<記者コラム:オトゴト>
 2017年末におこなわれた『「年末ジャンボ宝くじ」抽せん会』に取材に出向いた。そこではオーケストラ指揮者の西本智実とともに、バイオリニストの宮本笑里が登場した。

 抽選会のみの取材となったが、抽選会のあとにはスペシャルイベントとして西本が指揮するオーケストラとともに宮本はバイオリンをプレイ。演奏したのは「タイスの瞑想曲」と、ドイツのバイオリニスト・サラサーテ作曲の「ツィゴイネルワイゼン」だったそうだ。

 「ツィゴイネルワイゼン」といえば、バイオリニストがよく取り上げ演奏される楽曲の一つであるが、そのドラマチックなメロディは、バイオリニストであれば表現力、そして自身の持つバイオリニストとしての実力が問われるものなのかもしれない。

 これに限らず、「通っておくべき楽曲」と言えるほどに演奏されるバイオリン楽曲は、他にもパガニーニの「24の奇想曲」などをはじめたくさんあり、かつ「誰もが知っている」という印象もある。

 例えば、他の楽器で考えるとどうだろう? Jazzでアルトサックスであれば、チャーリー・パーカーの「Donna Lee」、テナー・サックスであれば、ジョン・コルトレーンの「Giant Steps」、ピアノであればビル・エバンスの「Waltz for Debby」など、必ず引きたくなるような楽曲がたくさんある。

 これがロックになれば、レッド・ツェッペリンの「Rock'n Roll」やディープ・パープルの「Highway Star」なんてのもあるかもしれない。ギタリストなら、ヴァン・ヘイレンの「Eruption」にすっかりやられて、タッピング部分のフレーズを一生懸命、練習した人も少なくないことだろう。

 その様な曲は日本のポップス、歌謡曲にもたくさんある。もちろん上記のジャンル・楽曲は、すべて同じ立場で「よく演奏される」と一括りにして言ってしまうには、ちょっと無理があるといわれる方もいるかもしれない。しかし、いずれも曲が誕生し世に出てからは、誰かの心に留まり、“自分でも演奏したい”と思われ、奏で継がれてきたものばかりである。

 こんな話をなぜ出したのか、と問われると、それは「今後、そういった楽曲というものが新しく生まれる可能性があるのだろうか?」と思うところがあったからだ。例えば近年、音楽ビジネスに対して行き詰まりの感も時に見え、排出される新譜には“出尽くした”と思われる節もあり、その意味で「名曲」はもう出てこない、そう思う時も正直ある。

 一方で前述の、いつまでも演奏し続けられている「名曲」が、もともと意図的に「名曲」にしようと思われながらできたものではない、、誰もが自分の作った曲を「いい曲だ」と思うからこそ世に送り出したのだろう。

 歴史上、意図的にあらゆる人から「名曲」といわれるものを作り得た者など一人もいない。その意味では「名曲」と呼ばれるものがこの世に残る可能性は、十分残されている。そして、それを突き詰めていくことで初めて、音楽を作っていくことに意味が出てくるのではないだろうか? 音楽で生きていくこと自体が厳しいのはもちろんなのだが、それに甘んじてそれが追及できないことなどもってのほか。頭の中でふと、そんな思いにふける年の初めだった。【桂 伸也】

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