もっと単純だった、平山みきが見た音楽の変化 昭和歌謡の良さ
INTERVIEW

もっと単純だった、平山みきが見た音楽の変化 昭和歌謡の良さ


記者:木村武雄

撮影:サムネイル用

掲載:16年09月16日

読了時間:約17分

「筒美京平の秘蔵っ子」とも言われた平山みき。自身のヒット曲「真夏の出来事」に向き合うことで感じた昭和の良さ

「筒美京平の秘蔵っ子」とも言われた平山みき。自身のヒット曲「真夏の出来事」に向き合うことで感じた昭和の良さ

 「筒美京平の秘蔵っ子」とも言われた歌手の平山みき。今年7月20日は、自身の代表曲で売上50万枚を記録したヒット曲「真夏の出来事」をセルフカバーした「真夏の出来事~ナウ・アンド・ゼン」を発売した。平山は1971年に「ビューティフル・ヨコハマ」でレコードデビュー。当時は、昭和歌謡の転換期で、洋楽が日本に多く入るようになり「歌謡ポップス」が生まれた。そのシーンを象徴するのが作曲家の筒美京平さん、作詞家の橋本淳さんによる楽曲。数多くのヒット曲を世に送り出した両氏は、平山の「真夏―」も手掛けた。インタビュー後編は、筒美・橋本両氏への想いや音楽シーンの今昔、そして、今回の「ナウ・アンド・ゼン」の演奏に加わったザ・サーフコースターズやライブ感への想いなどについて語ってもらった。

 前編:“筒美京平の秘蔵っ子”平山みきの今、名作家が見抜いた不良っぽさ

面白いことをやり続けてきた、向きあう「真夏」

デビュー当時を語る平山みき

デビュー当時を語る平山みき

――今回、リアレンジして挑んだ背景は?

 私の事務所のスタッフが「やりましょう」って。「昔の平山みきの気持ちに戻って歌ってみたら」と言われて。これまでも歌ってきているけれど、色んな事に挑戦してきましたから。ジャズもロックもやってきましたし、アルバムでも色んな事をやってきた。一番近い所ではバーレスクのダンサーとドラァグクイーンとショウを作ったり。その都度でやりたい事をやっているんです。

――ドラァグクイーンとのショウ?

 あちらがファンだと言ってくれたんです。新宿2丁目とかにファンが多いみたいです。そういう関係の人達と仲良くなっていって、ドラァグクイーンの人達もお店の中で私の楽曲を流してくれていまして。それで紹介してもらったりして伺うと凄く喜んでくれて、何かあると呼んでくれました。「何か面白い事やりたいね」と言っていて、そこにバーレスクの人も来ているので「じゃあショウを作っちゃいましょう」という事でやりました。だから、その都度、面白い事をしてきているんです。今回は、その中でも“あの時の平山みきをもう一度”というところにテーマがあって。これまで歩んできた中で、色んな事が変わってきているけど。

――色んな事に挑むことで、新たな“平山みき”の魅力発見にも繋がりそうですが、今回は衣装もこれまでのイメージカラーの黄色は使っていませんね。

 そうですね。私のイメージカラーが黄色なので、衣装もずっと黄色でした。でも、今度のは黒や白とかも。私が、衣装をやってしまうとどうしても黄色を選んでしまうから、今回はお任せしました。その中で赤とかもあって、違う服も面白いかなと思いまして。普段着は黄色ですけどね。黄色を入れないと皆が違う人だと思うから(笑)。

――人に任せるのは勇気があることだと思いますが。

 いいえ、全然。自分でやっちゃうとずっと同じですし。そこから広がる事があったとしても、基本は「好き、嫌い」だけの事で選んじゃいますからね。それだけじゃなくて、嫌いだけれどやってみたら面白い事ってあるかもしれないので、任せちゃった方が楽ですね。全部言われた通りにやった方が楽ですね。

――人に任せるという思いになったのは、作品以外で何かきっかけがあったのでしょうか。

 それは「言って下さったから」という事だけですね。そんな深い事でもないです。押し通す理由もなかったですし。「これをやりたいんです!」という強い意思でお願いされたら、そうします。お芝居みたいなもので、演じるのと同じなんだと思います。あの頃の平山みきからすごく日にちが経っていますし、人間だから変化していきます。あのまんまで行っていたら何も変化がなかったと思います。ただ歳をとるだけではなくて、そのなかで私は何か面白い事をやっていきたいという思いがあって。でも、そこに戻るというのが…。戻りたいという思いがどこかしらあったのかもしれないけど、たまたまそれをやろうという事だったので「じゃあそこを演じればいい」と思っただけですね。

昭和の良さ、時代の変遷

デビュー当時の平山みき

デビュー当時の平山みき

――演じるにあたって当時の思いや状況を振り返るとどうですか?

