追いかけても逃げていく―、市原隼人「芝居は虚像。だからリアルを求める」
INTERVIEW

追いかけても逃げていく―、市原隼人「芝居は虚像。だからリアルを求める」


記者:木村武雄

撮影:

掲載:20年02月28日

読了時間:約10分

「脳内ポイズンベリー」は指の隙間から覗き見する感覚

――『脳内ポイズンベリー』の公式コメントで役に入る前に「一度壊す」という表現が書いてありました。あれは何を意味しているのですか。

 新しい作品に臨む時はどんな作品であっても根本的に、自分を壊して新たに作っていくというのが毎回の作業になります。今回の作品は原作があって、映画化もされていますが、僕は原作も、映像もあえて観ていません。それはこれから臨む舞台という観点で、どういうものが舞い降りてくるのかというのをまず自分で探さないといけない。その確固たるものが見えたときに初めて原作などをしっかり読む。もちろん原作がなければ作品自体がないですから、生みの親に対して最大級の敬意を払って演じたいと思っています。

――舞い降りてくる“もの”はどういうものですか。

 それは毎回違います。稽古に入ってみないと分からないこともありますし、演者さんや演出家の考え方によっても変わってきます。舞台にする意味、どのようなエンターテイメントを届けることができるかなどを考えます。

 極端ですが、エンターテイメントがなくても生活はできる。だからこそ情熱を込めないといけないと思うんです。より一層、お客様に楽しんでいただくためにも。それを実現させるために、自分自身で色々なものを消化して、理解した上で現場に入りたいと思っています。自分の中から湧き出る物をまず掴んでから、何度も何度も自分の中で壊しながら作って、それを繰り返して最終的にお客様に届ける形になっていくと思っています。

 『脳内ポイズンベリー』では、人に見せない心の内が全て明かされる。人の思考が擬人化されて、それぞれが会議を行って行動に移す決を採る。それが見えるのは表現作品の特権ですよね。小さい頃、映画に対して普段見られないシーンや、感情、動きが観られることが楽しみでした。そういう観点から見てもこの作品には、そうした醍醐味が全面に出ています。

 お客様が体験した事がない体験、そして普段見ることができない脳内の狂気的な感情、自制心を抑えない人間本来の愚かさみたいなものを親近感や笑いをもって体感することができる。人間臭いドラマであり、心情の確信を突くような作品になれば良いなと思います。

――俳優は、役の感情を自分の中に取り込んで表現する仕事ですが、市原さんは元々、人の感情に興味があったのですね。

 あります。だけど、どうやっても表面的な部分しか見えないですから。日本語は奥ゆかしいところがあって、単語一つをとっても色々な意味合いを持っているので、ついついその先まで見てしまいたくなる。目を手で隠しながらも隙間から覗きたくなってしまう瞬間のような。『脳内ポイズンベリー』はそういう感覚で楽しめると思います。

 作品自体には親近感もあるんですよ。誰もが持っていながらも、自制心に抑えられている感情を開放した作品なので、それぞれのフラストレーションとか、普段抱えている外に出さないようにしているものも「この作品の中で爆発して出すことができれば」というのが一つの目標です。

――市原さんも頭の中で会議はしている?

 もちろん。しない人は誰一人いないと思っていますから。自制心で抑えながらも本能が出てきて、衝動とか色々な方向からの捉え方があるので、ポジティブだったりネガティブだったりを全部駆使して、目の前のものを楽しんでいると思うんですよ。人の思考が外に出るのは20%くらいらしいんです。それを言葉にして、具現化して社会の中で生きている。残りの80%は、すごいふり幅で感情が揺れ動いていて、欲が出れば欲を満たしたいという感情が出てくる。僕もそれはすごくありますし、皆さんもあると思います。

市原隼人

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