テクノロジーへの抵抗、真実の声を探し続けることを問う

映画『偉大なるマルグリット』ワンシーン

映画『偉大なるマルグリット』ワンシーン

菊地成孔 (トークセッションの)台本に「こんなに自分の歌が下手くそなのに気が付かないということがあるのでしょうか?」という幸田さんと私への質問事項として書いてあるんですけど(笑)。幸田さんにそんなこと聞いても分かるワケがないですよね。最初からお上手なのだから(笑)。

幸田浩子 なんだろうなあ。一生懸命に歌っている時の、その一生懸命さがやっぱり人の心を打つんですよね。

菊地成孔 このストーリーは、変わった愛すべき人が右往左往するだけじゃなくて、実はちゃんと緻密にできているんですよ。まず彼女がサロンで歌うのを聴いた辛口の批評家ともう一人の批評家。後者は特定のモデルはいないと思うんですけど、ダダイスト(編注=芸術思想「ダダイスム」に属した人)でしょうね。1920年代というのは「ダダ」という芸術潮流があって「何でもぶっ壊してしまえ」と。フランスはシュルレアリスムの発祥の地でもあるんですけど。劇中にダダイストのパーティがありましたよね。途中、斧でピアノを壊したりする、あれ典型的なダダイストのパーティだと思うんです。そこでマルグリットがマルセイエーズ(国歌)を歌っていたら騒乱みたいになって警察が来て、簡単に言うと捕まるわけじゃないですか。あそこでマルグリットがしょぼんとして「もうやめる」とか言うのかと思ったら、盛り上がるんですよね(笑)。興奮するの。

幸田浩子 観客というものに気づくという。

菊地成孔 そう。マルグリットが気づいていたかどうかは描かれてないんだけど、サロンで演奏した時に自分の手の物が何となくお手盛りで拍手をしてくれる、というのは死んだ聴衆。じゃなくて生きた聴衆、それはもう笑ったり怒号を発したりする人まで含めて聴衆の生の声をダダイストのパーティに連れてかれることで知るんですよね。あそこで興奮したおかげで自分のリサイタルに繋がっていくという風になるのが良く書けているなと。あと、この映画の裏テーマよりももっと裏というか、かなり裏のテーマですけど「テクノロジーに対する抵抗」というものがありますね。歌というのはテクノロジーじゃない。人間の体から出てくるもの。それはフィジカルなものだから、たとえ下手でも崇高なんだというものがありますね。作中に出てくるテクノロジーはお分かりの通り「写真」と「録音機」。黎明期のテクノロジーです。写真といえば忠実であると同時に、変態でもある登場人物、黒人執事。ラッパーがやったら面白いと思うんですけどね。

幸田浩子 瞳が印象的な方ですよね。

菊地成孔 まあ全体的にフランス映画ですから、第一層のテーマはとにかくラテン系の映画にありがちな「アムール」(編注=恋愛)ですよね。それは純粋なアムールから、変態的、性倒錯的なアムールまでが織りなされる様にアムールアムールとなっている。でも、これは一般映画だから中枢にあるのは夫婦愛。

幸田浩子 (笑)。

菊地成孔 夫婦愛という軸の周りに色んなアムールが飛び回っているような映画ですね。最初の質問に戻るけど「マルグリットみたいな人が存在するのか?」。存在するんですよね。自分の声さえ録音して聴かなければ。録音再生技術が無ければ彼女はステージに上っているだけですから、客が笑ったりしないでサロンの人が守ってくれていれば一生気が付かない可能性があった、19世紀までは。自分の声はステージで歌いながら興奮していたら客観的に分かんないじゃないですか。幸田さんにいくらこのことを説明してもお上手だから、分からないと思うんですけど(笑)。ロックミュージシャンとかで分かっていない人は沢山いると思うんですよね。ステージでハイになっちゃって、「ガー!」と、がなって。パンクの人とか。まあロックとかできた頃はレコードありましたから自分の声は聴けましたが。想像してみてほしいんですけど、写真も無くてカメラも無かったら自分の姿もよく確認できない。鏡ではできますけど、歌は聴こえないですよね。

幸田浩子

幸田浩子

幸田浩子 自分が録音してみて思うんですけれど、自分の声って不思議ですよね。自分の声と思えない。だから脳で聴いているものと実際、外で聴こえる音は違う。

菊地成孔 本当の声は最終的に聴こえないというね。それをこの映画は描いていますよ。一番退廃しているダダイストが「彼女の声は真実の声だ」と4回くらい言うの。

幸田浩子 真実の声は、やっぱり聴こえないんですよね。自分の中で鳴っていればいい、ということかも。それは、実は録音されたものを自分が聴く声でもないんですよ。だから「真実の声を探し続ける」というのをそれぞれに問うているのかなって。それは上手い下手では全くなくて。

