを分かっていませんでした。

――「大島エレジー」はちょっとユーモアがあるところが、クスっと笑えます。

 最初はコミックソングと言われていたんですよ(笑)。でも「コミックソングじゃなくてメッセージソングなんですよ」と毎回言っています。

――奄美と沖縄をいっしょくたにしていたなと、改めて思います。

 あんな近いのに、びっくりするくらい文化が違うんですよ。奄美大島は音楽にしても食に関しても、日本文化の最南端だと僕は思っています。音階も本土寄りなんですね。沖縄音階がほとんどないんですよ。食べ物も沖縄は濃い目ですし、なんでも炒めるじゃないですか。奄美は煮炊きするんですよ。食事も味付けが和風ぽいですね。味噌とかたくさん使うし。

――数年前に奄美大島に行きましたが、空港で降り立った雰囲気も違うなと感じました。

 南国、とかハワイとかそういうイメージとちょっと違いますよね。もうちょっと落ち着いていて、古きよき日本みたいな。

――だから昭和歌謡と親和性があるのかもしれないですね。

 昭和歌謡にしたのはパッと思いつきなんですけど。内容は常に思っていたことで。昭和歌謡を作ったのは初めてなんですけど、奄美在住の人たちに聴いて欲しいという思いがあったんです。奄美の音楽シーンは都会とは少し違って、おしゃれすぎると受け付けてくれない。ちょっと懐かしい感じが奄美の人たちに受けるんですよね。

――「大島エレジー」は1回聴いただけで頭に残りますし、NHKの大河ドラマ「西郷どん」が放映されている今だからこそ、というのもありますか。

 大河ドラマ「西郷どん」は奄美ロケを1カ月以上やっていて、その奄美編が放送されるということで、奄美も在京の島人(しまんちゅ)もすごく盛り上がっていて。さらに今若い人たちの間で昭和歌謡ブームらしいんですね。そういうのもあり、背中を押してくれる要素が3つぐらいあるから、タイミングが良かったかもしれないです。

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