 昭和は良かったなあと思うのはありますね。昭和は楽しかったなって。レコードを売るという事にしても今みたいに配信などもないし、もっと単純だったんですよ。デビューしてすぐレコード屋さんでサイン会をやったんです。それをやり始めたくらいの時なんです。その前まではもっとスーパースターがやる事だったんですよ。美空ひばりさんとか。歌手が対面で何かをすることなんて事はない時代ですよね。本当に私の時代で変わったのは、オリコンが出てきたりとか有線が出てきたりとかという事なんです。

 演歌と歌謡曲は同じなんだけど、そこに「歌謡ポップス」という時代になってくる訳なんです。洋楽がいっぱい入ってきて、それを筒美京平さんと橋本淳さんが出てこられ、ブルーライトがあって、それを「歌謡ポップス」と言うようになって。そこからフォークソングが「ニューミュージック」になっていくんです。だから、私がデビューした時は本当に時代の変わり目だったんです。

 そうした時代変化のなかで、同じレコードだけど、キャンペーン方法が変わっていったんですね。レコード屋さんでキャンペーンをするというのがだんだん増えてきて、有線放送に挨拶に行って。そして、とどんどん曲をかけていただく。有線は、お店からでなくてもリクエストの電話ができた時代です。だから、家からでも電話が出来て。今はそんなの出来ないですよね。だから、時代の流れの中で、まだ難しく管理されていない時代でしたね。

 レコード屋さんでサイン会をして、まだデビューしてすぐだったので誰も知らないのに私が歌った後なのに長蛇の列なんですよ。「蒲田に芸能人が来る」なんていう事がなかったから。「あ!歌手だ!」と。誰かは知らないけど、芸能人だと思って集まってくる。そうするとみんなレコードを買ってくれるんですよ。200枚くらい。今だったらレコード屋さんで何かをやっても売れないですよ。そういう芸能人が外に出ていくというのがこの時代を境に増えて。そして一般の方もそういうのに馴れていった。

芸能人と一般人の境い

平山みき「真夏の出来事 ~ナウ・アンド・ゼン」

平山みき「真夏の出来事 ~ナウ・アンド・ゼン」

――現代は芸能人と一般人の境目が分からなくなってきています。良く言えば親しみがあり、悪く言えば特別的存在感が希薄になっている。この状況をどう思いますか。

 そうですね、難しいですね…。フェイスブックなどSNSをやるのもそういう事ですよね。正直、馴れ馴れしく来ちゃう人がいると困ったなと思う時もあります。友達だと思っちゃうみたいな。フェイスブックで、知っている人と友達ならいいんだけど、全然知らない人も入ってくるから、その人が友達だと思って知らない人に来られても困るかな。

 前に「おじさんとおばさんの温泉旅行」にタグ付けされていて。「平山みきと一緒です」とあって。私は行った事ないんですけどね。という事は、他の人から見たら、このおじさんとおばさんの中に私が居ると勘違いするじゃないですか。そういうのが困ったなあと思いました。

 あと最近、広告の所でタレントさんとかが「いいね!」押したみたいなのがあるんですけど、それやってないのに書かれていたりするんですよ。私、押してないんですよ? それを消そうと思ってもどうやって消すのかわからないんです。私の友達なんかも「この人がいいって言ってます」というのがあるんだけど、絶対に違うと思う。それって何なんだろうと思います。

 消せないんですよね。だけど、知らない人は私がいいと思っていると思うんですよね。だから、近くなりすぎても怖いかもしれないです。その一方で良いところもあります。ライブの告知をするのは一辺にまとめて不特定多数に見てもらって、その中から来てもらえればいいし、友達関係でも一人ずつに連絡するのは大変だから、そこで見てくれたらいいですよね。

――ライブでもファンや観客の楽しみ方に変化はありますか?

