震災5年、熊谷育美 故郷・気仙沼を歌い続ける女性シンガー
INTERVIEW

震災5年、熊谷育美 故郷・気仙沼を歌い続ける女性シンガー


記者:木村武雄

撮影:

掲載:16年07月12日

読了時間:約14分

震災前の気仙沼の風景が作品に

熊谷育美

熊谷育美

――今回のベストアルバム『~Re:Us~』では、震災前に書かれた曲が4つ収録されていますね。

 そうですね。シングルで発表した曲が4曲。

――どれも震災前に書かれた曲なのに、震災後の情景に繋がっているように聴こえます。震災前と震災後では歌う心境に変化はありますか。

 今回のベストアルバムに並んでいる楽曲の中で、やはり震災後に書いた曲も数曲あるのですが、自分自身、振り返ると「こいういう事を思っていたんだな」とか。例えば「強く」(編注=2012年6月20日発売のシングル)という曲では、その時は強くなれない自分がいるからこそ「強く」というタイトルが生まれたりとか、「春の永遠」はドキュメンタリーの主題歌(編注=Kesennuma,Voices.東日本大震災復興特別企画~堤幸彦の記録~)として書いた曲ですけど、やっぱり「忘れられない春の出来事だった」というような事だったりとか、すごくリアルに歌っている曲もあるので。そう思うと「歌で軌跡」じゃないですけど、自分自身の気持ちがすごく表現されていますよね。

――「人待雲」(2009年11月発売)もそうですし、「帰りたいよ」(2010年3月発売)もそうなんですが、これらに描かれた歌詞の描写は、気仙沼の風景を表したものでしょうか。

 そうですね。デビュー曲「人待雲」は、港町で遠洋漁業に行く漁師さん達を見送る女性の姿を描いたんです。高校生くらいの時に書いた曲だったんですけど、それがデビュー曲になりまして。「帰りたいよ」については、1年くらい東京に住んでいた事があったんですけど、その時に思った気持ちを歌っています。懐かしい故郷を思い出して。

――「帰りたいよ」の歌詞にある<あの河川敷で陽が暮れるまで遊んだっけ>というのは気仙沼の事ですか?

 そうですね。どうしてもやっぱり自分のふるさとの河川敷が頭にありましたね。

――この歌詞を読んだ時に、その時に書いたものはもう書けないような気がして切ない気持ちになりました。震災前に見たものは記憶の中にあると思いますが、そのままの光景や感じたものを歌詞に投影させるのは今は難しい。そうした点において、歴史が描かれた記録作品と言いますか、そう感じました。「帰りたいよ」の歌詞にある河川敷は具体的にどの川でしょうか。

 大川という川があって、震災前は桜並木が有名な場所で、皆でそこに集まってお花見をしたりとか、とても綺麗な場所だったんです。けれど、今はなくなってしまって…。その大川をイメージして書いたものです。そう思うと、記憶にはずっとあって思い出も心の中に残っていたりするものですね。やはりああいう事があっても。

――この曲をどういう気持ちで聴いてもらいたいですか。

 私が暮らしてきた街の景色を思い浮かべて聴いて下さってもいいと思います。ただ、そう言いましても、曲は聴き手の方の自由だと思います。皆さんもそれぞれ大切な故郷があるのでそこを重ねても良いと思います。

――今回のベストアルバムには音楽の良さがすごく出ていると思います。歌詞やメロディにあえて余白を設ける事によって、聴く人各々の環境や捉え方に寄り添うと言いますか。震災前の曲も震災後の物語として成り立っていますし。音楽の良さが前面に出ていますね。

 嬉しいです。ありがとうございます。

背中を押してくれた地元の仲間

熊谷育美『~Re:Us~』初回盤

熊谷育美『~Re:Us~』初回盤

――改めて震災の事について伺いますが、震災を目の当たりにして、その時に広がった光景はとてつもないものだったと思います。それを見て歌手活動が出来なくなったとも聞きました。

 本当に思考が止まりましたよね。何も手に着かなかったというのが正直なところです。目の前にただ広がるああいう状況を見て何もかも固まってしまったというか、もうどうしていいか分からない。ガス・水道・電気、すべてが使えなくて「私は今、何をすればいいんだろうか?」という感じで、今日を生きて行く事に精一杯になってしまったんです。

 だから歌うことは考えられず、二の次にになってしまって。だけど、地元の方々の後押しがあったので、また音楽と向き合う事が出来ました。何て表現していいかすごく難しいですね。

 なんの心の準備もない状態で起きてしまった。家族とも会えていない状況だったので「両親や兄弟は大丈夫だったかな」と思う日も続いて。そういう状況でした。毎日のように信じ難い状況が続いて、落ちつくまでは時間がかかってしまいました。

――地元の方々の助けもあって音楽活動を再開することが出来たというお話がありましたが、どういった助けがあったのでしょうか。

 みんな職を失ったり、住む所を失ってしまったりした中で、最初は瓦礫を片付けたり泥かきをしたりという毎日だったんです。だから、自分もそういう感覚だったんです。だけど「お前はこういう時だからこそ、ここに留まっていないで歌ってこい」と言ってくれて。今まで気仙沼で発信してきたのだから「それをしてくれる事が俺達の励みにもなるから頑張って行ってこいよ!」と言う風に後押しをされまして。

 地元の人々に「お前なにやってんだ!」と怒られたというか(笑)。それで「ああ、そうか!」と我に返ったと言いますか。その場を離れる辛さもありましたが、自分の決心というか“地元の人との約束”だと思っている事もあって、そこでまた音楽と向き合うことが出来ました。「自分がその場所で書き続けていた曲を全国の一人でも多くの方に聴いて頂きたい」という思いが。

――これまでも「故郷を歌う」ことをされておられましたが、それを後押しされて活動を再開した後の曲に込める想いなどは変わりましたか。

 とにかく全身全霊でステージに挑ませて頂くという感じで、呼んで頂いた所で少しでも気仙沼や宮城の事、東北の事を知ってもらいたいという思いで必死でした。「今こういう感じだよ」とか、「港は復活したから遊びに来てください」とか、そういうような。観光大使をやらせて頂いているというのもあるんですけど、「音楽+自分のふるさとの事」をちょっとでも知って頂きたいという気持ちでした。震災後はとにかく必死だったというのが正直なところですね。

 再建された方々もいらっしゃったり、まだまだ仮設住宅に住んでらっしゃる方々もいて、状況は様々です。でも、やっぱり皆さん気仙沼が大好きなんですよね。ああいう出来事があったけど、海と共に生きるという事をテーマに日々暮らしているんです。海を毎日見て暮らして「海を恨まない」というか。そういう気持ちの方が多いと思います。古くから自然の恩恵をもらって、自然の恵みと共に生きてきたので。

――ベストアルバムに収録されている曲で震災の頃に書かれた曲もあります。曲調は凄く力強くて爽やかなものでも、聴き方次第では元気にもなるし、悲しくもなる、という印象を受けました。歌詞を書くにあたって熊谷さんの中で気を付けている点などはありますか。

 どうしても気持ち的に震災の事が出ちゃうところはあると思います。今回の新曲で「Re:Us Navigation」という曲があるんですけど、これは自分のすごく素直な気持ちを表せてまして。ふるさとの事を歌っていて、本当にたくさんの人達に遊びに来てほしいという思いがあります。リアス式海岸の「リアス」からきているタイトルなんですけど。そういう美しい海岸線があって、皆さんそこをドライブしてみて下さいという願いを込めました。

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