[写真]渡辺美里の魅力とは(1)

今もなお魅了し続けている渡辺美里

 大ヒット曲「My Revolution」などで知られる歌手の渡辺美里が今年デビュー30周年を迎えた。20年にも及んだ西武球場でのスタジアムライブや、スピーカーを壊してしまうほどの声圧など数々のエピソードが伝えれている。しかしながら、テレビ等の露出は少なく、謎に秘めたところも多い。同期には、TUBEや米米CLUB、少年隊、中山美穂、南野陽子たちがおり、歌謡曲全盛の時代に女性ロック歌手としてキャリアを始める。なぜこの時代に人気を集めることができたのか、そして、今もなお多くの人を魅了し続けられているのか。デビュー当時からマネージャーを務める関野一美氏への取材を通して彼女の軌跡、そして魅力に迫ってみたい。  【取材・村上順一】

オーディションから異彩を放つ

 渡辺美里はデビュー前のオーディションから異彩を放っていた。“観てもらえる人が多ければ誰かしらの目に留まるだろう”との理由で、ファッション誌とレコードメーカーが合同で主催する「ミス・セブンティーンコンテスト」のオーディションを受けた。応募総数は17万人。

 参加者の多くが、当時の流行歌謡曲を課題曲に選んだのに対し、渡辺美里の選曲はEPOの「土曜の夜はパラダイス」(82年発売)。周りとは趣が異なる楽曲、そして、圧倒的な歌唱力は大きなインパクトを与え、審査員の高い評価を得て急きょ設けられた「最優秀歌唱賞」を受賞した。関野氏は当時をこう振り返る。

 「10歳の時に歌手になりたいと決意し、発声練習、ダンスレッスンをしながらデビューのきっかけを探していました。SONYというレコード会社が主催するオーディションだから『ミス・セブインティーンコンテスト』を受けることにしたそうです。そのオーディションに参加する人は主にアイドルになるような可愛い人たちが多く“グランプリにはなれないと思うけど、きっと誰かが私の歌を聞いていてくれる”と、ほとんどの参加者は歌謡曲を歌っていた中で、美里はEPOさんの『土曜の夜はパラダイス』を選曲。主催者から“今日は特別に歌唱賞という賞を設けました”と発表があった瞬間、美里は“きっと私だ”と思ったそうです。それだけ歌には自信があったんでしょう。しかも、“好きな歌手は?”と聞かれ、イギリスのパンクバンド、セックスピストルズを挙げたり、急に“何かセリフを言ってください”と振られ、思いついたセリフが当時上映されていた『鬼龍院花子の生涯』の“なめたらいかんぜよ!”だったりと、ミス・セブンティーンコンテストではかなり異彩を放つ存在だったと思います」

 オーディションを経て、ソニーミュージック系列の「EPIC・ソニー」(現・エピックレコードジャパン)に所属。同レーベルは当時、ロック色を強めていこうとしていた。そうした環境もあってスタッフとの相性も良く、85年5月に米ミュージシャンのケニー・ロギンスのカバー曲「I'm Free」で歌手デビュー。同年10月にファーストアルバム『eyes』を発表する。このアルバムのキャッチコピーは「ロックを母乳に育ちました」。歌謡曲、そしてアイドル全盛だった当時は衝撃的なキャッチコピーだった。彼女は明確にロック歌手を掲示して表舞台に立ったのであった。

運命を決定付けた「My Revolution」の誕生

 彼女を一躍、スターダムへとのし上がらせたのは、86年1月発売の4枚目シングル「My Revolution」だ。切ないメロディからサビに向かって疾走感を増していく曲調と歌詞の力強さ、そして、渡辺美里の歌唱力が強いメッセージを与え、聴く者にエネルギーを与える。

 同曲は、TBS系ドラマ『セーラー服通り』主題歌として起用され、自身初のチャート1位を獲得。売上枚数は44万5000枚を超えた。今もなお愛されている楽曲で“渡辺美里と言えばこの曲”と言われるほどだ。

 そして、この楽曲は数々の名シーンを演出してきた。87年に行われた西武球場ライブでは降雨によって自身の描く満足のいく演出はできなかった。そのリベンジとなる88年のライブではオープニングでこの楽曲を涙ながらに歌った。そして、集中豪雨に見舞われた89年の西武球場での初の2Daysコンサート『SUPER Flower bed BALL 89』で「雨のバカヤロー!!」と叫んだのは今でも語り継がれている名場面だ。このとき、アカペラで「My Revolution」を熱唱。まさに圧巻だった。

歌謡曲全盛になぜヒットしたのか

 歌謡曲全盛の時代に、なぜ彼女の楽曲はヒットしたのか。「My Revolution」は、TM NETWORKとしてデビュー間もない小室哲哉が初めて他のアーティストに提供した作品だ。渡辺美里がいるスタジオにデモテープを届けに来た小室は、そのテープを再生せずに目の前にあったピアノを弾き本人に直接聴かせた。それほど自信があったのであろう。

 そして、時代が渡辺美里を押し上げたとも言える。関野氏はこう振り返る。

 「80年代は、聴き手の趣向が徐々に変わり始めた時代で、テレビでは歌謡曲を中心とする音楽番組が数多く放送されていましたが、洋楽のようなロックテイストのミュージシャンがLIVEを中心に活躍し始め、ラジオから流れることも多くなり、トップテン入りするようになってきました。しかし、テレビの音楽番組に出演するミュージシャンは少なかったと思います。そうしたなか美里は“ロックアイドル”をキャッチコピーにLIVE、アルバム制作を中心に活動しながら、テレビ媒体を使ったプロモーション展開が上手くできたことと、デビュー1年目からラジオのレギュラーを5本やっていたことも大きかった要因ではないでしょうか」

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