菊地成孔 そうですね、非常に階層の深い映画だと思います。フランスは20世紀のカルチャー「ヘタウマ」発祥の地。クラシックでは許されないですけど、ポピュラーミュージックでは舌足らずで音痴なフレンチロリータポップというのがあった。その代わり大人文化というのががっちりあったからこそですけどね。大人文化、メゾン文化、マダム文化というのがあったからこそフレンチポップ、ヘタウマ、子どもの文化というものがカウンターでこう生じた。それもアメリカでもイタリアでもないフランスで生まれたっていう歴史的なものも描いていますし。第一次世界大戦というのはテクノロジー戦で化学兵器や戦車や空爆みたいのが出てきて、精神論で戦っていたポーランドの騎兵、昔のサムライみたいな人たちを女性の運転する戦車が無慈悲にひき殺すっていう様なものだった。この映画はその後ですからね。人間の魂ろいうものが機械によって足蹴にされてしまう、ということを経た時代。そういう背景もあの結末には感じました。ところでマルグリットが本当に音楽に殉じたい人だったのか、この脚本はグレーゾーンにしていますよね。旦那さんの愛が欲しくて旦那さんに認識して欲しかったというところも描いているじゃないですか。そこはどう思いました?

幸田浩子 私は旦那様に愛されないから、というのも物凄く感じました。でも端々の彼女の言葉が一番自分にとって助けになったり、その時自分にとって必要な言葉だったり響きだったりを与えてくれたのが彼女にとってはオペラだったんだろうなと。共感することがいっぱいありました。きっと皆さんのいろんな人生の中でそれぞれ助けになるようなヒントになることがたくさんあると思います。

菊地成孔 映画だからしようがないというところもあるんですけど、下手すると「シルバーになった夫婦の奥さんの性的欲求不満が歌になっているんだろ」というような発想にもなりますよね。そして、リサイタルで奇跡的に一回だけ音程が合うんだけど、このまま行くのかと思ったらああいう展開になるという。

幸田浩子 あそこ残酷でしたよね。もっと歌わせてあげたかった。あんなにトレーニングしたのに。

菊地成孔 でもあれ、トレーニング無駄でしたよね(笑)。トレーニングは無駄でご主人が聴いてくれているという認識によって突如、能力が啓発される瞬間ですよね。凄い感動的な。旦那が赤いストールを愛人に渡す場面を見て「別れのプレゼントだ」と弁明されるものの、「あなたが歌わなくていいって言うなら歌わなくていい」とマルグリットが言うところは凄くドキドキするんですよね。音楽を取る人なのか旦那の愛なのかっていう二者択一。「二人で逃避行しましょう。コンサートはすっぽかしてもいい」とまで言うんだけど、旦那の方が「君にとって大切な日だ」っていってリサイタルにこぎつける、という風なサスペンスも含めて。幸田さんは、観客に愛されるのと音楽に愛されるのと、またはご主人に愛されるのとではどちらを?

幸田浩子 3つともというのは難しいですよね。そんなねえ(笑)

菊地成孔 私もクラシックの音楽家じゃないですけど、3つともは難しいと思いますね。マルグリットが何を取るのかというのもエスプリ(フランス的精神)として、まあ皆さん考えてくださいという様な感じの映画だとは思うんですけども。

幸田浩子 フランス的っていうのが凄く全体的にありましたね。

菊地成孔

菊地成孔

菊地成孔 非常に情報の多い、ただ単なる「音痴の面白い人がいた」というだけじゃなくてそれを素材に沢山のことを描いている映画だと思いました。そういうわけで、どんな映画もそうなんですけど細かく時代考証から何から見ていくと、隠されたテーマが出てきたりする。今回の場合はテクノロジーの問題であるとか、当時の芸術的な潮流やヨーロッパにおけるフランスの立ち位置ですとか。そんなことまで知らなくても気楽に映画を観ればいいんですけど、階層の深い細やかに描かれている映画ですから何度も観ていただきたいと思います。別にDVDなんてケチなことは言わずに映画館に何度来たっていいわけですから(笑)、リピーターになっていただいてもいいなと思いました。

幸田浩子 プチ情報として、テノールの方が「道化師」の歌を歌ってマルグリットがうっとりする場面はマリオ・デル=モナコが歌っております。私もびっくりしました。名作を本当の名歌手が歌った時の感動を体験していただけたら素敵だなって思います。やっぱりいい作品を観るとより人の事が愛しくなったり「自分ってこうなのかな」って色んなことを考えたりすると思うんですけど、そういうあったかい“ジューシー”な気持ちを一杯持って帰っていただけたらなって思います。

 ◆フローレンス・フォスター・ジェンキンス 1868年7月19日-1944年11月26日。米ソプラノ歌手。誰が聴いても音痴なのに、誰からも愛されたという、まさに“耳”を疑うソプラノ歌手。最初はあっけにとられた人々も、いつのまにか自由で大らかな歌声に魅入られてしまったという。1944年には76歳でカーネギー・ホールの舞台に立った。

(取材/文・小池直也)

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