 ずっと長く居てくれる人がいっぱいいますね。私は、結婚した時があって、結婚する前のファンの人がいっぱいたんですけど、私は結婚しても関係ないと思っていたんです。そういう見方ではないのかと。でも結婚した途端にいつも来ているファンの人が減ったんです。「ああ、そうなんだ」と思いました。

 でも、わかりますよね、そういう好きとか嫌いとかで見ているからやっぱりショックなんだろうなと。それから出てきたファンの人達は長いかもしれないです。あまりそういうところは関係ないですから。だから長い人は長いですね。

当時をシンクロさせるザ・サーフコースターズ

音楽シーンの変遷を語る平山みき

音楽シーンの変遷を語る平山みき

――今回はザ・サーフコースターズと一緒にやられていますが彼らを選んだ意図は?

 「真夏の出来事」が1971年にリリースされて、その当時の音楽シーンにはサーフロックというジャンルがありました。現存するサーフロックバンドというのは、日本ではザ・サーフコースターズさんが一番で。それでスタッフが、レコーディングしている音楽と私の音楽をシンクロさせてみたんです。そうしたらもうバッチリだと。この時代を投影しているなかで今回のコラボレーションは相性が良いと。それで参加して頂きました。

――一緒にやられての手ごたえは?

 音楽的にはノリが面白いし、違うものにしてくれたりとかして、筒美京平さんも橋本淳さんもすごく喜んでくれていてました。ヒットした曲って意外と変えようがなかったりするんです。だから一番変わっているのは「ビューティフル・ヨコハマ」で、これはすごい楽しいんです。

 バンドと一緒にやった事はあるんだけど“一体感”みたいなのが出来て良いですね。ライブの時、彼らは譜面を見ずに全部曲を覚えてきてくれるんです。だからもうすごい一体感で。一体感の何が好きかって言うと、間違えても付いてくるところとかで、そういうのが大好きなんです。それがOKだし、仲間になれてすごく楽しいし。リズムも早いのは全然平気なんです。歳をとったらどんどんテンポが遅くなっていくのではなくて、あれが出来ちゃっている快感はありますね。

――当時ベンチャーズなど、サーフロックは聴かれていましたか?

 聴いていました。

――踊ったりとかも?

 私、踊りに行った事がなくって(笑)。遊んでないのでそういうの知らないんですよ。音楽は聴いてきましたけどね。ビートルズで育っているし、小学校の時はコニー・フランシスとかポール・アンカとかそのあたりを耳で聴いて覚えていましたね。私は今、断捨離中でいろんな物を整理しているんですけど、私が小学校くらいの時の歌本がいっぱい出てきたんです。ザ・ヴィーナスのCONYがずっとオールディーズをやっているんですけど、それを彼女にプレゼントしたんです。当時はオールディーズの曲を耳で聴いて歌を覚えたんです。そうすると忘れないんですよ。

――全部耳コピなんですね。

 英語が読めないから。だからその人と同じ歌い方が出来るんだから凄いですよね。発音も良いですよ。

筒美京平氏の“千里眼”と近田春夫氏のライバル視

デビュー当時の平山みき

デビュー当時の平山みき

――今の歌手の人達はボイストレーニングなど歌のレッスンがありますが、平山さんのデビュー当時はそういったものはありましたか?

 ありましたよ。しなかったけど(笑)。リズム感とかちょっと音を延ばしてくれ、というのはあっても「歌い方がどうの」というのはなかったです。私は今までボイスレッスンを受けた事はないんです。

――「いい歌」という感覚は持たれていますか? こういう風に歌えば「いい歌」になるなど。

 筒美京平さんは凄い人でして、その人の曲を書いてくれと言われた時にまず、その人の歌を聴くんです。そうするとその人の良い所がすぐにわかるんです。それで筒美京平さんが歌の中にそれを出してあげるんです。良い所を出してくれるので、歌詞を付けて歌うのは楽ですよね。私が違う人とやったりすると自分の書きたい事を書くんです。自分の良いと思うメロディラインとか。そうするとすごく歌い辛かったりするんです。

――キーひとつとっても色々と違ってきますよね。

 そう。だから筒美京平さんは歌い手の良い所を出そうとするけど、他の自分で曲を書く人なんかはまたちょっと違うかもしれないんです。書く人の歌いやすい所で書くと思うし。人に曲を提供する人は自分が「ここを出したい」という事を出してくるところがあるんです。歌い手にとってはそれが難しくなるという事があったりするんです。

 近田春夫さんがプロデュースしてくれた作品で『鬼ヶ島』(1981年発売)というアルバムがあるんですが、近田春夫さんは筒美京平さんのファンで「筒美京平さんに勝ちたい」と思ったらしいんです。筒美京平さんに勝つ為には、私が今までやっていない所をやっていかないと勝てないと思ったらしいんです。だから、自分が書いた曲が私が歌えなかったりすると「自分が勝った」と思うんですって。

