記事に使われる言葉は、原稿の種類や用途、ジャンルによって変わることがある。例えば、ライブイベントでのことだ。観客が盛り上がっているという表現。

 盛り上がっている
 歓声が沸いた
 熱気に包まれた
 熱狂の渦
 カオス

 とまあ、「盛り上がっている」という表現だけでもこんなにある。走り立ての記者時代、よく注意されたのは同じ言葉を使うな、ということだった。

 ○○が語った
 ○○が言った
 ○○が述べた
 ○○が明かした

 ○○をおこなった
 ○○を開催した
 ○○を催した
 ○○を開いた

 という具合に、コメント部や「開催した」という表現にしても同じ言葉は避ける。

 河谷史夫さんの著書『新聞記者の流儀~戦後24人の名物記者たち~』(朝日新聞出版)には戦後に活躍した名物記者が紹介されている。どの記者も文豪が称賛するほどの名文家だ。そのなかに朝日新聞の記者・守山義雄さんがいる。

 同書によれば、守山さんは記者三年目で夏の甲子園大会の記事前文を連日書き続けるという役目を担った。そして、その前文のなかの一文に「…コバルトの空に白雲の面紗かかり、スタンドに通ふ爽涼の微風も…」という調子で書き出したものがある。どこか美しさを感じる。同氏は期間中は同じ形容詞を使わなかったという言い伝えもあるそうだ。

 さて現場に出る機会が少なく編集がメインの筆者は元来、性格が悪くあら探しが好きだ。

 たとえば、さきの観客が沸いた表現を「会場が爆発した」という言葉を用いるライターがいる。私は赤線を引きながら「おいおい大事故じゃないか」と突っ込みを入れる。

 また記事では、敬語は用いない。たとえば、「お問い合わせ」も「問い合わせ」と書く。敬語を使うことで物事を平等に報じるべき側がへりくだってしまうからだ。当たり前だが取材中の会話では敬語を使うが…。その記事においても「取材をさせて頂いた」ではなく「取材した」という表現を用いる。

 ここでもあるライターは「取材に伺った」と書く。「伺った」としながらも記事の締めには「ぜひ聴いてもらいたい」と書く。もし、へりくだるのなら逆だろう、と思うのだが…。

 小媒体も情けない限りで誤字脱字はある。しかし「ネットニュースだから」と言われないようにくだんのことを考えながらあたっている。読みやすくするために、あるいは言いたいことがボヤケないように、記事によってはあえて音楽的観点を簡単に済ませることもある。

 しかし、結果的にそこを叩かれることもしばしある。掲載後に読者から指摘を受けて気づくことも多い。伝えるというのはとても難しい。ともあれ、その時に感じた現場の空気感や感情が、読者にどう伝わるか、日夜、言葉選びと葛藤しながら原稿をしたためている。自身には「文才がない」と落胆する日々でもある…。【木村陽仁】

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