サンゴ礁の美しい海やマングローブの森といった大自然に囲まれる、奄美大島。ここは鹿児島県の離島なのだが、南国というイメージと地理的に近いという理由で沖縄と混同されがち。そんな奄美のちょっと切ない“あるある”をユーモアたっぷりの歌にしたのが、タナカアツシが8月1日にリリースした「大島エレジー」である。タナカアツシは、長年奄美シマ唄の第一人者である朝崎郁恵に師事し、伴奏者として彼女を支えてきた。さらにジンベ奏者の奈良大介とのシマ唄ユニット「マブリ」(奄美方言で魂を意味する)を結成するなど、東京を中心に活動している。彼が「大島エレジー」を作った背景、そして朝崎とも共演していた三味線奏者だった祖父が繋げた奄美シマ唄との縁と、彼の音楽のルーツについて語ってもらった。【取材=桂泉晴名/撮影=片山拓】
祖父の奄美三味線でルーツミュージックを実感
――タナカアツシさんは、最初バンドでミュージシャンとしての活動を始められたそうですね。
もともとミュージシャンとかギタリストといった気概は一切なく、本当に好きに弾いていて。高校の時は文化祭とかやりましたけど、普通に人前でやることは全く考えていませんでした。だけど最初に入った会社には、社内にバンドや劇団がいっぱいあったんです。それで引っ張り出されて、「ライブハウスでやってみないか?」と言われたのがきっかけです。
――奄美のシマ唄をはじめられたのは、いつごろなのでしょう?
ずいぶん後で、30歳を過ぎてからです。ギターをやっていく中で、どんどんルーツミュージックが好きになっていって。ブルースが好きになり、いろいろと聴いていたんですけど、どんなに真似しても黒人には敵わないじゃないですか。そこでちょっと気持ちが折れたんですよ。そんな時に、自分の祖父が亡くなったんです。祖父はずっと奄美大島のシマ唄をやってきて、家の中でつねに三味線を弾いている人だったんですね。
それで最初は残された三味線がもったいないから、形見として一本もらおうかなと思って。それで弾いていたら、今までギターを弾いているときは「何時だと思っているんだ!」と家族や親戚が否定的だったのに「もっと弾いてくれ」と言われるようになって。「こんなに反応が変わるんだ。これがルーツミュージックなんだ」と思ったんです。でも、それまでは好きではないジャンルの1つだったんですよ。
――なぜですか?
曲も言葉もよくわからないですから。今でこそ「大島エレジー」のなかで「沖縄じゃないのよ」と言っていますけど、当時は沖縄と奄美の違いさえ分かってなくて。だけどうちは奄美大島の出身の人がやたら集まる場所だったんです。東京なんですけど、家の中に一歩入ると、シマの酒と料理はいつもあって、シマの人たちが常に遊びに来ていて、シマの音楽が常に流れていて。祖父が18歳くらいのときに上京してから亡くなるまでの60年間、ずっとやっていました。
――99年から奄美シマ唄の唄者の朝崎郁恵さんとやられるようになったそうですが、どういうきっかけなのでしょうか?
朝崎郁恵さんは祖父と交流があり、ステージに立つ時に祖父が伴奏をしていて、という時代があったんですね。祖父はわりと倒れてからすぐ亡くなったんですよ。そうしたら朝崎先生が「あなた、三味線弾けるなら、私の伴奏やらない?」と聞かれたんです。そのころはシマ唄に興味がないから、家によく来るシマのおばあの一人だと思っていたんですよ。それで祖母に聞いてみたところ「あの人から声かけてもらうなんて、大変なことよ。半端な気持ちなら、受けるのはやめなさい」と言われたんです。
だけど「やってみたい」と言ったら、「じゃあ応援するから」と言われ、祖父が着ていた大島紬とか引っ張り出して、「ステージの時にこれ着なさい」と。それ朝崎先生の伴奏の一発目のライブが、祖父が亡くなって4カ月ぐらいしかなくて。三味線を弾いて3カ月ぐらいのキャリアで、大御所の伴奏をいきなりしなくちゃいけないという…。
――すごい状況ですね。
5曲ぐらいお題目を言われて、ひたすら何時間も練習しました。できなかったら祖父の顔に泥をぬることになるし。切羽詰まった状況に追いやられましたね。
――そこから20年近く朝崎さんと活動されているのですね。
影響は絶大ですね。音楽というものの考え方を根底から変えさせられました。まず唄うたび違うんですよ。
――違うとは?
たとえばチューリップの歌だと「さーいーた」一拍、「さーいーた」一拍というのは、鉄則じゃないですか。それが「さーいーた」1、2、3「さーいーた」だったり「さーいた」だったり。毎回違うんですよ。それを三味線名人は唄者の口元を見ながら、うまく合わせる。そして師匠である朝崎さんはレジェンドの中でもかなり自由に唄うタイプなんです。
だから最初はわけがわからなかったです。基本、シマ唄は会話なんですよね。会話にメロがついた感じです。そしてお客さんとの空気などで日々違う。自分はまだまだまだですけど、師匠は本当に違いますよ。それがめちゃくちゃじゃない、ギリギリのところみたいな(笑)。すばらしい唄を聞かせて頂いていますね。
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