 そのアルバムの「鬼ヶ島」という唱歌みたいな曲の中で音がとれなくなるんです。それでどうやって覚えていいかわからなくて。メロディを覚えていくのは身に付いているんだけど、そういう唱歌みたいのはなかなか難しかったんです。長い事耳で聴いていれば覚えられるんですけど、レコーディングってそんなに長くないから、オケが流れても歌えなかったんです。

 アカペラだと歌えるんだけど、バックに音が流れてくるとメロディが歌えなくってどうしようかなと思っていたら、近田春夫さんが「ピアノでメロディを入れましょうか?」と言うから「いいです(いらないです)」って言ったけどやっぱり全然歌えないんです。その時に歌えないショックで泣いたんです。自信もなくなっちゃって。トイレにいって泣いてたんですけど、放ったらかしにされて誰も来ないんです。誰か迎えにきてくれたら出やすいんですけど、来ないから困っちゃいまして。もうしょうがないから出て「ピアノ入れてください」って言って歌ったんです。

――開き直ったんですね?

 そう。それでピアノでメロディを入れてもらって歌ったという事がありました。

――コード感などがすごく難しかったんでしょうか?

 近田春夫さんはわざとそういう風に、メロディを上がったり下がったり絵を描くように書いたんですって。

――それは歌い辛そうですね。

 あれは歌い辛かったですね…。

――アカペラよりもオケが入った方が歌い辛いって珍しいですね。

 私はメロディを覚えたりするのが雑なんです。それで今までOKだったりしていたんです。だからメロディをちゃんと覚えていなくてもジャズなんかでコードの中で歌ってカッコ良かったらそれでいいみたいのあるじゃないですか? メロディなんかもそういう感じの覚え方をしているのでレコーディングに行くと違って覚えていたりするんです。それはやっぱり怒られるんですよね。「違う!」って言われて。

 それで筒美京平さんが来てピアノを弾いてくれてメロディを覚えさせてくれて、それから歌うんです。そうしたらメロディ通りに歌えるんです。それでカラオケになると、結局今までカラオケで覚えているから元に戻っちゃうんです。また「違う!」って言われて「今日はもうやめましょう。また日を変えてやるので覚えてきて下さい」となるんです。それで直す時もあります。どうしても直らない時があると「ん、それでもいいかな」と言われてそれになっちゃう時もありますね。

――プロデューサーや作家が根負けするような。

 そうですね。「冗談じゃない朝」は秋元康さんが歌詞を書いたんですけど、筒美京平さんは「ここの歌詞を書いて下さい。そうしたらメロディを作りますから」って依頼したんですけど、それを本人に言ってなかったんです。だからメロディに対して歌詞が足りない状態になっていて、レコーディングの時に「ここ、歌詞ないじゃん! どうしよう?」ってなったんです。皆で色んな歌詞を考えてやる事になって、<冗談じゃないわ~♪>という風に私が歌ったら「いいんじゃない?それで」となって(笑)。それでその部分はセリフ風の感じになったんです。

――そういう背景があったんですね。

 言われた通りのメロディを歌っていたらまたちょっと違う歌になっていたかもしれないですね。だからそういうの駄目なんですよ私。融通が利かないんです。

大事にしたいライブ感

「真夏の出来事」への想いを語った平山みき

「真夏の出来事」への想いを語った平山みき

――現代の録音技術だとメロディを直せたりしますよね。そういった事はどう思われますか?

 私の歌も、音程がちょっと微妙だったりすると直したりとかすると思います。そういえば私がデビューした頃、新人の子が一音ずづつ録ったなんて事もありましたね。ちょっと音痴だったみたいで。その当時に「すごいね、今の時代は」って言ってたのに、今はもっと凄いですよね。最近はそういう風にやっていってもいいんじゃないかと思ったりします。昔は「そんなの許せない」とか思いましたけど、今はいいかなと思ってます。劇的に変わる訳でもありませんし。

――でもライブで歌えなかったりという事が出てきてしまいますよね?

