音楽から読み解く時代背景2006年、TOKIO「宙船」
<その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ おまえが消えて喜ぶ者におまえのオールをまかせるな>
TOKIOの転機であり中期最大のヒット曲『宙船』の一節だ。2006年に発売されTOKIOの楽曲の中では今でもカラオケリクエストがNo.1の名曲である。この『宙船』がヒットした時代がどのようなものだったのか? 20世紀J-POP史に詳しい経済評論家の鈴木貴博氏とイントロマエストロとして活躍する音楽評論家の藤田太郎氏にこの時代を語ってもらった。
船山基紀氏のもとに届いた二枚のデモCD
TOKIOに『宙船』を提供したのは中島みゆきである。その中島みゆきに楽曲の提供を依頼したのはTOKIOサイドからだったそうだ。ところがその当時多忙だった中島みゆきは新曲ではなく制作中の自身のアルバムにリード曲としてすでに収録することが決まっていた『宙船』を歌ってはどうかとTOKIOに持ち掛けた。
これは『宙船』の編曲に携わった船山基紀氏に直接伺った話なのだが、その際に中島みゆきから直接船山に電話が入ったそうだ。自由にアレンジしてほしいと。さっそく中島から送られたCDを聴いて船山氏はこれは名曲だと感じたという。そしてアコースティックギターにかぶせた中島の熱唱を聴きながら、どうすればTOKIOの世界観にこの曲を持っていけるのかしばし悩んだという。
ところが船山の悩みは一夜にして消え去ってしまう。TOKIOのリードボーカルである長瀬智也から「こんな風に歌いたい」というデモCDを手渡されたのだ。長瀬はすでにこの頃からDTM(デスクトップミュージック)にハマっていて、同じ中島みゆきのデモCDを聴きながらパソコン上でギター、ベース、ドラム、キーボードのパートを自作してそこに自分の歌を重ねて船山氏に託したのだ。
本人の言によればその完成度に船山氏は驚愕した。長瀬はここまで考え抜いているのか。もちろんこの方向性でいい。船山氏はほぼ長瀬のアレンジを原型に、それを派手にする形で『宙船』の編曲を完成させた。そして『宙船』はTOKIOの代表曲となった
抵抗勢力と対峙する変革の時代
『宙船』のヒットの最大の特徴はその歌詞が多くの人々の胸を打ったことだ。歌詞の話をする前に、TOKIOのシングル売上に関してお伝えしたい。
この曲の前に発売された5枚のTOKIOのシングル売上をみてみると、「Get Your Dream」(2006年6月21日発売、売上枚数7万枚)、「Mr.Traveling Man」(2006年2月8日発売、売上枚数14万枚)、「明日を目指して!」(2005年12月7日発売、売上枚数9万枚)、「自分のために/for you」(2004年11月17日発売、売上枚数11万枚)、「トランジスタ G ガール」(2004年3月3日発売、売上枚数5万枚)
5枚の平均売上枚数は9.2万枚。約2年間のシングル平均売上は10万枚を前後していたが『宙船』は48万枚のセールスを記録。この楽曲に、TOKIOのファンはもちろん、たくさんのひとたちがハマったことを数字が証明している。
ではなぜ『宙船』の歌詞がこの時代、ひとびとの心に刺さったのか? それはあらためて2006年というのがどういう年だったのかを思い起こすことで理解できる。それは低迷した日本を変えた5年に亘る小泉劇場の最終年にあたる年だった。
「改革なくして景気回復なし」が小泉政権のスローガンである。そして小泉政権は改革の抵抗勢力とぶつかりながら、自らオールを手放さずどん底だった日本を立て直す変革を進めていく。
不良債権問題、道路公団の民営化、そして郵政民営化。改革が失敗したほうが喜ぶ者たちが改革の行く手を阻んでいた。そしてそれら抵抗勢力の握りしめるオールをひとつひとつ、粘り強く取り上げていくことが、日本を再生させる改革につながる。それをこの時代、多くの国民が目にしてきたのだ。
小泉改革が日本経済にとってよかったのかどうか、今でも意見は分かれる。しかし共感できることがひとつある。自分をとりまくこの世界にも敵はいる。自分に消えてほしいと思うひとたちが現実にいる。そんな失敗を願う相手からの指示など聞くべきではないし、そんな上層部に意思決定など任せるべきではない。
日本全体が苦しかったこの時代、会社の中でも従業員のひとりひとりが同じような抵抗にぶち当たって、悩み、挫折し、反撃してきた体験が、あれから15年たった今でも『宙船』がサラリーマンに好んで歌われる理由ではないだろうか。
そしてTOKIOという船は“離陸地点”へと向かう
『宙船』のヒットはTOKIOにとっても間違いなく覚醒につながった。もともとTOKIOはバンドスタイルのアイドルとしてデビューしたアーティスト志向の強いグループだった。とはいえアイドルとしてバラエティ番組出演との二足の草鞋を履く活動が『宙船』以前のメインであった。
しかし少なくとも長瀬智也に関して言えば『宙船』をきっかけにミュージシャンとしての新しい活動が始まる。
それまでTOKIOは楽曲を提供してもらう立場だったものが、長瀬を中心にTOKIOのメンバーによる制作曲が増えていく。実際に2010年代中盤からはTOKIOのシングルはTOKIO作詞作曲による楽曲が中心となる。
そしてTOKIOの中にはそれまでもロックフェスに出たいという気持ちが強かったが2014年にそれが実現する。それも国内に数多あるロックフェスの中でも海外のロックバンドの参加が多いことで知られるサマーソニックへの出演を実現した。
サマーソニック参加者によれば、あくまで彼の独断ではあるが盛り上がりという意味でのこの年のベストバンドはTOKIOであり、フェスが最高に盛り上がった瞬間は一曲目の『宙船』だったという。
2021年、長瀬智也はアーティストを目指したいということからジャニーズ事務所を退所する。ジャニーズに残る3人のメンバーは株式会社TOKIOを設立して、自分たちがやりたい仕事をいつでもできる準備を整えた。
「その船は自らを宙船と忘れているのか その船は舞い上がるその時を忘れているのか」
TOKIOに関して言えばそんな心配はないだろう。長瀬智也は自らを歌い手であることを忘れないし、TOKIOはロックバンドとして再び舞い上がるその時を忘れない。そしてたぶん自分たちの手にしっかりオールを握ったまま離陸地点へと向かっている。
いつかどこかの街の小さなライブハウスで彼らが音楽を奏でる夜がやってくるのではないだろうか。多分5人で。【藤田太郎/鈴木貴博】
▽藤田太郎プロフィール
イントロマエストロ。約3万曲のイントロを最短0.1秒聴いて曲名を正解する能力が話題になり、『マツコの知らない世界』『ヒルナンデス!』等多数のメディアに出演。クイズ大会などプロデュースも多数。ラジオBayFM『9の音粋』水曜日の担当DJと出演中。
▽鈴木貴博(すずきたかひろ)プロフィール
経済評論家。主要オンライン経済メディアに連載を持ち経済の仕組みや問題をわかりやすく解説する論客。
本業とは別にアングラ、サブカル方面にも詳しく、芸能や漫画などに知識も深い。
- この記事の写真
ありません