TOKIO山口達也の不祥事に関連して、残るメンバー4人が、2日都内で開いた会見で謝罪した。山口達也が脱退の意向を示したものの現在は結論を保留していると明かされた。また、TOKIOとしては引き続き活動を継続していくが、音楽活動については「白紙」であるとも報告。リーダーの城島茂は「断腸の思い」と悔しさをにじませた。

 長瀬智也は先日、ファン向け有料サイトを通じて、山口が奏でるベースがなければバンド活動はできないという趣旨で自身の考えを綴った。改めてその考えを問われて以下の通りに語った。

 長瀬智也「僕らは23年間、バンドでやってきましたから、やはり、一つの音が無くなってしまうということはそういう事なんだと思います。TOKIOの楽曲は、彼が演奏する音がないと全く形にはならないので、今、そういう状況で、それからのことはこれから4人でゆっくりと考えながら、話し合いながらやっていこうと思っています」

 1994年にデビューしたTOKIOは来年25周年を迎える。これに絡めてアルバムやツアーの計画もあったという。

 国分太一「去年から25周年に向けて5人で話し合ってきました。ここ最近僕らは、ツアーとかもなく、ファンの皆さんも楽しみにしていたと思います。その25年に向けてアルバム制作、この時期にやりましょうといろんなことを考えてきましたが、今は全て白紙にして、とりあえずは音楽活動は考えるのは止めて、向き合えることに向き合っていきたいと思っています」

 松岡昌宏「ファンの方々は一番そこを気にしていたと思います。その声も僕らにはちゃんと届いていましたし、だからこそ、去年からアルバム制作、そして25周年のライブも考えていました。喜んでもらおうと思って色々考えていました。本当に申し訳ないです」

 国分は前日のTBS系情報番組『ビビット』で「自分が16歳の時にTOKIOというグループができて、その時はまだこのメンバー5人ではなかったんです。そこから自分が20歳になって今のメンバーになりました」とTOKIOの歴史に触れていたが、リーダーの城島も触れた。

 城島茂「もともとTOKIOというのが、1988年か89年ぐらいに山口達也とわたくし城島が出会いまして、それぞれギターとベースをやっていたということもあって『バンドやろうじゃないか』ということがあって。そこからメンバー全員が集まってきて、バンドを皆で、下手くそなのに原宿の小さいスタジオを自分達でとって、ああでもない、こうでもないと言ってやってた時代がありました」

 城島茂「そんなこんなんで、その頃はまだデビューもしていませんし、TOKIOという名前は頂いていたんですが、うちの社長からは。まだ仕事も何にもない時代からなんだかんだでやっていたんで、音楽がベースにあるのは間違いないのですが、気が付けばバラエティとか、役者の仕事とか、いろんな仕事を頂けるようにまでなりました。ただ今回、こういうことがありまして、今白紙だと。正直断腸の思いです。しかしそんなことは言ってられません。やっぱり、被害者の方とご家族の方に対しての謝罪の想いとどうしていくべきか、向かっていかなければなりません。きちんとTOKIOと果たすべきことを、やるべきことをやっていくしかないと思っています」

 城島は以上の通りに語り、TOKIOの根幹である音楽の活動が「白紙」になることに悔しさをにじませた。

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