 そうですね。ライブの歌い方とレコーディングではやっぱり違うんですよね。私もライブで慣れてきてそのままレコーディングで歌ったら怒られましたけどね。レコーディングでは録音のニュアンスでやらないといけないから。ライブって流れていっちゃうから、綺麗に聴こえるとかではなくてもいいんですけど、それはレコーディングでは駄目と言われた事があります。

――やっぱりその状況に応じてチャンネルを切り替えた方が良いという事なんでしょうか。

 そうですね。でも最近はそんなに意識しないです。「真夏の出来事」に関しては最初のレコーディングのイメージでも出せるかなと思います。だから今のみたいにテンポが早くなっても出だしのニュアンスはロックじゃなく歌謡曲の感じでも出せる気がします。

――出だしのイメージは大事ですね。

 私は声の幅が広いみたいなんです。カラオケバトルみたいのを一度やった事があるんですけど、点数が取れないんです。音が全部ずれるんですよ。聴いててもおかしくはないんですけど、マイクで拾う音が違うんですよね。正しい音程の時にキャッチしてくれないからずれて点数が悪いんです。だからカラオケの点数は、一つずつちゃんときれいに音程をとっていけば100点取れますよ。

――平山さんの歌は倍音がとても出ているので、それを拾ってしまっているのかと思います。

 そうそう、倍音の本を書いた方に頂きました。声から色んな音が出ているんですよって言われました。

――声に厚みがあるんですよね。

 一つの音ではないかもしれないですね。だからちょっと音程ずれてもわからないかもしれませんね(笑)。

――最後に、「真夏の出来事」を若い世代の方々にどういう風に聴いてもらいたいという思いはありますか?

 「昔の曲」という風に聴くのではなくて「いい新人が出てきた」みたいな感じでいいかなと思います。「昔の人が歌ってる」という感じではない方がいいですかね。「なんか今、こういう人が出てきた」という風な方がいいですね。

おわり

(取材・木村陽仁/撮影・村上順一)

 ◆平山みき 昭和24年8月22日生まれ、東京都大田区出身。蒲田中学校から日本音楽学校に進み歌のレッスンを始める。昭和42年、銀座の音楽喫茶「メイツ」オープンに伴いメイツ・ガールとしてステージに立ち、そこでコロムビアにスカウトされる。昭和45年、「ビューティフル・ヨコハマ」でレコードビュー。2作目の「真夏の出来事」が50万枚の大ヒットとなり一躍人気歌手となる。現在も独特の歌声は変わらず、ライブやショーに出演中。また、京都在住で「滞在型観光客」と自身のことを呼ぶ程の京都愛好家。京都に関する著書やCD等も発売している。

 ◆ザ・サーフコースターズ(The Surf Coasters) 日本のインストゥルメンタルロックバンド。ギタリストの中シゲヲを中心に1994年に結成、1995年にレコードデビュー。往年 のザ・ベンチャーズを髣髴させるサーフ・ロック・サウンドを身上とする。2004年、2005、2008、2014年にアメリカツアーを敢行。

作品情報

2016年7月20日
平山みき「真夏の出来事 ~ナウ・アンド・ゼン」
COCA-17198/1,389円+税
▽収録曲
1、真夏の出来事 ~ナウ・アンド・ゼン
 歌=平山みき
 伴奏=The Surf Coasters
 作詩=橋本淳/作曲=筒美京平
 編曲=中シゲヲ
2、ビューティフル・ヨコハマ 2016
 歌:平山みき
 伴奏=The Surf Coasters
 作詩=橋本淳/作曲=筒美京平
 編曲=中シゲヲ
3、太陽の下の18才
 歌=平山みき
 伴奏=The Surf Coasters
 作詩=ルチアーノ・サルチェ
 訳詩=あらかはひろし
 作曲=エンニオ・モリコーネ
 編曲=中シゲヲ
4、<ボーナス・トラック>
真夏の出来事
 歌=代官山ミラクルキャバレー
 作詩=橋本淳/作曲=筒美京平
 編曲=田上陽一
5、<ボーナス・トラック>
恋はあせらず
 歌=代官山ミラクルキャバレー
 作詩・作曲=エディー・ホーランド-ブライアン・ホーランド-レイモン・ドジャー
 編曲=田上陽一

ライブ情報

平山みき with ザ・サーフコースターズ「ビューティフル」
▽日時 2016年10月7日(金)開場18:30/開演19:00
▽会場 Mt.RAINIER HALL SHIBUYA
▽問合 キャピタルヴィレッジ(電話)03-3478-9999
一般発売
チケットぴあ(Pコード:300-857)
ローソンチケット(Lコード:75408)
イープラス
CNプレイガイド
キャピタルヴィレッジ

この記事の写真
サムネイル用

記事タグ 

コメントを書く(ユーザー登録不要)

関連する記事