如何にして“音楽”にするか、ココロオークション 苦悩の先の光
INTERVIEW

如何にして“音楽”にするか、ココロオークション 苦悩の先の光


記者:村上順一

撮影:

掲載:18年03月31日

読了時間:約16分

生きることは矛盾を孕んでいる

――さて、「かいじゅうがあらわれた日」は、なぜ“怪獣”を平仮名で表記したのでしょうか?

テンメイ

粟子真行 平仮名の方が懐が深いと言いますか。詩集などを読んでも“今”という言葉も漢字と平仮名で書くのでは違うと僕は思っています。ちょっとファンタジー感を出したかったんです。

――その「かいじゅう」は何をイメージしているのでしょうか?

粟子真行 隠れていて、外に出せない感情。闇の部分という意味ですね。最初は自分の歌だったんです。自分の胸の中にかいじゅうが棲んでいて、それを檻の中に入れて飼いならしているけど、かいじゅうが今にも暴れだしそうだ、みたいな。そんな曲だったんですけど、ちょっと視点を変えて、かいじゅうを飼っているのは相手の女の子ということにして、向こうからこっちを見ているという感覚で書きました。

――確かにそうなってくると平仮名のほうが伝わりやすいですね。

粟子真行 そう、立体的に、ファンタジーっぽく。

――みなさん闇の部分があるんですか?

粟子真行 ありますよ。闇がない人なんていないですよ(笑)。

大野裕司 闇は要りますよ。

――闇を抱えながら生きていかなければならないのですね。自分の闇に気付いたときに嫌になったりしますか?

粟子真行 やっぱり嫌になりますよ。「コインランドリー」でもそういうことを言っているんですけど。

大野裕司 まあ、嫌になるから闇なわけで。

粟子真行 生きることは矛盾を孕んでいると思うんです。

――確かに。では「砂時計」の歌詞に込められた想いは?

粟子真行 前作を録り終えて聴きなおした自分の見つけた答え、「君が大切にしなければいけない今は、もう始まっているよ」ということをそのまま歌にしました。だいたいサビが出来てから、それに合う単語を探したら“砂時計”という言葉が出て、それがサウンドから受けるイメージにもピッタリだったので、それをモチーフにしました。

 日常と刹那のコントラストは、僕の特徴なのかもしれません。日常があるから刹那の景色が切なくなるし、刹那があるから今をもっと大事にできる。いつ来るかわからない終わりに向かって生きている、みたいな感じで。

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