「気仙沼から世界へ」を掲げ、宮城県気仙沼で活動している女性シンガーソングライターがいる。熊谷育美。東日本大震災ではロケ終了後に同地で被災し、避難生活を送っていた。あまりのショックに歌えなくなった日もあった。しかし、地元住民に背中を押されて活動を再開。望郷への想いを歌に込めながら、被災地の現状を全国に伝えている。活動当初から気仙沼の情景を歌にしている。こうした楽曲の数々は震災前後の故郷の変化を捉えている。6月22日に発売された自身初のベストアルバム『~Re:Us~』にはそうした楽曲が連ねる。同地の特長的な海岸地形であるリアス式海岸からタイトルを付けたことも感慨深い。震災が歌手活動に与えた影響、そして現在の気仙沼の状況について話を聞いた。
震災前から地元・気仙沼を歌に
――熊谷さんは気仙沼で活動されていて、東日本大震災はその気仙沼で被災され、避難所生活も送っていたと聞いています。あれから5年が経過しました。想いや感情の変化はありますか。
振り返るとだいぶ波がありました。5年という歳月が経ちますが、いまだに多くの方々が仮設住まいをしている状態(編注=復興庁調べでは仮設住宅入居戸数は2016年1月現在6万5704戸、避難生活者は約17万8000人)で、グラウンドなどに仮設住宅が建てられていますが、発生当時、小学1年生だった子供が今は6年生に。グラウンドで遊ぶ事を知らない小学生がたくさんいるのも現状です。
――人は、良くも悪くも「忘れようとする力」が脳内で働くと思います。
良い意味で、凄く楽しい事がしたくなったりとか、ああいう事が起きてしまったので人生をリスタートといいますか、リセットしたいという感覚だと思うんです。特に現地の方々はそういう感覚が強いと思います。今は「より楽しく」や「より充実させて」とか。「もう何が起こっても怖くないぞ」くらいの気持ちが凄くあるのかなと思います。
――熊谷さんは震災が起きてから「気仙沼から世界へ」という事を掲げ、被災地の状況を歌を通して発信されています。
今も多くの声援や心配の声が寄せられていて、凄く有難く思います。実は、デビュー当時から「気仙沼から世界へ」という事をテーマに掲げやってきました。その事もあってか、色んな人に会うと「今はどうですか?」などと被災地を心配して声をかけて下さるんです。もう5年が経っているのに、どこかで皆さんが思ってくれていたり、思い出したりしてくれたり、それが何よりも嬉しいです。
――デビュー当時から気仙沼に寄り添う曲を発信してこられたのですね。
デビューの頃から気仙沼在住です。「気仙沼はいい所なので皆さん遊びに来て下さい」というスタンスは今も変わらないですね。私が、そこに生まれ育ってきて、そこで書いてきた作品です。だから、ああいう出来事があってしまっても、核となる部分は何も変わらない、ということを再確認しています。
――当時の楽曲はどのような思いや意味を込めて歌っていたのでしょうか。
自分ではあまり感じなかったのですが、「なんか東北の風を感じる」とみなさん言って下さるんです。だから最初は自分は何も気にせずに書いていた曲なんですけど、やはり自分がその空間で作っている曲が多いので、無意識のうちに「ふるさとの情景」が描かれているのかなと思いますね。
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